この前の日曜日、近所の仲間の在宅医師に末期がん患者さんの「もしもの時の看取り」を頼まれていました。
訪問看護ステーションに状態を聞いたら、多分、今日は大丈夫そうですよ。と言ってくれたので・・・久しぶりに配偶者と葛城山に登って来ました。
葛城山なら、ほぼ全山電波は通じるし、いざとなったら1時間以内で下山することが出来ます。
訪問看護ステーションに状態を聞いたら、多分、今日は大丈夫そうですよ。と言ってくれたので・・・久しぶりに配偶者と葛城山に登って来ました。
葛城山なら、ほぼ全山電波は通じるし、いざとなったら1時間以内で下山することが出来ます。
間に合わなかったらどうするの?なんて思われる方おられるかもしれまが・・・間に合ったとしても、何もしません。間に合う必要がありません。
誤解しては欲しくないですが、在宅看取り ほとんどの場合、ご家族で看取っていただきます。医療関係者は、「確認」に伺うだけです。
在宅で看取ろうとご家族がされている時に、遠くから(東京から)普段面倒など全く見た事の無い長男または長女が帰ってきて、「どうしてこんなことしているのだ。こんなことをしていると父は、母は死んでしまうじゃないか!!救急車!!救急車!!!」と、救急車を要請して緊急入院、心臓マッサージ施行して、静かに逝きかけていた父または母は蘇生、「ほら、あんな田舎医者に任せていたら、あのまま死んでいたのだぞ!!」
父または母は人工呼吸器の管理下、点滴や膀胱カテーテルなどチューブだらけ(スパゲッティ症候群と呼びます)で生き続け、5日も経過すると「俺は(私は)私にしか出来ない仕事があるので」と、言い残して東京に帰って行く。、自分にしかできない仕事が・・・と、呟きながら去ってゆく。残されたメンバーは、どこを幕引きにすればよいのか分からなくなって、結局一ヵ月ほど意識も自発呼吸もない状態が続いたりすることもよくあることです。そうなると、今度は「まだなのか?海外出張に行けないではないか!」などと言う電話が掛かってくるらしいです。
「そんな奴には手を貸さないぞ!」
まあ、そんな言い訳をしながらの葛城山登山でした。
快晴!!
パラグライダーも気持ちよさそうに滑空しておりました。
とても考えさせられました
別の機会に
この東京の長男長女(未来の私も含めて)の存在による
やって来なかった親孝行を
延命という形で慌てて叶えようとする姿勢のせいで
日本のコロナ禍、医療切迫が
世界に比してもいつまでも深刻なのだと聞きいていたので
現場の方のお話に
ああ、本当にそうなのだなと
とても理解が深まりました
折りに触れ親と話すのですが
距離を取って暮らしているため
実の親でありながら他人のような隙間もあって
今わの際の気持ちはわからん
と有耶無耶にされてしまいます
老親はこちらが思うより遥かに
死に怯えており
考えたがらない様子
この行き違いが、いざとなっての救急車となるのでしょう
ただ、
痛い治療をするくらいなら
死ぬと言ってます
あれだけのチューブを体に刺すのは
きっと痛いでしょうね
「
別の機会に
この東京の長男長女(未来の私も含めて)の存在による
やって来なかった親孝行を
延命という形で慌てて叶えようとする姿勢のせいで
日本のコロナ禍、医療切迫が
世界に比してもいつまでも深刻なのだと聞きいていたので
現場の方のお話に
ああ、本当にそうなのだなと
とても理解が深まりました」
慧眼ですねぇ!!
私の言いたいことををギュッとまとめていただいて、私こそ理解が深まりました!!ありがとうございます。
死に関することは、扱いが難しいですが・・・
避けて通れない事だし、本当に近づいてくると、当のご本人は自然体で受け入れられることが多いと感じています。勿論、人それぞれではありますが・・・・
誰しもが口をそろえて言われるのは、苦しいのは嫌!!!です。