命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

ターニングポイントの話だった

2023-03-22 01:47:57 | 思い出
自分の人生のターニングポイントが25歳の梅雨だったという話をするはずが、横道にそれてしまい、高校時代学校行くよりもパチンコ屋や雀荘にばかりたむろしていたという横道にそれた話になってしまっていたが、考えてみれば、私の人生、横道にそれてばかりなのだ。
一浪が決まった時「まじめに予備校に行くから」と、近畿予備校を受験したのだが不合格。父に、「お前は大学に行く準備をする資格すら無いと判定されたのではないか」と言われて、グーの根も出なかった。
 それでも研学キャンパスという近くで入学試験の無い予備校に通わせてもらう事にはなったのだが、数回授業に出てみたけれど、高校の授業にも出ていnなかったので、授業が全く理解できなかった。結局それからもパチンコとマージャンに明け暮れる日が夏まで続いた。
 私の父は、大正のおっさんで、怖そうな中小企業の社長だったけれど、時折面白いことも言う人だった。現役の時の受験、どうせ受かるわけなどないので、スキーがてら憧れの北海道大学を受験しようと思った。受験旅行の出発時、スキー道具一式も抱えて家を出ようとしているのを父に見とがめられて一言。
「お前は受かりに行くのか?滑りに行くのか??」
流石にスキー道具を持って行く事は出来ず、北海道大学のキャンパスの広さに驚いた記憶が残っているだけで、試験の記憶など微塵も残っていない。

一浪してラッキーが重なって補欠入学できた慶應工学部だったのだけれど、「大学に入ったら遊んでも良い」と小さなころから刷り込まれていた?からか、結局4年通っても3年生にも進級できず、放校処分となった。その後名古屋の経営後継者養成所に1年通って、此処は何とか卒業したのだけれど、卒業したら後継するはずの父の「会社」が倒産してしまった。

 一応就職活動はしたのだが、一流企業は勿論、二流企業も見向きもしてくれず、性格の悪い親子が営んでいた「落ちこぼれ向けの塾」に就職するも一ヵ月しか耐えられず、無職かつ失業保険も貰えないという最低の時に高校の級友に誘われて入ったチリ紙交換業界が体質に合った。誘ってくれた旧友とは、お互いの人生のターニングポイントにしっかりと絡みあっている。不思議な縁と言っていいだろう。
彼に誘われて、チリ紙交換を始め、そして一時は天職と思ったチリ紙交換だけど結局は梅雨の雨が続いて転職を考えざるを得なくなった。そんな時に受験参考書とティッシュを交換、その受験参考書を読んで医学部受験に舵を切ったというわけなのだ。

一方、チリ紙交換に誘ってくれた旧友は、高校卒業までスキーには縁が無かった。私は、一度目の大学生の時にスキーバスを企画し、その人数合わせに彼を強引に誘ったのだ。それが、彼の人生のターニングポイントになったという。私は、チリ紙交換を辞めた後医学生となり医者となったが、彼はそのあとスキー場でアルバイトをし、バイト仲間と結婚し、二人ともにスキー教師になり信州に移り住んだ。

彼に50数年前スキーを教えたのは私なのだが、彼はずいぶん前から指導員で、私は未だに1級の試験に落ちて2級どまりの万年下手糞スキーヤー。
ここ10年以上、毎年彼に年3,4日教えてもらってはいるのだが、全くに上達しない。所属のスキー学校で私があまりにも上達しない事が話題になっているらしい。そう言われたって、彼や配偶者と一緒に笑いながら滑っているだけで満足しているのだから、エッジングだのカービングだの細かいことを言われて今更多少上達してもしなくても、そんなことはどうでも良いのだ。それよりも、歩けなくなる日の方が近い方がよほど問題なのだ!!

モノには、得手不得手がある様で、私は運動神経に関してはどう考えても「中程度の認知症」レベルなのだが、一方、学力テストに関しては、何故だか努力の割には結果を出す方なのだろう。不思議だけれど、その能力には感謝している。とびぬけた才能ではなくとも、兎に角医師免許を取得出来、何とか医師という職業を現在まで営み続けて来れた。

医者になってからは、面白いので努力はしてきたつもりだけれど、学生の時には面白いと思わなかった勉強には全く目を向けなかった、進級試験に受かる最低限の努力だけをしてきた。同程度の努力をしても報われなかった人も複数存じ上げているから、私は要領は悪くないのだと思う。でも、そのような才能に対して、「やれば必ず出来る」などときれいごとを言うのは無責任だと私は思う。
私の様に半世紀以上努力を続けても、スキーの一級にすら受からない人もいるのだ。

小学校の時の教頭先生の口癖が「やれば必ず出来る」だった。私は遠足の時のバスで臨席になった教頭先生に質問した。
「先生、やれば必ずできるんですよね。僕も頑張ったらノーベル賞取れるでしょうか?」
「頑張れ、頑張れ、そうそう、君、頑張れば必ず出来るよ!!」
「へえ、だれでも、頑張ったら可能ですか。」
「大丈夫だ、可能だよ。」
「へえ、それなら、先生は何故頑張らなかったの?」
それから、教頭先生は、私に口をきいてくれなくなりました。

今回もひとまず終了






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4 コメント

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Unknown (kikokikonoriko19888888)
2023-03-23 19:21:17
社会の仕組みは私ごときにはよくわからないのですが、

医師は、天の力で選ばれている様な不思議な感覚です。

親戚の内科医は、慶応文学部2年で、
「医学部に通学していない」事が
親にばれて、、、医学部に入りなおしました。」

事件の方は、各自で検索されると。様子が伝わると
思いますので、割愛させていただきますが、、、

外科医の場合、足など切断手術すると
患者さんの親からは
手術のおかげで、命が助かって死を免れても、
「悪魔!」と言って睨まれることもあり

、「足が無い!」という、、、
「新たなる精神疾患」にかかり
、術前に了承の書類に署名していても、
恨まれて、恨まれて、

母親が、、特に、、、半狂乱でしたね、

義足が出来て、運動会の時、競走で「ビリ」だったけど
母親は、、、やっと、、「謝ってくれました」
父が担当した手術の後の2か月ごろまでは、
親は「いっそ殺して、、、」などと叫んでましたが

医師って、苦労して
命救っても、、、
外科は、大きな傷痕が出来る時代でした。
医師は、ストレスの多い仕事だけに
鈍感力というのか、、、気持ちが強いというか、、、
凡人には,、、荷物が重たすぎますね。
   stressボールになりますよね。
返信する
Unknown (camper)
2023-03-23 13:15:24
花鳥風月さん言われるように、その職業への適性って非常に大きいと思います。特性もとても大事ですが、能力も大きな問題で・・・特に資格取得の上に成り立っている責任の重い職業は。私、医者で言うなら「風邪と肺癌の区別もつかないような」弁護士に弁護を依頼してしまって、どえらい目に遭ったことがります。彼は、親の財力のお陰もあって、年数かけて漸く弁護士の資格を得た人でした。何の能力も無いどころか、存在自体がマイナスに働きました。資格を持った馬鹿は害毒です。
返信する
Unknown (camper)
2023-03-23 12:23:37
花鳥風月さん、コメントありがとうございます。
花鳥風月さんの言われることを、どこまで理解できているか分からないのですが、医師を継続する適性は、医師になれるかどうかの適正よりもより重視されるべきではないか と、言われているのかと思いました。社会人を経てから医師になる道をもう少し広げても良いかと私も思っています。
看取りも含めた臨床医を続けていく事は、「死にゆく人」に直面することで、どうしても哲学的にならざるを得ません。哲学的になると言う事は、私の様な一般人にとっては「考えたくない、ウットオシイ事」に首を突っ込んでいる感覚で、憂鬱な事でもあります。在宅看取りにかかわる医師が増えないのも、そんな理由かもしれませんね。私は、鈍感力に恵まれているので、大丈夫ですが・・・
ところで、患者さんの葬儀に参加して刺されて亡くなった医師の話、存じ上げておりません。良かったら教えてください。
返信する
Unknown (kikokikonoriko19888888)
2023-03-22 03:25:22
人生は小説より面白いですね。私は医師免許を取得するという国家試験までは、「やれば出来る」という某教頭先生の意見はおおむねあたっていると思います。しかし、医師になるより「医師をすることの難しさは、、、ひしひしと迫ってくる適正と、無意識の傀儡の様な心の放浪や、居場所がわからない突き放された心の孤独や劣等感や、頑張りなおした達成感。自分の思っている自分と、客観的な自分の一致の難しい人生の旅。お客で居られる解放感と、お金で買った時間のむなしさなど、、、人生の機微を知らないと、少なくとも「臨床医をすること」は、学問以上に適性があり、「医師をすること」の難しさを、ひしひしと感じます。患者さんのお葬式に行って刺されて亡くなられたDrの事を考えながら、、、もし、私も女医になっていたら、同じように、刺されていたのではないかと、、、人の心の難しい
医師に対する、敬意が、実は患者さんは、自分の命に対する敬意であって、ひとたび、やむなく救えなかったら、、、その反動は、武芸並みに 心のうっちゃりが出来ないと、、、医師は
逆恨みを受けるのではないかと、、、先生の人生は、、、
「医師をすることの難しさ」の方から、、身に着けて行き
頑張れば出来る医師になる試験が後になっただけではないかと思います。、、大谷選手がバンドをして、「勝に走った」のが
人生を観ているように、、、感動しました。東大生は、国家が期待する人間像に創られた、、、パソコンが出来る前の「IT]を
国家が創ったのと違いますか?
自分を生きた、、、!!と言える先生の人生は、
「医師をすることの難しさ、、、命の終わりは、、、そのブラックホールの様なエネルギーを、臨床の実力で、吸い込まれないで
「医師をすること」に、、、私は
自分なら、、出来ないと、、、敬意を払って勉強させていただいています。鳥が先か?卵が先か?

医師になるヒトは、、医学だ家するよりも、多くの人生の経験者の方が、、、「人間を客観的に観察できている分だけ、、、
患者さんの心に寄り添えるのではないでしょうか?
ありのままの人生が小説になると思いました。

人間の死に際という、、、受容できる事の難しさ、、、
お寺,、神社、、教会、、永遠を信じたいですが、、、

人間のパーツの最期のパーツを入れて
細胞的に命が動き始めたとしても、、、
「心」はうまれるだろううか??
先生の人生は、「心を生んでから、」、、医師の試験勉強に向かったというパーツのはめ方が、、、順序が逆になった???
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