命のカウントダウン(健康余命3605日)

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JH3NAO復活計画 その1

2020-06-22 23:14:45 | エッセイ

ラジオライフ誌を読んでいたら、当然の如く、無線・無線装置に対する関心が首をもたげてきた

それで、仕事の隙間時間に・・・数少なくなった桜井市のリアル書店まで、車を飛ばして、CQ誌を購入した


CQ誌を手にしたのは、20年ぶりくらいだろうか。

アマチュア無線自体、50年近く疎遠なままであった。最後にラグチューしたのはいつの事なのだろうか

使っていたのは井上電機製作所(現ICOM)のFD-AM3という1Wのハンディー機だった


ハンディと言っても、今のハンディ無線機とは大違いで・・・・

持ち歩く時の電源は・・・・何と何と・・・・・単一電池9本!!でございました!!!

大文字山の上で長時間運用しようとした同級生は、電源として自動車用のバッテリーを持って上がったなどと言うのが当時の電源事情でした。

この時代には、これでも画期的な製品だったのです・・・・ラグチューしていると送信周波数や受診周波数がふらふらしたり、FM受信はスロープ検波という・・・今考えると・・・・・それはジョークですか?って言われそうですが・・・

HFのトランシーバーも一時期誰かから借りて・・・自宅の屋根の上にデッカイ ダブルダイバーシティアンテナ なるものを銅線と碍子で自作して物干しざおを立てたものを支柱にして数か月間運用したのですが・・・・当時のHF帯の大混雑、空いている周波数はTVに障害が入って使い物にならず、最後には、当時は権威のあった「父」なる存在に「あのデッカイ避雷針を取り去れ!!」と、命じられ、運用を中止しました。

50MHz(シックスメーターは)いつまでやっていたのだろうか
多分、高校1年くらいまでではなかったのかなぁ
結局、HAMに熱中していたのは中2から高2くらいの3年程度だったと思います
その頃、1970年代は、日本中でアマチュア無線が一番熱かった時代だったように思います。

長くなったのでいったん切りますね




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