キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

お花見の誘い~森林浴

2012年04月27日 | 至福

お昼に食べたランチのサラダ、ハートのキュウリが可愛い!

山の中をショートカットしたら、もう蕨を見つけた。

千本の桜並木の横に、出来た芝桜の丘陵

桜並木


友人に誘われて、早朝から桜を見に行った。

森を愛し、山を愛し、自然を愛す。

その名の通り、いつも穏やか、どっしりした落ち着きと広い心を持っている。

そして何よりすごいと思うのは、

本質を知っているということ。

外見に惑わされない、本当の温かさや平等、公平・・・・・

いつも、感謝です。


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また働くって考えてる~ハイジ語録

2012年04月24日 | 家族
このところ毎日のように、保育園に早めに迎えに行き、ごんたの公園につき合っている。

二人で草野球している。

と言っても、空振りと玉拾いばかりのゲームで、ごんたには野球のルールがわかっていないと思う。
それでも、嫌がらないで、面白そうにやっている。

実は何を隠そう。たぶん私は、一番好きな観戦スポーツは野球なのではないかと思う。


しかし、球技は我が家は今まですべての人が苦手だったのですが、ごんたは戌年の所為か、小さい頃からボールとじゃれるのが大好きでした。

プロ野球の選手になってくれないかしら。

なんて、親は思います。


昨夜ピロートークをハイジとしていた。

ハイジの夢を語っていた。

高校を卒業したら、オーストラリアの大学に行くのだそうだ。

なので、

「じゃあ、その間に、お母ちゃんは英語を勉強して、資格を取って、オーストラリアに一緒に行って働き口があるように頑張っておかないと…」


と、言ったら、

「また、働くことしか考えてないんだね。かあちゃんは・・・・。」

と言われてしまった。

更に、

「結局母ちゃんは、○婆(私の母)と一緒で、貧乏症なんだね。○婆は、腰がすごく曲がって地面を舐めるようにやっと歩いていても医者にも行かず働いてる。」

とまで言われてしまった。

その後、

「○婆と×婆(夫の母)の爪の垢を交換して煎じて飲んだら丁度いいのにね。」

とのこと。

私の母は、腰も曲がってようやく歩き、結局白内障も放ったままで、医者にも行かずに今も農作業をしている。

夫の母は、腰が痛いといいながらもピンとして、すたすた歩きながらも、あちらこちらの不調を訴えて病院へ行き、こたつ番をしている。

確かに、足して2で割ったら丁度いいのにとも思うのですが、子供の目はシビアですね。

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またおばあさんを拾った~無所属の時間

2012年04月20日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
昨日は、充実した一日を過ごしました。


予定を立てて出ました。


筋ジスの亡くなった方にお線香をあげて、実家に行き、ポータの掃除をして、洗い物をして・・・・

ところが、亡くなった方の家は、連日戸締めです。


それで、まあ、実家に行きました。


その後、急に昨夜読んだ本


大人の流儀


の中の無所属時間と、

墓参が思い出され、


一昨年に亡くなった介護の先輩のお墓参りに行こうと思い立った。

山の中腹まで車を走らせる。

と、先に、ああ、友人はいないだろうけれど、農産物買おうかな。

と、高校時代の友人が嫁いだ、分校に通うような山の中の農家へ、車の進路は変更された。

行くと、いつものように彼女のお姑さんが、出荷する農産物を袋に詰めるところだった。

しかし、なんとなくいつもと違う。

籠の端に捕まる手が震えている。

少し上体が前後するだけで息が切れている。

しきりに左胸をさするので、

「胸が痛いの?」

と聞くと、

「痛くはないのだけれど、むかむかするんだよ。」

「なんか、セ(息)も切れているよ~。」

と言う。

「喘息があるから。」

と言う。

「えー?喘息の発作とは違う気がするよ~。心臓は悪くないの?」

いつもなら、すぐに終わるのに、いつまでたっても袋がたまらない。


「医者行った方がいいんじゃない?」

「30個作らなきゃ。売れ切れて下の農産物から請求なんだよ。」

「兄ちゃん(息子で、友人の夫)呼びに行ってくる。」


医者に行った方がいいんじゃないと、勧める。

いつものことだから・・・・・喘息なんだよ。

喘息より心臓系の気がするけれど・・・・。

「1週間ほど前に、急に凄くっ胸が痛くなって病院に行ったら、そうなったら救急車を呼んで病院へ行ってと掛かり付けの先生に言われたから、自分は大変だと思いこんでいるだけだ。精神的なものだよ。」

と息子は言う。


「1週間前に狭心症のような症状があったとすると、あながち叔母さんのいうこと嘘じゃない気がするけれど・・・・。今くらいの時間が一番悪いと思うよ。もう少しすればまた治まってしまうし、症状の出た時にすぐ行かなきゃわかんないよ。」

まだおばさんは、出荷を気にしている。

「もう、息子に任せて、私が乗っけて行くからさあ。」

「着替えなきゃ!」

着替えなんてしていないですぐに行こうと言ったが、ぼろの下着では、とこの場に及んでそんな心配をしている。

着替えに行ったもののちっとも出てこない。
「ちょっと倒れてるんじゃない?」


結局病院へ着く頃には、もう治まる時間になってしまった。

医院の処置室で休みながら、

いろいろ話を聞く。
といっても、若い者の愚痴なのだが、

1週間前の胸痛以来、すごく不安が募っているらしい。それは私も良く分かる。
それについて、息子夫婦は冷たい態度をとり、更にはこの間は一人置き去りにされて、息子たちは子供に会いに行ってしまった。一人にされるのが怖くて、一緒に連れていってくれと懇願したが、置き去りにされた。・・・・・・・

夜は、夜で今度は、彼女から、息子夫婦の見解を述べられる。

双方が最もなんだよね。


でも、老いてゆくことは、誰もがこういう経過をたどるのではないだろうか。
不安感が強くなる中で、息も出来ない胸痛発作が来たら、その不安は大きいと思う。

そして、また、彼女も本当に高校から20代の頃は、思いやり深い人だったのに、超が階乗くらいつくお節介だったのに。

そしてそのお節介お嬢様が、

入院患者のじいさんたちの頭や体を次々に洗ってやっていた入院している超お節介患者と結婚したのだ。


長年の姑仕えは、性格も変えるのだろうね。

精神的なものと言ってケロリとしていた。

本当に精神的なものかもしれないが、

毎日連呼されたら、うんざりなのでしょうけれど・・・・

複雑な気分でした。


で、結局クリニックに連れていったので、方向が変わり、帰路で、たまたま、○○霊園という矢印が出ていた。
あっ、昨年亡くなった思い出深いお二人が眠る霊園です。
寄ってみることにした。

二人とも、本当に賢い聡明な方でした。

一人の方は、満100歳を超えての大往生です。ユーモアにあふれ、女は3歩下がって、控えめで、貞淑で、でしゃばらないことが最良という土地にあって、


私に、「女は、強く、頑固で、芯を通し、自分の考えをはっきり持てる人になりなさい。」

と、いつも言ってくれました。

これは本当に斬新で、強烈な意識改革を私にくれました。

もう一人の方も、聡明で賢く、長野出身の方で、教員をした人らしく、教育に対する考えや、万人を平等に愛し、子供は国の宝だという考えを持ち、いつもユーモアに富み、そのユーモアがいつも腰が低い、相手を尊敬し、自分が決して前に出ないユーモアであることに感心させられました。ことわざや格言が会話の中にたくさん自然に散りばめられ、にこやかで穏やかな方でした。(家族には不安を訴えられていましたが)

私が休職して、すぐに亡くなられました。
そういう点でも、ご縁を感じます。


二人の墓前に、お花を供え、お供物を一緒に食して、生前を偲びながら、お話をして帰ってきました。

ちょっとずっと胸につかえていたものが取れた1日となりました。

1冊の本のお陰です。

無所属の時間、墓参の仕方等。





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恐るべし~ステロイド

2012年04月17日 | 家族
五十肩だから、仕方ない、我慢我慢と思って来た。半年くらいで良くなるらしいし。

しかし、異常な痛みで、鎮痛剤も冷湿布も、ホッカイロを肩や腕に貼りつけるのだが、

断続的に襲ってくる錐でえぐられるような電気が走るような痛みは、おもわず



うう~っ!

我慢してもうなりが漏れる。


それも、五十肩なのに、肘とか手首、手の甲が激痛なのだ。


整形外科では、腰の痛みは、ステロイドを切った為のリバウンドも関係ありとのことで、リウマチ科の先生と相談のうえ再開したほうがいいんじゃない。と言われていた。


その旨を、N科受診のときに言ったら、

その画像、または画像コピーと情報提供書をリウマチ科の先生に持って行った方がいい。

と言われて、金曜日に貰いに行った。


すると、

整形外科のクリニックの先生が書き渋った。

結局、次のリウマチ科の受診前にN科が入っているので、もう一度確認することにした。


しかし、激痛や、可動域は日毎に、どんどん悪化していく。

ついに、このところのハードスケジュールに、日曜日の朝、町内の公園清掃に行った後、体が起こしていられなくてベッドに倒れ込んだ。


ところが、体が起こせないのに、横になると腕も腰も一層の激痛が走る。

子どもが、お昼だから起きて!といっても、起きられないし、かといって寝ても休んでいる気がしない!

あるのは苦痛のみ。

上の子二人が、iPadのアラームを鳴らして、起きろ!と言う。

そのうち、象の鳴き声と、お葬式の金の音と、パッカパーン・・・・と言う音を組み合わせてアラームデザインし始めた。

「お母さんは象に踏まれて死にました・・・・・」

と上の二人。

すると、ごんたは

「お母さん画像に踏みつけられそうになったら、ぼくが代わりに踏みつけられてあげる。」

って、言ってくれました。

そして、昨日、丁度、朝に、

訃報を二つ聞きました。

関わった持ちケース患者さんです。

二人とも難病の方でした。

一人はリウマチ、もう一人の方は、筋ジスでした。

その方たちの生き方を思った時に、

なんでもいいっか!ってやけくそになりました。

それで、結局、我慢し続けたステロイドを、5ミリほど飲んでしまいました。

昨日の時点では、飲みたいと病院へ電話をかけてみようかと思いました。

でも、タイミングでしょうね。


人は必ずいつか死ぬものです。
そして、自分では、長い短いよりも、どう生きたか、中身が大切なのではないかと思います。

ただ、祖母をはじめとして、多くのステロイド利用者の生き方は、壮絶です。同病の未使用者の生きる上での体の健全さには大きな差があります。
それを考えた時に、診断名からしても現在はステロイドの利用はしなくても済む病名でもあると自分では判断して来ました。

整形の先生の情報提供書の数日前に、実は、都会の病院からの連携、スクリーニングの依頼書を、地元の病院のドクターに書いて貰っていたので渡しました。ところが、依頼された地元ドクターが拒否して、他科へ依頼して欲しいとの返事を書いて渡されました。

そんなこんなで、最終的には自分がどうしたいか。どうするか。自分で選択していくしかないのだと思ったことも加担しています。

それで、昨日試しに5ミリ飲んでしまいました。たぶん、止めた最終の0.5mでは絶対にだめだろうと予測しました。10ミリまで増やすと、後が減らすのに時間がかかりすぎる。5ミリで駄目ならやめるか10ミリに増やすかどちらかだと踏みました。
それが、本当に魔法のようです。半日でその効果を実感しました。
それで、これは飲み続けた方がいいかもしれない。
と、手持ち残量を確認、次の受診までに間に合う。骨粗しょう症の薬が足りない。

と確認してから、病院へ電話をする。

「ステロイド再開したいんですけれど・・・・。」

受付の人が、「先生は、会議中なので、会議終了後折返し電話をする。」

と言うので、会議の終了予定を聞く。

「あと30分くらいだ」と言う。

ごんたを迎えに行くと、30分では難しい。

「45分後以降に掛けて貰えるように言って貰えますか?子どもの迎えがあるので。」
と言うと、

「もう先生と連絡がつかないので、それに17時過ぎは病院の電話は繋がらなくなりますので。」

と言う。

それで、待つことにした。


ごんたの迎えを、遅れる旨電話を入れた。

そして、結局1時間半後に、夫に迎えに行って貰った。

2時間後にゴンタ帰宅。

でも、連絡は来ない。

結局、昨日も、今日も来ない。


なんだか、このところ、


ああ、無情!

って気分です。

そして、今日、びっくりです。


腕を上げても痛くない。

腕の激痛も、肘の激痛も手首の激痛も、ほとんど消えています。股関節の痛みもほとんどなしです。時々、ツーンと針を刺されたような痛みが走るだけです。
更に、昨夜は、多少は、肩腕肘手首の激痛はあったものの、腰痛もありましたが、比較的よく眠れた感じがしました。

麻薬ならぬ魔(法の)薬ですね。


付記として


昨年の入院した時に、いろんな方と同室になりましたが、その時にお二人だけ住所交換をした方がいました。私の入院生活はそのお二人に支えられて心地よいものになったとも言えました。

実は、そのお二人とも、お亡くなりになりました。

私は、お二人の生き方に、あんな風に生きられたらいいなあ。と感心させられました。
決して、だれも責めない、恨まない、愚痴らない。穏やかで、にこやかで、・・・・・

お一人の方の1年忌が過ぎました。
亡くなる前日に外来で会った姿が、掛けて頂いた言葉、「お体大切に、気を付けて帰ってね。」と言う最後の一言が忘れられません。ご自身の足で歩いて帰られた後ろ姿が、勇気をくれました。
私よりも年も若く、お子さんも小さかったけれど、ご主人とお子さんが仲が良いので、何も心配はしていない。と言っていた。そして、彼女の友人の多さに、人徳を感じながら、きっと友人たちが残されたお二人を盛り上げてくれているだろうと思っている。

それでも、お母様との、1年忌の会話では、
「どんなにしても、生きていてこその母ですよ。どうぞ、どんな形であっても、生きてくださいね。一日でも長く生きてくださいね。」
との、メッセージを頂きました。

今までは、「中身の濃い、充実した立派な一生であり、最期でした。」と言っていらっしゃいましたが、初めての、母として、親としての本音なのでしょう。

難しいテーマですが、これはこれで、大切に戴いていきたいと思いました。












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お騒がせ~反復性耳下腺炎

2012年04月16日 | 家族
金曜日の夜にごんたの耳下腺が大きく腫れた。

おたふく?

ああ、大金払って男の子だからって予防接種しておいたのに・・・・。

着かなかったんだなあ。


土曜日に夫が連れて行ってくれた。

案の定、

診断は、「ムンプス」

ところが、行く前も、帰宅後も、夏ミカンやオレンジをバクバク食べている。

日曜日には腫れはすっかり消え、
「触っても痛くないよ!」

はあ~、今日は保育園のBBQがあったのに・・・・

しかし、大きな腫れの割には、最初から発熱もなく、ムンプスにしては変?です。


元気なので、公園に行こうの連発です。

仕方がないので、内職用にお菓子作りの材料を夫に買って貰いました。


そして、今朝、やっぱり変だと思って、また花子先生に飛んで行きました。

先生も、

「これは、反復性耳下腺炎だ!」

となり、じゃあ、治癒証明どうする。

ほんとは不要だけれど、園が納得しないよ~。


ということで、書いて貰いました。

反復性耳下腺炎と。


しかし、今までも、時々耳の下が痛いという事がありました。

更に、この前の頬の結節のときにも、耳が痛いと耳下腺が痛いと訴えていたんです。


そういえば、私も・・・・・



でも、晴れて、おたくふくで無くなったので、公園、公園、公園、です。





公園で見つけた、カラスの巣。ものすごくたくさんの針金ハンガーで作ってあります。

どこから拾って来たのでしょう?

更に、予備ハンガーを枝にきちんと同じ方向で重ねて下げてあります。

びっくりです。


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餃子作り~72個

2012年04月14日 | 健康・自然共生
ごんたと作った餃子
ごんたと、餃子を作りました。

全部で72個、作りました。

更に、具が余ってしまったので、生春巻きの皮で包み、

食べて良いかと聞きます。

これは火を通さなければならいからと言い聞かせ、

レタスやキュウリで生春巻きも作りました。


お料理と言うよりも、工作ですね。


その後焼いたのですが、

生春巻きの皮を焼くのは難しいです。

餃子もいつも、うまく焼けません。


ということで焼いた写真のアップはなしです。




家の近くの桜並木です。満開!


昔住んでいた家の桜を、見に行きました。

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ごんたのMRI~Part2(4月2日のこと)

2012年04月10日 | 家族
頸動脈に雑音が入ると言うことで、ずっと様子を見てきたのですが、

頭痛の訴えが結構頻繁なので、頬と首に結節が出来た後で、MRIの予定が入りました。


が、数日前に、眼の異常を訴えた。その後、やはり頭痛、微熱発。う~ん、インフルか、風邪か・・・・ベーチェットか?
インフルエンザにしては熱が低すぎです。でも、インフルエンザだったら、大学病院には連れて行けないし、

やはり、掛かり付けの隣町開業医に「インフルエンザの検査して~!」

と言ったら、大介花子の花子似の花子先生、

「鼻、熱、咽喉赤くない。これは、やはり、溶蓮菌でしょう!」
と、咽喉をぐりぐり。

ところが、マイナスです。


「どうする?」と、花子先生。


「木曜日に大学病院なので、どうしてもインフルエンザの検査して欲しいんだよね。」


5分もしないうちに出ました~。


と言うことでキャンセル。

4月2日に再診の予約を入れていた。


余談、


インフルエンザが良くなってから4月2日の受診のその間に、予防接種を入れました。


肘に湿布をしていったごんたに、

花子先生が、


「この年齢の子で関節痛を訴えるって変だよ~!なんか異常があるはず!」

と言うので、

「先生、だからこの前10日も熱が続いたときに紹介状書いてって言ったじゃない。先生書いてくれないから、他の先生に頼んだ。IgDがすごく高いから、可能性高いかもしれないって・・・・。頸動脈に雑音が入るからMRIするっていうことなんだよ。」

花子先生も、ごんたの頸動脈に聴診器をあてる。

「あれ、ほんとだ!シューシュー言っている!」

と言うことで、花子先生が、やっと信じてくれました。


話を戻すと、

2日のごんたの受診ですが、朝一でルンルン、自転車で行く。

ここで、次回のMRIの予約かと思っていたら、

「この後して、次回の受診時に結果でいいかな?」

私は、「へ???????」

10時半から別の病院で私が受診なんだけれど・・・・・

「ごめん、電話するの忘れてた~。受診の予約入れた後見たら空いていたので入れてしまいました。」

何時からかと聞くと、10時と言うので、20分で終わるから、11時には着で自分の病院に入れるかなと踏んだ。


前回、ごんたは、導入剤なしでできたものの、結局、一人でMRIを出来ませんでした。
良く言い聞かせたのですが、結局私が入室しました。
理由が、地下にあるためなんとなく薄暗いのですが、
「だって、暗いからお母ちゃんがお化けにさらわれたら困ると思って!」
の言い訳に、絶句しました。

今回は、ごんたは勇気があるから大丈夫だよね。と言うと、素直に頷いて入室。

お兄さんが入って下さいと呼びに来るのを、内心待っていましたが、
一人で検査をやり終えました。

今回もばっちり動かずに上手に出来たようです。

嬉しい反面、あまりに訊きわけが良くて、成長の速さに寂しかったりもします。



それから、ダッシュで帰宅し、子供会のお金の納入をして、保育園に送り、猛スピードで滑り込んだつもりでしたが、

病院から電話が入ってしまったようです。

目まぐるしい一日でした。

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復活!~CEAも下がった

2012年04月09日 | 家族










ハイジが、お母さんの手は血管がグニュグニュしていて、気持ち悪いよ~。

といわれて、初めて気がついた。

子どもの頃からずっと肉体労働ばかりしてきたので、血管も太ければ、血も濃い。

おまけに、血気盛んな家族環境で育ったので、すぐ頭に上るから、貧血なんて無縁なんだよ~。

って、

18Gも入る太い血管が唯一の取り柄って自慢してきたのだが、どうも他人は違うらしい。


「大丈夫だよ~。」
と言ったのですが、
「進行癌かも知れないから・・・・・」
って脅されて、しかたなく胃カメラしました。
CTも異常なし。

で、
「たぶん、腹痛や下肢痛の具合から、きっと下がっていると思うよ。」
と言ったら、
「じゃあ、もう一度採る?」
となった。

結果は、ばっちり、CEAは、下がっていました。

悪性なら下がらないからということで、めでたく消化器は終了となりましたが、

「数ヶ月に1回はリウマチ科で採ってもらってね。」

とのこと。



癌については、あまり心配もしていませんでしたし、たぶん癌と宣告されても、私のうちでは、
「あ、そう」
って感じなのかと思います。

ただ、昔のターミナルの現場にいたものとしては、壮絶な苦しみが・・・・

今は、かなり痛みや嘔吐の緩和ケアが進んでいるのではないかと期待しています。


めげめげ
の釈明をします。


3月下旬、いや、12月上旬からかもしれない。

ずっと、思ってきたことは、

これは何なのだろう?

ということです。

1月頃から、3月上旬までまったく寝られない日が続いておりました。
今まで、あまり腰痛を経験してこなかったのですが、腰なのか、臀部なのか、仙骨なのか、大腿なのか、とにかく、腰からが激痛で、夜がまったく眠れません。
シモンズベッドを購入し、上体に布団をかって、足を下げて寝ると言う形で寝てきたので、かなりの睡眠不足。上を向いても下を向いても、右左、どこを向いても身の置き場がないほどに激痛です。そうこうするうちに、今度は左肩の痛みと呼吸困難が襲ってきて、更に、肩だけでなく、腕、肘、手首、手の甲と痛みます。手の甲が痛むときは、上記のような血管が浮き出てきます。

この間にレントゲンも撮りましたが、異常なし。50肩も、可動域は問題なし。
セレコックスを処方されましたが、これが、夕食後に内服すると、入浴時に呼吸困難、胸痛が出てしまい、中止。

肘の痛みが疼くようになるとともに、腰痛は少し緩和されて、睡眠不足も解消。

そして、3月の受診で、

1年前の退院時のムンテラで、神経ベーチェットはないと言われていたのに、同じドクターから、神経ベーチェットの話をされたことが、一番の落ち込みとなりました。

特殊型で、神経だったらちょっとだけ厄介だなと言う気持ちはありました。自分は出来る範囲で工夫して、脳機能が衰えていく中でできるかぎりのことをしていくしかない。ただ、周りは混乱して迷惑かけるだろうなあ。と。

でも、ベーチェットと言う診断を貰う前から、おかしいと思うことが度々あり、開業医の神経内科や、精神科に何度も掛かってきたので、いっそのこと、あると言われたほうがすっきりするのになあ。と思って来ました。


また、前回の入院時にパニックと過換気を昔やっていたことがあるので、そのことで、一度精神科に掛かって欲しいと、リウマチ科から言われたのですが、精神科のドクターから、先に「神経ベーチェットがあります。今後、活動をなるべく抑えていけるように、お手伝いしたい。また、ベーチェット病態から、精神的に鬱になりやすいので、そちらのケアを受け持って行きたい。」と、先制打を打たれてしまっていました。

そのときの私の心の状態は、精神科は現状必要ないかなと思ったので、いづれ必要なときにはお願いします。と言いました。でも、最終的にリウマチ科からの説明は、特殊型はないという説明でした。

1年前には、ないと言われていたものが、1年後に、昔からある。と言われたのです。
神経ベーチェットがあるという事実よりも、

1年前のムンテラは何?
どうしてドクターは嘘をつくの?
髄液検査の結果だって、ILの結果は「調べていない」と教えて貰えていない。
でも、ステロイドを内服していても微妙に蛋白が高くて、検体凍結して、インターロイキンを調べるって言っていたのに。

というドクター不信に陥ってしまったのです。
これが、一番の落ち込みでした。

加えて、ステロイドが0になり、今まで不具合を感じていた股関節の不調や、足先の痺れも消えるかもしれない。そうしたら、階段の上りも元通り出来るようになるかもしれない。体調はとても良くなってきていたので、就職先も探さなきゃ。etc・・・・・
希望に燃えたステロイドゼロでした。

それが、0にした翌日の激腹痛~下痢~便潜血に戸惑いました。その後すぐに胃腸は治まったものの、今までにない腰、下肢の疼痛。肩や左腕の激痛。

これは、本当にどうにかして!

という気持ちでいっぱいいっぱいでした。

ネットの同病患者の経験に頼りました。そこで血管ベーチェットかも知れない。
とのこと。

ドクターに聞くが、大丈夫!と言われて診察は終了。

更に腫瘍マーカーの陽性反応。リウマチ科のドクターは、こちらも大丈夫!とのこと。
腫瘍マーカーは、自分でも大丈夫だろうという自信がありました。
腸の様子が変だったので、たぶん、虚血性腸炎ではないかと思っていました。
でも、検査に振り回されました。

こうなると、此処で、またまたドクターショッピングです。
しかし、

血管ベーチェットの確定診断は、難しく確定できる状態のときには、かなり進行してしまって手の施しようがないときでもある。

とのこと。


それで、やはり整形かもしれない。肩は50肩かも知れないと、もう一度開業医に掛かる。
肩は軽い50肩とのことでした。でも、こんな激痛が軽いのだったら重い人はどんな症状なのだろう。
と思います。

腰は、1月の時点では異常無しでしたが、椎間板がなくなっていました。こちらのほうが重症のようです。整形の先生に、ステロイドを再開したほうが良いのではないかと、リウマチ科の先生に相談するように言われました。

結局、時間が解決してくれるのかなと思います。


その間に、いろんな人のいろんな優しさに触れて、だんだんと癒されていくものなのだろうと感じます。


この落ち込みの間に、触れ合った方々に感謝しています。

ありがとうございました。

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明日から~取り戻された静寂

2012年04月08日 | 至福


上の二人はそれぞれのお稽古などでいない時間できる。
ごんたは、本当に一人遊びをしてくれない。
ので、公園へ行って、縄跳びをしたり、自転車に乗ったり、野球をしたり・・・・

したら、本当に50肩(実際は40肩なんだ。まだ50には程?遠い)になってしまった。

それで、また、お菓子作りをさせる。

ごんたが一人で作ったクッキーです。




昨夏行った横浜のはまぎん宇宙科学館
昨年夏に、時間が足りなかったので、また朝から行きましたが、閉館の音楽が流れるまで楽しんできました。それでも、足りない。




ハイジが、ごんたにお土産!って。
何かと思ったら、

かぼ電の運転席の写真。

かぼ電の写真も撮ってきました。


ハイジのひらめきというか発想はいつも面白いです。
そして、温かい。





ごんたと一緒に行った河原の散歩。
石を拾ったり、花を摘んだり、種を拾ったり・・・・

保育園の戸外遊びが少ないので、早めに迎えに行き一緒に遊ぶことにした。

4時を過ぎてのお迎えに行くと、4時っていう約束じゃあないの?と言われてしまいます。

とても、幸せの時間です。


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子供育成会~子供のための、子供による・・・・

2012年04月01日 | 家族
来年度の子供会の役員をすることになった。

今は、子供の人数も少ないのだが、役員を引き受けてくれる人も少ないらしい。

今まで、あちらこちらでたいそう迷惑をかけてきたので、

引き受けることにした。


安易に受けてしまって、びっくりした。

前住所地での活動と大幅に異なる。


子供たちが居住する地区の子供たちの活動、交流する為の、自治を行っているということに気がついた。

会のほとんど、すべてが5,6年生のリーダーが、会議を行い、準備をし、司会進行をし、会を進める。
凄い!唸りました。


これぞほんま物の子供会

将来、この活動が大きな財産となることだろうと、気がつきました。

目から鱗でした。
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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月から遅い方は3年も経ってから頭痛、めまい、不随意運動、麻痺などが出て来る方もいます。 もしかしたらと思われる方は、 下記まで 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 電話・FAX:042-594‐1337 ご連絡下さい。