アメブロwatosonさんのブログより~ ガン患者を持つ家族の苦悩と悲しみと怒り ~
2019-12-15
昨日は、義父を往診してくださっている主治医の先生からお電話を頂いて、
正直な思いの丈を伝えた。
薬依存になっていること。
麻薬としての本来の有効性が発揮されているとは思えないこと。
本人の訴えよりも動けていること、
麻薬や抗神経薬、眠剤等の使い過ぎによる認知症の徘徊の方が、現状の認知症以上に大きいと感じていることなどを伝えた。
薬の厳重管理のためにも、病院なり施設で調整が必要かということになった。
電話魔になって、夜中の電話が特に酷いらしく、薬局も、病院もお手上げのようで、先日も、メイン病院ではなく、義父が勝手に行ってしまった近医の総合病院からななんと、我が家の自宅に掛かってくるようにまでなっていた。「1日中何度も電話がかかってきて念押しするけれど、またすぐ忘れて掛けてきてしまう」とのことでした。
かなり前から、夫の叔父からも、電話と車の鍵を取り上げてしまうようにとは伝えられていた。でも、夫も義母も出来なかったのである。
今日は丁度そんなところに、いつも読ませて頂いているwatosonさんのブログにヒットする記事があったので、夫と、義母に読んで貰いたいと思いました。
一生懸命働いて、妻と、子や孫のためにどれほどのそこに生きがいを感じていたことでしょう。
8月頃には、それでも医師に社会復帰をしたいと伝える義父の意欲にびっくりしました。
11月には最後の義父の作った無農薬のサトイモの収穫を息子のごんた(義父にとっては孫)が、頑張ってくれました。
ごんたはまだ、130センチの身長しかありません。体重も25キロほどです。
それでも、一生懸命掘ってくれました。
自分が亡くなっても、派手で贅沢が好きで浪費家の母のことを、「俺が死んでも、妻が好きなものを食べて好きなものを買うだけの預金は残したつもりだ。妻の要求には惜しみなく使わせてやって欲しい。」
と心配していた。
自分は贅沢もせずにぼろをきて節約しながら、88歳までお金を稼ぎ、おしゃれな母を嬉しく誇りに思っていたんだろうね。
まだまだ、余命は何年もずっとあるのに、余命宣告をされただけで、不安になって、3月に宣告されて夏が越せないくらいに思ってしまうまじめで心配性な義父。
よほどのことがない限り我慢我慢、忍耐忍耐で病院には行かない私の実家の両親に比して、夫の両親は、夫も、西洋医学信奉者であり、製薬会社のいいお客である。
夫の祖母が、放射線とケモの苦しみから逃れて、治療を断念逃げて帰って来た時に、義母は、
「おばあさんは、がん治療をしないから、すぐに死ぬと思う。」と言っていた。
私と私の友人で夫の祖母の担当の看護師は、「○ちゃん(祖母の名前)逃げて帰って正解だったよね。」「うん、そう思うよ。」
と良く語り合っていたものだ。
勿論義父母にはそんなことは言えるはずもなくでしたが。
このところの薬依存と麻薬と眠剤やら不安薬やらを、主治医に減薬して貰ったはずなのが、近医のクリニックにあちらこちらいっては眠剤やら抗不安薬やら鎮痛剤やらを貰ってくる。底なしの泉のように薬(眠剤や抗精神薬系)が湧き出てくるのだ。主治医は出していなかった麻薬や沈痛神経薬、抗不安薬も、近医の総合病院からはしこたま出ていた。
まじめで一生懸命生きた義父に、あまり、不憫で寂しい悲しい思いをして欲しくない。薬剤で壊れて欲しくない・・・・。
最期まで正気で、明るく、暖かな家族に囲まれて生きて欲しいと思っている。
義父は、息子二人からも、あまりのわからずを言うので、素っ気なくされている。
私のところか、私が出ないと、次女の(孫)ハイジに電話をしてくる。
週末に義父のところに嫌がる夫を差し向けるのは、ハイジである。
じっくりと思いを込めたコーヒーを夫に淹れて、「息子に会いたい口実なんだよ。」と、チャッカマンを買ってくれとか、先週変えたこたつの向きが悪いからまた変えてくれ。とか、些細な用事を頼む義父のことを見通して、夫に頑張って行って来いとハイジが背中を押してくれます。
病人が出て大変だけれど、家族の暖かさや、大切さ、うれしさ、幸せをとても感じることができて、人生って、楽しいね。ついてる!って思えるのです。 そうそう、今日、ついてるだらけの私のお話を私の看護師さんにすることで、なんて私ってついているんだろう。を再認識しました。この奇跡的なお話は、番外編として次に書きますね。
2019-12-15
昨日は、義父を往診してくださっている主治医の先生からお電話を頂いて、
正直な思いの丈を伝えた。
薬依存になっていること。
麻薬としての本来の有効性が発揮されているとは思えないこと。
本人の訴えよりも動けていること、
麻薬や抗神経薬、眠剤等の使い過ぎによる認知症の徘徊の方が、現状の認知症以上に大きいと感じていることなどを伝えた。
薬の厳重管理のためにも、病院なり施設で調整が必要かということになった。
電話魔になって、夜中の電話が特に酷いらしく、薬局も、病院もお手上げのようで、先日も、メイン病院ではなく、義父が勝手に行ってしまった近医の総合病院からななんと、我が家の自宅に掛かってくるようにまでなっていた。「1日中何度も電話がかかってきて念押しするけれど、またすぐ忘れて掛けてきてしまう」とのことでした。
かなり前から、夫の叔父からも、電話と車の鍵を取り上げてしまうようにとは伝えられていた。でも、夫も義母も出来なかったのである。
今日は丁度そんなところに、いつも読ませて頂いているwatosonさんのブログにヒットする記事があったので、夫と、義母に読んで貰いたいと思いました。
一生懸命働いて、妻と、子や孫のためにどれほどのそこに生きがいを感じていたことでしょう。
8月頃には、それでも医師に社会復帰をしたいと伝える義父の意欲にびっくりしました。
11月には最後の義父の作った無農薬のサトイモの収穫を息子のごんた(義父にとっては孫)が、頑張ってくれました。
ごんたはまだ、130センチの身長しかありません。体重も25キロほどです。
それでも、一生懸命掘ってくれました。
自分が亡くなっても、派手で贅沢が好きで浪費家の母のことを、「俺が死んでも、妻が好きなものを食べて好きなものを買うだけの預金は残したつもりだ。妻の要求には惜しみなく使わせてやって欲しい。」
と心配していた。
自分は贅沢もせずにぼろをきて節約しながら、88歳までお金を稼ぎ、おしゃれな母を嬉しく誇りに思っていたんだろうね。
まだまだ、余命は何年もずっとあるのに、余命宣告をされただけで、不安になって、3月に宣告されて夏が越せないくらいに思ってしまうまじめで心配性な義父。
よほどのことがない限り我慢我慢、忍耐忍耐で病院には行かない私の実家の両親に比して、夫の両親は、夫も、西洋医学信奉者であり、製薬会社のいいお客である。
夫の祖母が、放射線とケモの苦しみから逃れて、治療を断念逃げて帰って来た時に、義母は、
「おばあさんは、がん治療をしないから、すぐに死ぬと思う。」と言っていた。
私と私の友人で夫の祖母の担当の看護師は、「○ちゃん(祖母の名前)逃げて帰って正解だったよね。」「うん、そう思うよ。」
と良く語り合っていたものだ。
勿論義父母にはそんなことは言えるはずもなくでしたが。
このところの薬依存と麻薬と眠剤やら不安薬やらを、主治医に減薬して貰ったはずなのが、近医のクリニックにあちらこちらいっては眠剤やら抗不安薬やら鎮痛剤やらを貰ってくる。底なしの泉のように薬(眠剤や抗精神薬系)が湧き出てくるのだ。主治医は出していなかった麻薬や沈痛神経薬、抗不安薬も、近医の総合病院からはしこたま出ていた。
まじめで一生懸命生きた義父に、あまり、不憫で寂しい悲しい思いをして欲しくない。薬剤で壊れて欲しくない・・・・。
最期まで正気で、明るく、暖かな家族に囲まれて生きて欲しいと思っている。
義父は、息子二人からも、あまりのわからずを言うので、素っ気なくされている。
私のところか、私が出ないと、次女の(孫)ハイジに電話をしてくる。
週末に義父のところに嫌がる夫を差し向けるのは、ハイジである。
じっくりと思いを込めたコーヒーを夫に淹れて、「息子に会いたい口実なんだよ。」と、チャッカマンを買ってくれとか、先週変えたこたつの向きが悪いからまた変えてくれ。とか、些細な用事を頼む義父のことを見通して、夫に頑張って行って来いとハイジが背中を押してくれます。
病人が出て大変だけれど、家族の暖かさや、大切さ、うれしさ、幸せをとても感じることができて、人生って、楽しいね。ついてる!って思えるのです。 そうそう、今日、ついてるだらけの私のお話を私の看護師さんにすることで、なんて私ってついているんだろう。を再認識しました。この奇跡的なお話は、番外編として次に書きますね。