よろしくお願いします。
自転車で走っているといろいろな所に行くわけだしその場所には必ず地名があります、その地名についていろいろと思いを張り巡らせることは楽しいことです、今回はその手始めに一番身近にある奈良の地名をいろいろと取り上げてみます。まず1番目のゾーンでは難読地名、まあどこにでもあるのですが奈良にももちろん、他府県の人は当然、奈良県民でさえも読めない地名が多くあります。交差点やバス停ではローマ字表記で読み方が分かりますが、ここに並べた中でも一番分かりにくいのが写真5番目、6番目にある「薑」と言う地名、「hazikami」と読みます。薑とは生姜のことで、葛城市のページによると↓↓↓
「「大和志」では「日本書紀」履中天皇即位前紀にある「攪食の栗林(かきはみのくるす)」の攪食(かきはみ)が転訛して薑になったと思われます。小字栗坪は栗林と関係があったのかもしれません。」
とのことです、漢字は「くさいったいったいち」で割と覚えやすいのですが読み方はなかなか覚えにくい、奈良でも一番の難読地名です。一方奈良市の東に当たる地域にも難読地名がズラリ、写真にある忍辱山、鹿野園の他にも「誓多林」「菩提山」と一筋縄では読めない地名があるが、これは「菩薩の修行すべき六つの徳目をあらわす菩薩行六波羅蜜」から来ているとのこと、ここでも前に紹介したことがある円成寺、正暦寺はこの地名を山号としている寺院です。
県内の地名で日本一周・・・とは言わないが奈良には旧国名を名乗っている地名、駅名、バス停名を各所で見かけます。まあこれだけいろいろと見かけると偶然では済まされない、と言いたいところですが走っているうちは自然に通り過ぎていた町ばかり。特に地名など気にしていなかったのですが、とある奈良県外の人のブログで旧国名を名乗っている地名が多いと述べられていて、それ以来意識して走ってみると確かにあるわあるわ。上に並べた写真の他にも桜井市には吉備・・・以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所・・・、その他にも各所に散らばっているよう、となると何でや?と言うことで調べてみると↓↓↓
「藤原京の造成にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています、藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国の出張所などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多い」
とのこと。確かに旧国名地名は横のラインになる桜井市、北の三宅町、南の高取町など藤原京がある橿原市を取り巻くようにして点在している、奈良市の中心部近くでは見かけないからやはり藤原京が関係しているみたいです。ここに挙げたのは一部で全部で50近くあるとのこと、まだまだ奈良盆地で日本一周巡りは続きそうです。
最後のゾーンは走りの中で見つけた地名いろいろ、ここで以前に取り上げた所もいくつかあります。写真下から4枚目「天理町」とあるのは大和郡山市、天理教の詰所があるからこの地名となったようですが、天理自体は地名ではなく宗教名、それが市名になったわけでその辺りはトヨタの豊田市と同じと言ったところでしょうか。その天理町交差点から入った所にあるのがその下の写真にある大阪口バス停、ここは大和郡山城外堀跡にあり、城の玄関口はもう大阪を目指していたとのことでしょうか。一番下にある新庄バス停、今は葛城市になったが以前は新庄町と言っていた所ですが、写真を撮ったのは新庄剛志が日本ハム(F)の監督になった時だったと思います。山形にも新庄市がありますがこちらは関ヶ原の合戦前にここに新しい城が建てられ、合戦後にはこの辺りに商工業を中心とした街が造られて「新庄」と呼ばれるようになったとのことです。巡れば巡るほど奥が深い地名巡り、これからも続けて行くこととしましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
自転車で走っているといろいろな所に行くわけだしその場所には必ず地名があります、その地名についていろいろと思いを張り巡らせることは楽しいことです、今回はその手始めに一番身近にある奈良の地名をいろいろと取り上げてみます。まず1番目のゾーンでは難読地名、まあどこにでもあるのですが奈良にももちろん、他府県の人は当然、奈良県民でさえも読めない地名が多くあります。交差点やバス停ではローマ字表記で読み方が分かりますが、ここに並べた中でも一番分かりにくいのが写真5番目、6番目にある「薑」と言う地名、「hazikami」と読みます。薑とは生姜のことで、葛城市のページによると↓↓↓
「「大和志」では「日本書紀」履中天皇即位前紀にある「攪食の栗林(かきはみのくるす)」の攪食(かきはみ)が転訛して薑になったと思われます。小字栗坪は栗林と関係があったのかもしれません。」
とのことです、漢字は「くさいったいったいち」で割と覚えやすいのですが読み方はなかなか覚えにくい、奈良でも一番の難読地名です。一方奈良市の東に当たる地域にも難読地名がズラリ、写真にある忍辱山、鹿野園の他にも「誓多林」「菩提山」と一筋縄では読めない地名があるが、これは「菩薩の修行すべき六つの徳目をあらわす菩薩行六波羅蜜」から来ているとのこと、ここでも前に紹介したことがある円成寺、正暦寺はこの地名を山号としている寺院です。
県内の地名で日本一周・・・とは言わないが奈良には旧国名を名乗っている地名、駅名、バス停名を各所で見かけます。まあこれだけいろいろと見かけると偶然では済まされない、と言いたいところですが走っているうちは自然に通り過ぎていた町ばかり。特に地名など気にしていなかったのですが、とある奈良県外の人のブログで旧国名を名乗っている地名が多いと述べられていて、それ以来意識して走ってみると確かにあるわあるわ。上に並べた写真の他にも桜井市には吉備・・・以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所・・・、その他にも各所に散らばっているよう、となると何でや?と言うことで調べてみると↓↓↓
「藤原京の造成にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています、藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国の出張所などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多い」
とのこと。確かに旧国名地名は横のラインになる桜井市、北の三宅町、南の高取町など藤原京がある橿原市を取り巻くようにして点在している、奈良市の中心部近くでは見かけないからやはり藤原京が関係しているみたいです。ここに挙げたのは一部で全部で50近くあるとのこと、まだまだ奈良盆地で日本一周巡りは続きそうです。
最後のゾーンは走りの中で見つけた地名いろいろ、ここで以前に取り上げた所もいくつかあります。写真下から4枚目「天理町」とあるのは大和郡山市、天理教の詰所があるからこの地名となったようですが、天理自体は地名ではなく宗教名、それが市名になったわけでその辺りはトヨタの豊田市と同じと言ったところでしょうか。その天理町交差点から入った所にあるのがその下の写真にある大阪口バス停、ここは大和郡山城外堀跡にあり、城の玄関口はもう大阪を目指していたとのことでしょうか。一番下にある新庄バス停、今は葛城市になったが以前は新庄町と言っていた所ですが、写真を撮ったのは新庄剛志が日本ハム(F)の監督になった時だったと思います。山形にも新庄市がありますがこちらは関ヶ原の合戦前にここに新しい城が建てられ、合戦後にはこの辺りに商工業を中心とした街が造られて「新庄」と呼ばれるようになったとのことです。巡れば巡るほど奥が深い地名巡り、これからも続けて行くこととしましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち