よろしくお願いします。
今回は季節ネタ、この週末に秋の終わり~冬の始まりを探しに近場をチョイ走りと行ってきました・・・ってそれが何でこのタイトルやねん?ここで記している「ひつじ」とは「めぇ~♪」ではなく「穭」のこと、ちょっとやそっとでは読めない感じですねえ、と言うことでwikiからの引用↓↓↓
「稲刈りをした後の株に再生した稲、いわば、稲の蘖(ひこばえ)である、俳句においては秋の季語である。」
春の終わりに植えられた苗が夏は青々と稲と育ち、初秋には穂をつけて田んぼは緑一面に覆われる、その後稲が刈られて田んぼはくすんだ茶色になって冬を越すことになる、と思ったら何か芽が出ていて一面が緑色に覆われている。これまでは何気なく見ていて何か緑色やな~、と思っていたが、奈良テレビでこれを「ひつじ」と言って秋の終わりから初冬にかけての見頃と紹介していた。色のない季節に色がある風景を見られるのはありがたいこと、と言うことで今回見に行って来たわけですが、実はこのひつじ、農業事業者にとっては害虫増加の要因となるためにあまりありがたくないみたいです。
奈良テレビの番組ではひつじと共にこの時期の見所として天理市の親里大路の銀杏並木も紹介していました、まあ昔天理市に住んでいたものにとってはそれがテレビで紹介するほどのものなんか、と思うところもあり、それじゃ~という感じで行ってみることとしました。イチョウは天理市の木にも制定されているが、さすがにその代名詞のごとく市の中心部にはイチョウの木が並び立ち、風に吹かれて黄色の葉が歩道に降り積もっていた。車道は車が多く歩道を行かなければならないが降り積もった葉の上は滑りやすい、ここはゆっくり進んで行くことに、そこに掲げられた看板には車道に出ての撮影は控えるようにとの注意、市もここが観光の見所になっていることを承知しているからだろう。親里大路は天理教本部に続く道で周辺には詰所や天理教関係の施設が建ち並ぶ所、宗教が絡むとどうしても畏れの気持ちが出てしまって足踏みしてしまいそうだが、天理は昔住んでいたことがあるだけにそれほど畏れを感じることはない、ただこの道のありふれた光景が観光地になったことに時代は変わったんやな~、と感じました。
チョイ走りはいつもの稗田環濠から京奈和自転車道、馬見丘陵公園で月一来訪の後は田原本町へといつものコース、毎回通る所は見慣れた風景だが見飽きた風景にはならない、季節ごとに違う表情が見えて毎回が再発見となる。今回走っていて偶然立ち止まった所で畝傍山と耳成山がぴったりと重なったシーンを見かけた、これまでは二つの山が並んだ風景は何度も見たことはあったが、これほど重なったシーンを見たのは初めて、この場所でしか見られない光景だろう。帰りも田んぼが多い所を走るのでひつじは自然に目に入ってくる、これまでは何気なく見ていた風景も「ひつじ」と言う名前がある光景だと分かると違った意識で見えてくる、多分来年もこの風景を求めて走ることになるでしょう。でもこの光景ももうじき見納め、これからは本格的な冬の風景となってしまう、春が待ち遠しいと言うよりも冬にはこんな風景が、との発見がこの冬の走りの中でできるでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
今回は季節ネタ、この週末に秋の終わり~冬の始まりを探しに近場をチョイ走りと行ってきました・・・ってそれが何でこのタイトルやねん?ここで記している「ひつじ」とは「めぇ~♪」ではなく「穭」のこと、ちょっとやそっとでは読めない感じですねえ、と言うことでwikiからの引用↓↓↓
「稲刈りをした後の株に再生した稲、いわば、稲の蘖(ひこばえ)である、俳句においては秋の季語である。」
春の終わりに植えられた苗が夏は青々と稲と育ち、初秋には穂をつけて田んぼは緑一面に覆われる、その後稲が刈られて田んぼはくすんだ茶色になって冬を越すことになる、と思ったら何か芽が出ていて一面が緑色に覆われている。これまでは何気なく見ていて何か緑色やな~、と思っていたが、奈良テレビでこれを「ひつじ」と言って秋の終わりから初冬にかけての見頃と紹介していた。色のない季節に色がある風景を見られるのはありがたいこと、と言うことで今回見に行って来たわけですが、実はこのひつじ、農業事業者にとっては害虫増加の要因となるためにあまりありがたくないみたいです。
奈良テレビの番組ではひつじと共にこの時期の見所として天理市の親里大路の銀杏並木も紹介していました、まあ昔天理市に住んでいたものにとってはそれがテレビで紹介するほどのものなんか、と思うところもあり、それじゃ~という感じで行ってみることとしました。イチョウは天理市の木にも制定されているが、さすがにその代名詞のごとく市の中心部にはイチョウの木が並び立ち、風に吹かれて黄色の葉が歩道に降り積もっていた。車道は車が多く歩道を行かなければならないが降り積もった葉の上は滑りやすい、ここはゆっくり進んで行くことに、そこに掲げられた看板には車道に出ての撮影は控えるようにとの注意、市もここが観光の見所になっていることを承知しているからだろう。親里大路は天理教本部に続く道で周辺には詰所や天理教関係の施設が建ち並ぶ所、宗教が絡むとどうしても畏れの気持ちが出てしまって足踏みしてしまいそうだが、天理は昔住んでいたことがあるだけにそれほど畏れを感じることはない、ただこの道のありふれた光景が観光地になったことに時代は変わったんやな~、と感じました。
チョイ走りはいつもの稗田環濠から京奈和自転車道、馬見丘陵公園で月一来訪の後は田原本町へといつものコース、毎回通る所は見慣れた風景だが見飽きた風景にはならない、季節ごとに違う表情が見えて毎回が再発見となる。今回走っていて偶然立ち止まった所で畝傍山と耳成山がぴったりと重なったシーンを見かけた、これまでは二つの山が並んだ風景は何度も見たことはあったが、これほど重なったシーンを見たのは初めて、この場所でしか見られない光景だろう。帰りも田んぼが多い所を走るのでひつじは自然に目に入ってくる、これまでは何気なく見ていた風景も「ひつじ」と言う名前がある光景だと分かると違った意識で見えてくる、多分来年もこの風景を求めて走ることになるでしょう。でもこの光景ももうじき見納め、これからは本格的な冬の風景となってしまう、春が待ち遠しいと言うよりも冬にはこんな風景が、との発見がこの冬の走りの中でできるでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち