今日は一日中雨だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/39/60280fef1c9ebba70a764021c189edce.jpg?1574434319)
亡き母の誕生日だった
生きていれば89歳
朝、コーヒーをお供えして
夜、茶碗蒸しをお供えした
誕生日にはいつも
茶碗蒸しをつくってあげていたから
誕生日も今年で最後ね
そう、今年で最後ねと
繰り返していた日々は
まだ、元気だった証拠の日々
最後の最後は
痴呆症の症状から
三日三晩起き続け
挙句に寝込んでしまったために
最後の誕生日の茶碗蒸しも食べられないほどだった
もし、いつものように
ニッコリ笑って
これで最後だねと言いながら
茶碗蒸しを食べていたら
本当に最後の茶碗蒸しとなって
私も心残りがなかったものを
体はそこにあっても
食べることができない誕生日だったなんて。
2年前の誕生日の日から
天国へのカウントダウンは始まっていたことを知る由もなかった
最後の茶碗蒸しが食べられなくて
心残りで
あれから、毎年、お供えしてる。
これは、母のためではなく
私自身が納得したいだけなのものかもしれない。
亡くなった人の歳は数えるもんじゃないと言うけれど
お化けくらいの年がめぐっても
多分、私は数え続けると思う
茶碗蒸しを添えながら、、、。
あなたが居たから
私が生まれた
あなたも、その親がいたから
生まれてきた
その繋がりは誰もが特別で
当たり前なんかじゃない
奇跡と奇跡の繋がりだよね。
この世の全てだと言ってもいいよね。
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あなたが居たから
私が居る
あなたで良かったと思えるならお母さんは幸せ者だと信じます
私はバツイチです
でも子供達を父親に会わせ続けた
大人の事情に子供は関係無い
そう思っていたから
親が子供を選ぶのでは無く
子供が親を選ぶ権利が有るから
でも娘は成長する段階で
何かを悟った
その夜娘を向かえに行くと
帰りの車の中で娘が言った
「私はあの人が父親なら、お父さんなんか要らない!!」
その時私は娘に言った言葉は
「あの人が居たから、今あなたはお母さんの隣にいるんだよ!、それだけは忘れないで欲しい」
そう話した
あなたの言葉
凄く大切な言葉ですね
読ませて頂き
久しぶりに思いだしたした
ありがとうございました
はじめまして!
コメントありがとうございます。
そうでしたか。
様々な立場、環境、心境の中で
色んな思いをされたことでしょうね。
じつは、私も決してよい親子関係ではなかったのです。
親は離婚はしなかった。
ですが、離れ離れで暮らしたり、喧嘩の中で、私が色んな思いを抱えてしまったことに親を恨んでいたこともありました。
そんな人様に誇れるような親ではなかったのは事実ですが、
しかし、その2人から、私が生まれたのも事実です。
一度、長い間恨んだ親を介護して看取ることは
『許す』ことのほかと、事実の繋がりだけになります。
ad05220428さんが
娘さんに言葉を放ったとき、
お辛かったことでしょう。
きっと、長い月日を得て、娘さんが言葉の意味を知る時がくることを願っています。
私も同じことを母との会話で交わした経験者として申しています。
生意気だとは取らないでくださいね。
沢山の思いを書いてくださって、聞かせて頂いて、ありがとうございました。