湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

姫だるまのお供養

2018-10-27 10:32:06 | 日記
昔、四国の療養所で
兄が病気で亡くなった。
思えば、この時も
私は兄の手を握り、最期を看取ったことになる。

兄がいた病棟には
全国からその病気の若者が集っていたが
多くは、近畿、四国の者が多かった。

同じ年頃
同じ病

仲間意識が、普通の友情を超えたものだった。


動けないからこそ、
明日をもしれぬ体だからこそ
我が身よりも、人の体を思う時もあり
それでも、現実はとてもとても
神さまがこの世にいらっしゃるなんてことが信じられない状況の中
それでも、懸命に生きようとしていた若者たちがいた。
短い命を慈しむように生きていた。


兄の親友が
そんな中、息を引き取った。
兄はしばらくは、落ち込んでいた。
おそらく、親友を亡くしたことと
我が身の順番ということについて考えていたのだと思う。


うちの両親も、
兄の親友の親御さんを心配し、
あれこれと声をかけていた時のこと。


お世話になった気持ちと
せめて、うちの兄だけでも、長生きできますようにと、その親御さんから頂いたのが
愛媛県道後に伝わる『姫だるま』だった。





『松山の伝統工芸品。
子どもが遊ぶと健やかに育ち、病人が飾ると起き上がるのが早くなると言われており、結婚祝いや出産祝いなどに贈られることが多い。なお一般的な日本の「だるま」は張り子の人形で手足がなく、赤い衣装を着た僧侶の姿をしており、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作られている。「姫だるま」のように女性をモデルにしただるまは珍しい。』と説明されている。





その、姫だるまを頂いてから
一年もせずに兄は逝った。
26才だった。



両親は、
色々な思いがあったのだろう
ガラスケースを作り
その『姫だるま』を大切に飾っていた。


痛いほどの親の思い。
亡くなった親友の親御さんから
いわば戦友、同士から引き渡された思いと
我が子の死を受け入れるのに
どれだけの苦しさがあっただろう


そして
うちの両親が亡くなり
姫だるまが遺った。


私は何をなすべきか。


私は自分の代で全て引き継いで
『仕舞い方』を終える役目があると思っている。
自分の子供には、それを残しておけない思い。


やっとわたしにも
決心がつく時が来た。


姫だるまは、由緒あるお寺にお供養に出すこと。


不思議なもので
いくらネットが便利な世の中になっても
探せども探せども見つからないもの


何かのチカラに導かれるように
見つかる時には見つかるもの


決心の気持ちがそれを、呼ぶのか
それが見つかるから決心できるのか


不思議な心の動きかた。


そのお寺に連絡をして
郵送できることを確認して
荷造りを終えた。


もう少し
私に余裕ができたなら
いつか、そのお寺にも
お参りに行くことも決心に添えて。








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