湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

兄の命日の日のこと

2020-10-07 22:35:00 | 日記
先日、3日は、兄の命日だった。
亡くなってから、
早いもので、39年の40年目。

兄は26歳の若さで病気で逝った。
自分が26歳を超えるとき
これでいいんだろうか
いいんだよね。
そうした確認のような気持ちがあった。

若く親を亡くした人は、
親の歳を超えるのが怖いのだと聞いたことがある。

兄妹でも、それに似たことは起こるのだと思う。

まだ、母が生きていた頃。
もう、兄の命日を迎えるのは
本当は母にとって最後だった。

その日、命日の私と母のやりとりを
書いたものが違うSNSで上がってきた。

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もう、長い間の月日がたってしまって
何回目の命日なのかさえ忘れてしまっている。

痴呆がかかった母は
今年初めて、兄の命日を忘れていた。

私が代わりに
兄のご仏前に花やお菓子をお供えをした。

母の介護疲れもあって、
父は数日、寝込んでいたが、
やっと起き出したので
もう何回もパスしていたデイサービスに
出かけるよう勧めて
やっと行く気になって出かけていった。

母と私
痴呆が入っていても
母たるものは母で
何故か私に
父がいないので、ゆっくりするように促す。

どっちが病人かわからないのには
笑ってしまうじゃないの。

ちょうど良い機会だからと
facebookのお友達が
セピア色の写真の旅をしているのを
真似してみようと
母と昔のアルバムを見ることにした。

わらわらと泣き出したり
喜んだり
期待したほどの昔話はでてこなかったけれど
ベッドで2人
顔を見合わせ
耳に口をつけて話かけたりと
あたたかな時間を過ごすことができた。

何故か私の頭の中で
山口百恵ちゃんの『秋桜』と
さだまさしさんの『主人公』がぐるぐるしてる

♪時には 思い出行きのガイドブックに任せ
あの頃という名の駅で降りて  昔通りを歩く〜♪

♪ こんな小春日の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で居させてください♪ 


しかし、私の写真が皆無に近い
それに、あったとしても難しい顔をしてる。
幼少期の家庭内の暗さったらなかったもんだね。
それが、私の顔に現れてた。


兄の写真は、やはり、長男である事と
命が幾ばくもないと言われたせいなのか半端なく多い。

じゃ、私はやはり
放牧状態で
小さい時から
1人で生きなさいって言われ続けていたことが
この皆無に近い写真の数が表していたのかな。

それでも
今では何でも笑っちゃう

一枚だけ
私が高校一年のころだろう
兄と近くの夏お祭りに出かけたときのものを
見つけることが出来た。
土のグランドを
兄を車椅子に乗せて
車両が土にめり込む。
重くなりながら、それでも
兄に夜店を味合わせたいと思ったものだ。
のちに、この情景は
夏休みの作文になり
学校の何かの出版物になり
どこかの大会に出されたことはおぼえているが、なんの賞だかわすれてしまった。

その兄と写真を見つけ
感慨にふけっている横で

母は、
さすが、関西のおばちゃんを演じていた。

母は、自分の結婚式の写真を見つけて
『あー、この花嫁さん、うちやけど
なかなかイケてるやんなぁ、綺麗やん』

はい、
参りました(笑)

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この頃はまだ
痴呆症といっても、
薬でなんとかマシな日があったり、
私を病院のスタッフと間違えたり。

明日は誰に私はなるのだろうと
女優のアドリブのごとく
対処しながら
気遣いながらいたんだっけ。

一つの部屋に一緒にいるだけで
『そこに居る』
それこそ、存在理由

悲しいことも
嬉しいことも

過ぎてみれば
兄のことも
母のことも
父のことも

もう、笑顔しか思い出せない。

やっと、そんなふうになれた。

涙はまだ、抑えることはできないけれど、
あの頃の涙と
今の涙は
全く違うもの。

『今日も元気にしてる?』
毎朝、毎晩に
3人の名前を呼ぶときに 
聞いてしまう。

どうか、幸せにいてね。

笑っていてね。








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