今月に入ってすぐに
義母の入院している病院に行ったのだけど
本当はすでに
この日にちは押さえていたものだった。
うちの相方の同窓会に合わせての帰郷
数日前から入院した義母の
良くも悪くもタイミング
さては危なければ
私が居残って病院通いをしなきゃなんて思いながらの帰郷だった
しかし、
状況は最悪から脱したとは言え
まだ、余談は許されないと言われたけれど、面会した義母は
思いのほか元気だった。
そのせいか、私も
婦長さんと
気兼ねなく話したり
老人施設のスタッフさんと
意気投合したりして
自分では、良いコミニュケーションが取れたと思った。
しいては、
義母がお世話になる方々との
心を近づけていれば
これからの連絡や思わぬ事態への
防御線になると思ったから。
いかんせん
私は先に介護をし、我が親を入退院させ、医療と介護との狭間を見てきたし、何を連絡の一番とするかは、
多少、うちの相方よりも経験値が高い。
その上で、
看護師さんや、スタッフさん達と話ができるし、あちらも、そのように
突っ込んだ説明もしてくださるので、とても助かった。
帰郷して、二日目は、
相方は、同窓会
私は息子の運転する車で『糸島』へ。
その話はまた、後日として
今日は、3日目、帰る日を迎えた日のこと。
病院で、義母の寂しげな姿に
元気づけ、春に再来することを約束したあと、少しの時間が出来た。
お天気は澄み切った晴れ
今は誰も住んでいない実家へと車を走らせた。
来るたびに、家の片付けに始終していたが、あとに残されたものは、
義母のものだけにしてある。
いずれは、それも片付けなきゃいけないことになるだろうが
本人がまだ元気なうちは、
処分する気さえ起こらない。
叔母に家の管理を任せてあるので
綺麗にはしてくれてある。
さぁ、ひと通り見て、帰ろうとした瞬間、家の庭の隅っこに
たわわにみのる柚子達
相方は、私の言わんとすることがわかったように、段ボールを探し始めた。
柚子を何個取っただろう
ずっと昔、私が選んで送ってあげた果物の、中くらいの空箱に
柚子が入るだけ詰めようと。
詰めながら思った。
家主は、いなくとも
こうして、実がなる
木は自然の摂理でしかないのかもしれないけれど、
義母がこの場に居たら
『取っていきんしゃい』と
きっと言うだろうと思った。
50個ほどあっただろうか。
宅急便で送ることにした。
佐賀からは、2日がかりのこと。
自宅に着いてから
そのあと、柚子は到着した。
ご仏壇の義父に
2つばかり
『家の庭の柚子、もらってきたばい』と、お供えした。
さぁ、私はこれで
『柚子胡椒』を作ろう!!
しかし、青いとうがらしはみつかっても、赤いとうがらしは、どこに行っても手に入らなかった。
赤い柚子胡椒を作る難しさは、赤い生のとうがらしを見つけられるか⁈
そこにかかってるといえるだろう。
自宅の柚子が何故か2年続けて不作で、今年は、星の形の花をたくさん付けたけれど
あまりに巨大化した柚子の木を
半分ほどに切り詰めたのがいけなかった。
実は5つほどしか取れなかった。
残念なことをしたと後悔したが、先にたたず、、、。
いただいてきた柚子は、
すでに乾燥された赤とうがらしの粉で柚子胡椒を作ることにした。
柚子の皮
とうがらしの粉
塩
砂糖
柚子の絞り汁
攪拌して、作り終えた。
生のとうがらしの扱いは強烈な匂いと、指先の痛みを伴うことを思えば、楽な作業だった。
しかし、風味も辛味も落ちる。
けれど、柚子胡椒は出来た!
消毒したジャムの瓶、数個に入れ分けて、冷凍室へ。
今年も、鍋が柚子胡椒によって旨くなる!!!
お義母さん、ありがとう。
あなたからの手土産だよ。