三公園から断橋を通り過ぎて、北山街へ。
北里湖周囲は未だに古い佇まいをもった建物が点在している。
内部がリフォームされて博物館やスタバに変身している建物もある。
▼西湖の北、北里湖と宝石山
北里湖北岸に沿った道、北山街(路)は30年前は路線バスが時折、
本当に時折通るだけだった寂しい道だったが、現在は路線バスや
長距離バス、観光バス、タクシー、マイカーが往来する賑やかな
通りになった。
日没後の北山街は、渋滞した車のテールランプが西湖を彩る
イルミネーションのようで結構綺麗ですよね~。
三公園方面から西湖越しに見るとgood!です。
▼北山街/北里湖の向こうに白堤が見える
▼葛岭(かつれい)/7、27、51、117、118路の停留所
北山街のバス停、葛岭(かつれい)を過ぎると宝石山に入る道がある。
この道、駐車場の手前で分かれ道があり、分かれ道は途中から
切通しのようになっていて幾分風情があるかな。
▼分かれ道は途中からこんな感じ
▼牌坊を潜って上がっていくと保俶塔方面
右側の崖には仏が彫ってある
保俶塔(ほうしゅくとう)は宝石山山頂に建つ7層の塔で、細身で優美な
ことから美人に例えられる。塔の始まり、由来は色々あるが、
代表的なものは呉越王・銭俶(せんしゅく)にまつわるもの。
それは安史の乱以降、分裂した中国を宋が統一しようとしていた頃の話。
宋の開宝年間(968〜976年)、銭俶(銭弘俶)が宋の太祖・趙匡胤(ちょう
きょういん)に招聘され、都・開封に赴く事になった。
銭俶の叔父・呉延爽(ごえんそう)はその無事の帰還を祈って、9層の
宝塔を建立した。これが、保俶塔の始まりだという。
書かれているそうだ。
皇帝は宋の都・開封に移された。呉越王・銭俶(せんしゅく)は、次は
自分の番と、開封に連行されることをとても恐れていた。
そうこうしているうちに銭俶も開封に招聘された。
滅ぼされたので、行かない訳にはいかない。
無事杭州に戻る事が出来た。
▼保俶塔
また、西湖にまつわる伝説もある。
昔、西湖に一匹の妖怪が居て、風や波を興しては民衆を害していた。
これを知った銭俶は3本の矢で妖怪を退治した。
民衆はこの事を忘れないために宝石山の上に塔を建立し、保俶塔と呼んだ。
▼保俶塔から西に進むと岩の間を通る細い道がある
▼宝石山の北側はビルが建ち並ぶ
▼南側は西湖
岩場を上がると西湖が一望できる。
この辺りの岩場が蛤蟆峰(がまほう)。
▼西湖と白堤
▼早朝に登ると舟も観光客も居ない西湖が見られる
▼白堤から望む宝石山
▼蛤蟆峰(がまほう)にズームイン…結構危ないところだよね。