カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

ビルマの竪琴

2008-02-15 14:07:15 | つれづれなる想い

もう20年以上も前になるけれど、僕は院に通いながらも、とある横浜の進学塾で週二回の講師のバイトをしていた。


ここは今でも超有名な中学受験の進学塾。
仕送りだけでは酒代が出なかった、一応学校も忙しいし、車代もかかるし、という理由で応募した。


プレゼン恐怖があるので、試験は受かったものの、模擬授業は(それまでの町での塾講師経験などもくんで下さったのか)免除してもらって合格した。


週二回、4時から9時までで月10万というのは当時の僕にはありがたかった。


授業の日は研究室には行くものの、自分の机で手作りプリント作りに熱中していた。


当時僕はいつも一番下のクラスを希望して教えていた。
(それでもそれぞれの小学校ではおそらくかなり上位の子達)
それでも50人なんて子どもを前にするのはかなりの緊張だった。


講師も、学生はあまりいなくて、司法試験を目指しつつ、みたいなもっと年上の人が多く、10人くらいが毎日来ていて、講師室ってところでお茶飲んだりおしゃべりしたりしていた。


ただ、僕はそういうところは緊張してしまうし、子どもたちといた方がかえって楽しいので、ほとんど講師室にはいないで、もっぱら教室にいて、子ども達とおしゃべりしたり、質問に答えたり、授業の合間の休み時間も戻らずにいた。


そのうちに他のクラスからもプリント下さいなんてわざわざ来てくれる子なんかも出始めて、質問もいつも10時くらいまで付き合っていたな。


講師室に戻る頃にはもう誰もいなかったっけ。


(僕は)そことアパートと学校の3ヶ所にしかいない、と友達にはすでに言われ始めていたけれど。(もう皆と飯を食いにも行けなくなっていた)


そんな頃、この映画がテレビで放映される日があった。
その時が多分テレビ初登場ではなくて、僕は一度見ていたように
思っているのだけれど、子ども達に、この水島上等兵の話をし
「今日は帰ったらこの映画を見てご覧」って言った。


つい昨日のようだ。

埴生の宿の旋律もまた素晴らしかった。


今日は亡くなった市川崑監督を偲びつつ、これを見ようと思う。