
昨日は実家へ。途中でビッグマックセットを買っていった。一昨日の疲れで体が重い。
母ちゃんはデイサービスで留守。
親父と自然農の話から、環境問題など途中熱くなるのを抑えつつも、5時間ほどしゃべって(討論して?)きた。
僕もまだ自然農に関しても、わずか二ヶ月のにわか仕込みの頭でっかちの素人。
父も元化学屋で、サラリーマン時代は石油プラントの建設で世界中をかけめぐっていて(主にアルジェリアなどの北アフリカが長かった)肥料関係にも詳しい。
毎日早朝から、狭い自宅の庭でランなどの鉢物の栽培にいそしんでいた。
知識が豊富だからやりにくい。
「は?自然農?何それ、よくわからんけど面白そうだね」・・・じゃない。
「そのやり方ではとても作物が育つとは思えない。NPKを始めとしたマテリアル(物質の)バランスが崩れてしまうはず。
虫を敵としなければ、千坪で虫のエサを作るのか?そもそも亀山の場所にしても、荒れた広い農地が始めにありきで、リフォームしてでも借りたいという動機が理解できない。
それを成業とするわけでない自給農業なら、もっと狭い土地で充分で、慣行農法でも有機農法でもそちらの方がよっぽどまともなものが採れる。自然農にケチをつけるわけではないが、それはむしろ宗教だ信仰だ」と。
ちなみにNPKとは窒素、りん酸、カリのいわゆる肥料三大要素と言われるもの。
う~ん、やりにくい相手だ。(苦笑)
一応僕も化学専攻だったので、化学式は飛び交うし。
信仰っていわれるとちょっとなぁ、むしろ生き方なんだけどと思った。
しかし・・・なるほどと思う部分もあり。
「じゃ森の中のさまざまな植物、樹木は、誰も肥料を与えないのに、土は微生物や虫の働きで豊かな腐葉土が地面をふかふかにしている、そして年々大きくなっているではないか」と反論するも、
「長い目でみればNPKは減っていっているのだ。つまり森はだんだんやせていっているのだ。土中の虫の死骸などでそれが補いきれるわけがない」と。
現状の森がやせていっているのは他の理由だと僕は思うし、りん鉱石からPを取り出し、精製しエネルギーを使って肥料を作り、輸入してそれを買って田畑に投入して、それじゃ食べ物が口にはいるまでの環境への負荷が大きすぎると思うのだが。
「ま、でも家賃やリフォームの負担なども含めて交渉はしてみなさい。農地の方は始めから全部まるまる貸してなんて言わない方がいい」と一定の理解も示してくれた。
途中で、
「俺も昔自給農業には興味があった。昔の本だが貸してやろうか?」とおもむろに書斎から持ってきたのがこの本。↓25年前の出版。
あぁあんたもそうだったのか。
残念ながら母ちゃんの共感が得られず、定年後の南房総暮らしはあきらめざるを得なかったようだが。もちろん借りてきた。
やはり僕にはあの親父の血がどうやら流れているようだの。
今週、もう少し親父の言ったさまざまなことについて、自分なりに考えたり勉強しようと思っている。
まぁしかし親父の博識ぶりには感心したというのが、正直なところ。
頭でっかち感は否めない父子であったが。