私が物心ついた頃から、父と母の夫婦喧嘩は、ほとんど毎日のようにくり返されていました。
母は父の門限を8時と決めていて、それを過ぎると玄関のカギをかけてしまいます。
今思えば成人男性に門限があるのも、それが8時というのも異常な気がしますが、
母が決めたことなので仕方がありません。
門限を過ぎて帰ってきた父は、最初はふざけたように
「悪かった、開けてくれー」
などと言って、どんどんと玄関を叩いていますが、母がドアを開けないと、その音がだんだん激しくなってきます。
「火ィつけるぞ」
と、脅すように言って、郵便受けから火のついた紙切れを投げ込んできたりします。
それからぐるぐる家の周りを回っては、風呂の窓だの勝手口だの、入れそうな所をあちこち物色し始めます。
その物音を聞きながら、母は小気味良さそうな、勝ち誇った表情を浮かべています。
姉は(またか)と言わんばかりに、うんざりした顔で母を軽蔑したように眺めています。
臆病な私の胸は、悪いことが起こる予感にどきどきと鳴り始めます。
(ああ、私とお姉ちゃんがテレビなんか観ていなければ、8時になったことがママにばれなかったかもしれないのに……)
けれど実際、母が8時過ぎまで気付かずにいるなんてことはありません。
父の帰宅時刻を管理するのが人生最大の関心事ででもあるかのように、いつも8時になる30分も前から、
ちらちら時計ばかり気にしているのですから。
やがて父は、勝手口のカギを力任せに壊して入ってきます。もうその頃には本気で腹を立てかけています。
「入ってこないでよ」
母は金切り声で叫び、父を外に押し戻そうとしますが、柔道初段の父はびくともしません。
むしゃぶりついてくる母を、まだ少し余裕のある表情で眺め、
「ほら、どうした、どうした」
などとからかいます。子供の手前、照れくささもあるのでしょう。
母にはそんな子供への配慮はありません。力でかなわないと見ると、怒りに任せて、茶碗を投げる、花瓶を投げる、やかんを投げる。
父はひょいひょいと器用によけますが、たまにもろに食らいます。
「いい加減にしろ、俺は外で働いてきたんだぞ」
父の声にわずかずつ、真剣な怒気が混じり始めます。
私の心臓はいよいよ早鐘を打ち、狭い家の中に、安全な隠れ場所を探してはうずくまります。
火の気のない台所の隅に、押入れの中に、冷たく湿った風呂場に。
特に居心地がいいのは布団の中です。
布団にすっぽりとくるまり、恥骨に手を当てて何度も力を込めて押していると、股間からじんわりと温かい恍惚感が広がって、
つかの間不安から逃れることができるのでした。
母は父の門限を8時と決めていて、それを過ぎると玄関のカギをかけてしまいます。
今思えば成人男性に門限があるのも、それが8時というのも異常な気がしますが、
母が決めたことなので仕方がありません。
門限を過ぎて帰ってきた父は、最初はふざけたように
「悪かった、開けてくれー」
などと言って、どんどんと玄関を叩いていますが、母がドアを開けないと、その音がだんだん激しくなってきます。
「火ィつけるぞ」
と、脅すように言って、郵便受けから火のついた紙切れを投げ込んできたりします。
それからぐるぐる家の周りを回っては、風呂の窓だの勝手口だの、入れそうな所をあちこち物色し始めます。
その物音を聞きながら、母は小気味良さそうな、勝ち誇った表情を浮かべています。
姉は(またか)と言わんばかりに、うんざりした顔で母を軽蔑したように眺めています。
臆病な私の胸は、悪いことが起こる予感にどきどきと鳴り始めます。
(ああ、私とお姉ちゃんがテレビなんか観ていなければ、8時になったことがママにばれなかったかもしれないのに……)
けれど実際、母が8時過ぎまで気付かずにいるなんてことはありません。
父の帰宅時刻を管理するのが人生最大の関心事ででもあるかのように、いつも8時になる30分も前から、
ちらちら時計ばかり気にしているのですから。
やがて父は、勝手口のカギを力任せに壊して入ってきます。もうその頃には本気で腹を立てかけています。
「入ってこないでよ」
母は金切り声で叫び、父を外に押し戻そうとしますが、柔道初段の父はびくともしません。
むしゃぶりついてくる母を、まだ少し余裕のある表情で眺め、
「ほら、どうした、どうした」
などとからかいます。子供の手前、照れくささもあるのでしょう。
母にはそんな子供への配慮はありません。力でかなわないと見ると、怒りに任せて、茶碗を投げる、花瓶を投げる、やかんを投げる。
父はひょいひょいと器用によけますが、たまにもろに食らいます。
「いい加減にしろ、俺は外で働いてきたんだぞ」
父の声にわずかずつ、真剣な怒気が混じり始めます。
私の心臓はいよいよ早鐘を打ち、狭い家の中に、安全な隠れ場所を探してはうずくまります。
火の気のない台所の隅に、押入れの中に、冷たく湿った風呂場に。
特に居心地がいいのは布団の中です。
布団にすっぽりとくるまり、恥骨に手を当てて何度も力を込めて押していると、股間からじんわりと温かい恍惚感が広がって、
つかの間不安から逃れることができるのでした。