2012.1.13
タイトルの「私と障害者」を書く前に今日のBS「日本のうた」について書いておきたいと思います。
今日はNHKBSプレミアムの「日本のうた」でスペシャルステージでクミコさんと山川豊さんのステージがありました。
最初にクミコさんは白いドレスに大ぶりのアクセサリー(ネックレス、イヤリング、ブレスレット、指輪)をして出て来ました。
「白い思い出」と言う歌をデュエットしました。それから「なごり雪」を歌いました。「雪列車」を山川さんが歌い、その後「雪の降る町を」をデュエットし、その後山川さんが「函館本線」「アメリカ橋」「夜桜」を歌いました。
クミコさんその後オレンジのドレスに着替えて出て来ました。もちろんアクセサリーも全て変わりました。
そして「祈り」「ろくでなし」を歌いました。その後山川さんが「酒場のろくでなし」を歌いました。その後クミコさんが女子高生のコーラスで「きっとツナガル」を歌いました。その後山川さんが「ナイアガラフォールズ」を歌いました。
そして最後に「見上げてごらん夜の星を」をデュエットして番組は終わりました。
この番組は2回再放送があります。今日もクミコさんなかなか素敵でした。そんな訳でBSの報告は終わります。
さて本題の「私と障害者」ですが私にはものごころ付いた時から周りに障害者がいました。だから障害者を特別どうと思ったことはありません。障害者も一人の人間です。始めに母方の祖父が子供のころの火傷が元で左手の指が親指と人差し指しかありませんでした。が、祖父はその指と右手で何でも器用やってしまうのであまり気にしていませんでした。
それから知り合いのおばあさんは戦争で満州から引き揚げて来た時に全盲になりました。手術をしても治らなかったそうです。が、見えない目で何でもやってしまうので、特別盲人を意識したことはありませんでした。母はそのおばあさんからいろいろなことを教えてもらいました。私も実の孫のように可愛がってもらいました。
それから私の従弟と従兄の嫁が透析をしていました。透析患者は障害者1級です。2人とももう亡くなりましたが良いいとこでした。それから私は結婚して2年目に手話を始めました。手話は10年ほど続けましたので聾唖者の知り合いもいます。
聾唖者は耳が聞こえないだけで何でも出来ます。車の運転もする人もいます。最近は医者や薬剤師の聾唖者もいます。
そして精神障害者も知っています。他にもいろいろな障害を抱えた人を知っています。
私がこのブログで言いたかったのは障害者も一人の人間です。「障害者だ」「可愛そう」と言う目で見たことはありません。
私だっていつ障害者になるかも知れません。(たとえば交通事故で車椅子とか)
私はものごころ付いた時から現在に至るまで障害者が身近にいました。障害者だと言って特別視したことはありません。
障害者も一人の人間です。私は祖父もおばあさんも偉いと尊敬しています。
タイトルの「私と障害者」を書く前に今日のBS「日本のうた」について書いておきたいと思います。
今日はNHKBSプレミアムの「日本のうた」でスペシャルステージでクミコさんと山川豊さんのステージがありました。
最初にクミコさんは白いドレスに大ぶりのアクセサリー(ネックレス、イヤリング、ブレスレット、指輪)をして出て来ました。
「白い思い出」と言う歌をデュエットしました。それから「なごり雪」を歌いました。「雪列車」を山川さんが歌い、その後「雪の降る町を」をデュエットし、その後山川さんが「函館本線」「アメリカ橋」「夜桜」を歌いました。
クミコさんその後オレンジのドレスに着替えて出て来ました。もちろんアクセサリーも全て変わりました。
そして「祈り」「ろくでなし」を歌いました。その後山川さんが「酒場のろくでなし」を歌いました。その後クミコさんが女子高生のコーラスで「きっとツナガル」を歌いました。その後山川さんが「ナイアガラフォールズ」を歌いました。
そして最後に「見上げてごらん夜の星を」をデュエットして番組は終わりました。
この番組は2回再放送があります。今日もクミコさんなかなか素敵でした。そんな訳でBSの報告は終わります。
さて本題の「私と障害者」ですが私にはものごころ付いた時から周りに障害者がいました。だから障害者を特別どうと思ったことはありません。障害者も一人の人間です。始めに母方の祖父が子供のころの火傷が元で左手の指が親指と人差し指しかありませんでした。が、祖父はその指と右手で何でも器用やってしまうのであまり気にしていませんでした。
それから知り合いのおばあさんは戦争で満州から引き揚げて来た時に全盲になりました。手術をしても治らなかったそうです。が、見えない目で何でもやってしまうので、特別盲人を意識したことはありませんでした。母はそのおばあさんからいろいろなことを教えてもらいました。私も実の孫のように可愛がってもらいました。
それから私の従弟と従兄の嫁が透析をしていました。透析患者は障害者1級です。2人とももう亡くなりましたが良いいとこでした。それから私は結婚して2年目に手話を始めました。手話は10年ほど続けましたので聾唖者の知り合いもいます。
聾唖者は耳が聞こえないだけで何でも出来ます。車の運転もする人もいます。最近は医者や薬剤師の聾唖者もいます。
そして精神障害者も知っています。他にもいろいろな障害を抱えた人を知っています。
私がこのブログで言いたかったのは障害者も一人の人間です。「障害者だ」「可愛そう」と言う目で見たことはありません。
私だっていつ障害者になるかも知れません。(たとえば交通事故で車椅子とか)
私はものごころ付いた時から現在に至るまで障害者が身近にいました。障害者だと言って特別視したことはありません。
障害者も一人の人間です。私は祖父もおばあさんも偉いと尊敬しています。