ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

思わず号泣しそうに?

2018年02月26日 | 介護
2018.2.26
午前中地元の朝カフェに参加した。
以前より会いたかった吉田真さんが来てくれて嬉しかった。
この人、朝カフェではとても有名です。
帰り際にFacebookでお友達になっていただき、嬉しくて泣きそうに!
午後から公民館の卓球サークルへ!
卓球のルールを良く把握していない二人に今更ルールの話をしても無理だと思い、一番仲の良い友達とあきらめることに!
なぜか負けた人に点が入り、6点取ったら終わりだと!
いくら何でも私だってきちんとしたルールは知っているのにね!
情けなくてちょっと悲しくなりました。
帰って来て夕食を作り、主人を待って母と3人で夕食を食べたらまた泣きそうに!
いいね!一家団欒!ささやかな幸せだね!
そんなこんなでちっぽけなことにも泣きそうに!
最近やっと朝カフェにもなじんで来ました。
でもね、偏差値低い私に英語と数学の話は良くわかりません。
話を聞くだけで精一杯でした。
でも、みんないい人ですね。
ささやかな幸せを朝カフェでも感じました。
この分で行くと夜中にも号泣ですね。
そういえばFacebookの友達の投稿で泣きそうに!
そういうこと最近良くあるんですよ。
人生前向きに一生懸命生きている人には泣きそうになりますね。
Twitterでも今日は泣きそうに!

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私と言う女遠い記憶part36

2018年02月26日 | 介護
この話は遠い遠い記憶の糸を手繰っている。ほぼ忘れかけた遠い記憶です。あやふやで曖昧な遠い記憶です。
私は友達が欲しかった。いや、友達を持ちたかったのだ!結婚し、自宅に電話は引いたが、かける相手が親戚しかほぼいなかった。休日は主人と過ごしても平日を一緒に過ごす相手もランチをする相手もいなかった。
そんな時、結婚2年目にして手話の講習会を通じて出来た友達は何事にも変えられない友達だった。
始めこそたくさんの友達がいた。それはそれで嬉しかった。しかし、いろいろ本当に事情があり、そのうち一人二人と来なくなった。仕事を始めて来なくなった人もいた。高齢者になり来なくなった人もいた。病気になって来なくなった人もいた。
それは現在も少ない人数ながら続いている。ありがたいことです。
私はその後地元の手話サークルに入り、活動をしました。その他にも市の広報を見てあらゆる物に参加した。幸いなことに市の広報に出ているものは参加費も破格で、場合によっては材料費だけと言うのもあったので良かった。しかし、そこから友達を作るというのは私にとっては難しく、嫌な人が一人でもいると講習会が終わったらやめてしまう有り様だった。
その頃の私は他人の心や様子を伺うようになっていたので、少しでも嫌な人がいるとその後に出来たサークルに入らないと言うものだった。
それこそあらゆる物に興味を持ったのは言うまでもない。
硬筆、書道、七宝焼、陶芸、俳句、古典、他にもあったような気がする。何しろ遠い記憶です。
うっかり間違って市民大学にも入った。これは大きな間違いだった。それは入ってすぐに気がついた。が、遅かった。
それこそ市議会議員や民生委員やそれなりに大学を卒業している人たちが集まって来た。
なんとか高校を卒業しただけの学力の私は毎回授業を受けるのが大変だった。ここでも睡魔に襲われるのだ!学生の頃と同じで始まって15分で睡魔に襲われていた。

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私と言う女遠い記憶part35

2018年02月26日 | 介護
反省をしていた。私の言動があらゆる人に迷惑をかけているかもと?悪気がないのがたまの傷。このところ言ってからしまった!と、思うことも。
これ以上迷惑はかけたくないが、どうしたものかと思案をしている。足りない頭で考えている。
一番困った問題です。そもそも病気になった数年前からの問題です。病気のことは後で話そうと思う。
いゃあ、ここで述べておこう!
そもそも20年近く前に母と同居した。実母である。私は再び母の管理下で生活するようになった。それから数年更年期も重なりうつ病になった。心療内科にかかっている。うつ病の症状は落ち着いている。私には幻覚も幻聴もない。それは元々無い。ただただ気分が悪かった。何にもする気が起きなかった。極端な意欲低下である。その前に更年期になった。毎日何度もホットフラッシュを経験した。家の裏にあった婦人科にとりあえずかかった。しかし、一向に体調は良くならなかった。そのうち気分が悪くなり、意欲低下になった。ただただつわりの妊婦のように吐き気を催していた。
これは?もしかして?
そう思ってセカンドオピニオンに他の2箇所の婦人科に行った。他の2箇所の婦人科が「うちに来る病気じゃあ無いね!」と、言われてうつ病を疑った。その頃私は友達が近所に作った精神障害者の小規模作業所で賄いのおばちゃんをしていたので多少なりとも知識はあった。その友達に話したら病院を教えてくれたので、その病院に行った。
それからずーっとその病院にかかっている。薬のおかげか症状も改善され、気持ち悪さも治り、意欲低下もほぼ無くなった。ただ、片付けと掃除はやらなくなった。それには原因がある。
私も主人も物を捨てない。物を溜め込む。それは二人の宝物だったりする。
片付ける側から母が来てそれらを捨てるのでは無いかとびくびくしていたら片付けが出来なくなった。基本片付けはしたいと思う。
主人に至っては買ってきた本の中で暮らしている。私に至っては趣味の物たちと暮らしている。お互いにそれらを母に処分されるのを嫌がっている。全く困ったものだ。本来はやたらと綺麗好きだったのだ。
家の中を家捜ししたら思ったよりたくさんありました!今倉千代子に関する物!母はそれらとクニコに関する物を処分しかねませんね?主人の大量の本も処分しかねませんね?
とにかく夫婦で物が有りすぎ!これでも食器が多いと言われてどこかでもらった引き出物の食器と景品の食器と何かのおまけの食器は処分しました。
話は元に戻すと、私は頭で物をきちんと考え無いようです。思いつきで話すようです。一呼吸置かないで話すようです。だから失言するのですね。反省しています。他人の気持ちも考えずに発言する事!相手の立場も考えずに発言する事!
しかし、毎日死んで行く頭の細胞、いつ?どこで?どんな発言をしたのか?覚えていません。困りましたね!毎日脳細胞が少しずつ死んで行くのです。
知らないうちに相手を傷付けていましたね。反省しました。でも、これは難しい問題です。
そのうち本当にボケる日が来るかも知れませんね。認知症やアルツハイマーですね。さっき言った発言も思い出せなくなるのかも知れませんね?とりあえず冷蔵庫を開けて何を取りに来たのか?と、言うことはまだありません。

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