ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

空しさとやるせなさと

2021年01月18日 | 介護
このところ空しさとやるせなさといろんな気持ちが合間っている。
空しさは虚しさとも書く。
焦りによる焦燥感は無いが、日々の時間の使い方が下手で、自分と言う人間が情けないとさえ思えたりもする。
世の中の生き辛さを感じている。
私と言う存在のこの世でのあり方を考えている。
このブログにもとんちんかんなことを書いたりもしている。
友人との会話もとんちんかんなことを話しているかも知れない。
一旦話し出すと止まらないようで、多くの他人にも迷惑をかけていると思われます。
常に物事は相手の立場に立って考えることは十分わかってはいるつもりですが、どこかで自分が出ているのだと思います。
嫌な性格ですね。
こんな人間になってしまったことは過去を遡らなければなりません。
育った環境にもよるのたと思われます。
大人のつもりがいつまでも大人になりきれていない自分がそこにあるのだと!
一人の人間として何の成長も遂げていなかったのだと思います。
大人ににる。
大人である。
大人がいる。
大人の定義とは何だろうとも思います。
あなたにとって大人とは何ですか?

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普通の他人の定義

2021年01月18日 | 介護
どうも普通の他人の定義がわからずにいる。
そもそも普通の他人と言う言い方がおかしいのだと思う。
ある意味差別用語にも取られる。
冗談を真に受ける他人。
冗談ばかりいう他人。
本気と冗談の境目がわからない他人。
このところ私は物忘れが多いので、自分を認知症と疑っている。
いやあ、実によく忘れる。
予定をカレンダーに書くと母にあれこれ聞かれるので、カレンダーに書くのをやめた。
手帳に書いていたが、それも面倒なのでたまにしか書かない。
スマホのスケジュール帳に書くが、うっかり書き忘れることもある。
それで、ネットでいくつか認知症テストなるものをしてみた。
ぎりぎりセーフだった。
予備軍なのかも知れないと思う。
お使いに行ってうっかり自宅にあるのに買ってきたもこともあったし、買い忘れることもあるのだ。
心療内科に40代の末から通っているが、見るからに普通に見える他人も来るのだ。
サラリーマンのような他人や、学生や主婦や、幼い子供を連れたお母さんまで来るのだ。
見た目で明らかに病気とわかる他人もいればそうでない他人も来るのだ。
そこには不思議な空間があるのだ。
見た目で他人は判断できない。
イケメンのお兄さんが若年性認知症だったり、統合失調症だったり、うつ病だったりするのだ。
見るからにきれいなご婦人が何らかの疾患を抱えていることもある。
普通の反対が特殊と言ったら語弊があるかも知れない。
以前私は認知症に関する母のことを本に書こうと思ったが、現在進行形なのでやめた。
それよりもだんだん私の記憶の片隅から過去の母の良くない言動が消えつつあるのだから…。
このところの母は以前にもましておとなしくなったと思う。
あの理不尽な言動は減ったと思われる。
歩けないので徘徊をしないだけましだと思う。
杖を突いても遠くへは歩けない。
ましてや自宅に認知症は2人も要らないので、年相応のボケだと思いたい。
あっ!私のリュックの中の生地が黒いので、スマホを捜すのに苦労します。
濃紺のリュツクに中の生地が黒です。
スマホが濃紺でいつも探します。
この次リュックを買うときは中の色も確かめて買います。

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