辛かった!
本当に辛かった!
しかし気がつけばこんなに生きちゃった!
こんなに生きるつもりはなかった。
そもそも14歳でこの世から居なくなろうと思っていた。
死ぬことを止められて、それ以来生きていた。
その後も嫌なことばかりの人生で、死ぬことを考えたが、勇気がなかった。
だから生きている。
自由にならない自分がいる。
あらゆることを制約された自分がいた。
子供の頃から母親に管理された生活を余儀なくされていた。
やっとのことで高校を卒業するも、望んでいた専門学校は親の反対に遭い行かれなかった。
仕方なく就職をした。
最初の会社は勤めた時から半年傾き掛けていた。
半年で辞めた。
その2年後に最初の会社は倒産した。
自宅にいたら以前の職場の隣のお店のおばさんが自分の会社を紹介してくれた。
面接をして月給8万円の契約で正社員で働いた。
二十歳を過ぎて、どうしてもやりたい仕事の募集があったので、親を説得して先方に手紙を出して面接をして採用された。
ところが労働時間が定かでない。
休みが決まっていない。
慣れない出来ない仕事をする。
家人のいない時にどっこいしょ!と腰を下ろしたら帰ってきてえらく怒られた。
生まれて初めて他人の飯を食う。
連日のホームシックだった。
家人は怖かった。
同居人は家人の愛人ともう一人と使用人の私だった。
もう一人は休みもなく昼夜働かされていた。
私よりも過酷な労働だったかも?
ある時私は失敗をやらかした。
おそらく謝っても許されないと思った。
弁償に相当なお金を取られると思った。
怖かった。
謝罪して許してもらえるとは思えなかった。
この際だから嘘を付いて辞めようと思った。
確かに家人に嘘を付いて辞めた。
居たのは1か月と1週間でした。
その間休みは1日でした。
もらった給料は8万円です。
契約は月8万円でした。
明らかに労働基準法違反です。
しかし、私のミスを正直に言えばひどい剣幕で怒られ殴られ、給料も貰えないかもと?
嘘を付いて辞めた。
ホームシックで毎晩泣いていた私は嘘を付いて辞めた。
その事は家人が亡くなった今ももう一人の使用人が亡くなった今も誰にも話していない。
荷物をまとめて自宅に帰った。
両親の間で寝た。
泣いた。泣いた。
他人は他人。親は親。
その後、以前の会社にお願いして再就職をした。
(この話の続きはまたいつかね)