ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

お腹が痛い

2023年08月21日 | 日記
どうしたわけだかお腹が痛い。
下痢でも便秘でもない。
ペットボトルのカフェオレを少し飲んで気分が悪くなった。
何度かトイレに行き、母の洗濯物もした。
薬を飲むほどではないので様子を見ることにした。
おそらく便がきちんと出きらないのだと思われる。
汚い話ですいません。
お腹がすっきりすれば大丈夫だと思います。
あっ!高校野球は地元埼玉の高校も負けてしまい、生まれ故郷の栃木の高校も負けてしまい、友達の居る宮城の仙台育英を応援しています。
お腹が痛いのは時間が治してくれると思います。
暑さで食欲も失せているのに痩せませんね。
それとも介護疲れかな?

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母の妹は1年前に亡くなった

2023年08月21日 | 日記
母の5歳年下の腹違いの妹は去年亡くなった。
病名は忘れたが、長いこと糖尿病でインスリン注射をしていた。
その後認知症になった。
その5歳としたの妹も数年前から認知症です。
どちらの妹も認知症になったら何度も私の家に電話をかけてきた。
「あれ?これ?もしかして認知症?」と、思ったら認知症だった。
5歳と年下の妹は妄想があるようで、旦那が市営住宅の2階の奥さんと出来ていると言う。
2階の奥さんと話しているのが聞こえると言う。
被害妄想と幻聴と幻覚ですね。
10歳年下の妹はおじさんが見ていないと徘徊すると言う。
娘夫婦と住む予定ですが、婿さんがまだ働いていると言います。
前出の5歳下の妹の連れ合いのおじさんは一人暮らしです。
娘夫婦と住めばいいのにいろいろあるようですね。
それぞれの家庭にはいろいろあるようです。
一番下の母の妹も数年前に胃がんをして、胃を全摘したので辛いようです。
弟も3人いますが、それぞれですね。
糖尿病でインスリン注射をしている弟や、いまだに働いている弟や、いろいろあって遠出も難しくなった弟もいます。
しかし、ある意味母は幸せですね。
後から来た後妻が生んだ子供とも実の兄妹のようにしています。
血はつながっていないのに良くしてもらいましたし、良くしてもらってもいます。
もちろん私にも良くしてくれています。

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92年と11か月

2023年08月21日 | 日記
実母は良く生きた。
現在92年と11か月です。
来月の21日には93歳を迎えます。
このところすっかり昼夜逆転し、幻覚や幻聴もあるようです。
動かなくなりました。
何もしていないのに、ベッドに日がな横になっているだけなのに疲れたと言います。
食欲も減退し、やせ細ってゆくばかりです。
思えば良く生きたと思います。
きちんと働かない職を転々とした父の下で70歳までパートで働いてました。
生活のためです。
何度も別居する夫婦でした。
母は生活のためにパートで働きました。
父の扶養家族扱いだったので仕事はいつもパートです。
安い時給で良く働きました。
母の実母は24歳の若さで病気で亡くなったので、それを思えば長生きですね。
このところ病院に行きたがりません。
もはや老衰かと思うほどです。
まあ、娘の私にはさんざん言いたいことを言ってきたし、現在は娘の私の世話になっているのですからね。
私はどこにも行くところがありません。
もしもの場合は一人暮らしか、自分で地域包括支援センターに相談に行かなくてはなりません。
主人も私も行くところも世話をしてくれる他人もいないんですよ。

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今夜も暑くて眠れない

2023年08月21日 | 日記
今夜も暑くて眠れない。
認知症の母はすっかり昼夜逆転している。
主人は21時過ぎには床に就いた。
私は聞き逃したクミコさんのラジオを聴いた。
コーヒーを飲まなくなった主人は夜中のトイレの回数も減った。
私は夏が苦手で、特に今年の夏は意欲低下で困っている。
相変わらず少しの家事で腰痛が出るのだ。
庭の雑草も植木も何とかしたいが、この暑さです。
30分もしないで腰痛です。
キッチンでもエアコンが無いので扇風機を回し、隣の居間の扉を開けて料理をします。
暑いのと腰痛もあるのでやる気も失せて手抜きばかりです。
そもそも店屋物を取ったことがほぼありません。
昔、お寿司と鰻を頼んだくらいで、後はビザとファミレスの宅配でした。
このお寿司と言うのがやたらとシャリが多くて食べきれません。
鰻は高いし、ピザは宅配よりも買いに行けば半額です。
ファミレスの宅配も届いたら意外と量が少なかったです。
スーパーの出来合いのおかずもあまり喜びませんね。
主人も病院から退院してきてすっかり小食になりました。
認知症の母も食べれるものが限られるようになりました。
私も料理のレパートリーも底をつき、家族の好むものは無理になりました。
さてどうしましょうか?
とにかく夏は苦手で嫌いです。

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辛かった!

2023年08月20日 | 日記
辛かった!
本当に辛かった!
しかし気がつけばこんなに生きちゃった!
こんなに生きるつもりはなかった。
そもそも14歳でこの世から居なくなろうと思っていた。
死ぬことを止められて、それ以来生きていた。
その後も嫌なことばかりの人生で、死ぬことを考えたが、勇気がなかった。
だから生きている。
自由にならない自分がいる。
あらゆることを制約された自分がいた。
子供の頃から母親に管理された生活を余儀なくされていた。
やっとのことで高校を卒業するも、望んでいた専門学校は親の反対に遭い行かれなかった。
仕方なく就職をした。
最初の会社は勤めた時から半年傾き掛けていた。
半年で辞めた。
その2年後に最初の会社は倒産した。
自宅にいたら以前の職場の隣のお店のおばさんが自分の会社を紹介してくれた。
面接をして月給8万円の契約で正社員で働いた。
二十歳を過ぎて、どうしてもやりたい仕事の募集があったので、親を説得して先方に手紙を出して面接をして採用された。
ところが労働時間が定かでない。
休みが決まっていない。
慣れない出来ない仕事をする。
家人のいない時にどっこいしょ!と腰を下ろしたら帰ってきてえらく怒られた。
生まれて初めて他人の飯を食う。
連日のホームシックだった。
家人は怖かった。
同居人は家人の愛人ともう一人と使用人の私だった。
もう一人は休みもなく昼夜働かされていた。
私よりも過酷な労働だったかも?
ある時私は失敗をやらかした。
おそらく謝っても許されないと思った。
弁償に相当なお金を取られると思った。
怖かった。
謝罪して許してもらえるとは思えなかった。
この際だから嘘を付いて辞めようと思った。
確かに家人に嘘を付いて辞めた。
居たのは1か月と1週間でした。
その間休みは1日でした。
もらった給料は8万円です。
契約は月8万円でした。
明らかに労働基準法違反です。
しかし、私のミスを正直に言えばひどい剣幕で怒られ殴られ、給料も貰えないかもと?
嘘を付いて辞めた。
ホームシックで毎晩泣いていた私は嘘を付いて辞めた。
その事は家人が亡くなった今ももう一人の使用人が亡くなった今も誰にも話していない。
荷物をまとめて自宅に帰った。
両親の間で寝た。
泣いた。泣いた。
他人は他人。親は親。
その後、以前の会社にお願いして再就職をした。
(この話の続きはまたいつかね)

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