引き続きこんちゃんがお送りします😌
曲輪Ⅱにきました😊
中央の曲輪で平場の規模は東西約60m、南北約70mあるそうです😌
戦国期には主郭(本丸)であった可能性があるそうです😊
時代によって主郭の位置が変わるのですか?😲
知りませんでした😊
勉強になります😌

奥へ進むと曲輪Ⅱ西側土塁が見えてきました😊
大きいですねぇ😊
長さ約70m、高さ約5mの巨大な土塁で、鉄砲に対する防御性を高めた戦国期後半以降の特徴がみられるそうです😌

曲輪Ⅱ北西虎口から帯曲輪へ出て西へ進みます😊

曲輪Ⅱ・Ⅲ間堀切です😌

曲輪Ⅱ北西虎口から帯曲輪へ出て西へ進みます😊

曲輪Ⅱ・Ⅲ間堀切です😌
現在は発電所施設になっています😊

ここで行き止まりかと思いましたが渡れる場所がありました😊

発電所施設を渡って先へゆくと、土橋がありました😊

土橋から曲輪Ⅲに入りました😊

ここで行き止まりかと思いましたが渡れる場所がありました😊

発電所施設を渡って先へゆくと、土橋がありました😊

土橋から曲輪Ⅲに入りました😊
平場の規模は東西約17m、南北約56mと他の曲輪より小さくなっているそうです😌
西側に土塁と巨大な堀切があり、この堀切までが山城の範囲と考えられるそうです😌

曲輪Ⅲ南側にある塚です😊

曲輪Ⅲ南側にある塚です😊
どういったものなのでしょうか😌

この先に物見台があるそうなので行ってみます😊

物見台にきました😊

この先に物見台があるそうなので行ってみます😊

物見台にきました😊
城の南西に位置し、山城内で最も標高の高い場所なんだそうです😌
頂上は平らで、平場の周囲が整形されており、物見台が置かれていた可能性があるそうです😊
今は江戸時代の祠(山の神)がありました😌

物見台からの帰りは山城の南側を歩いてみましょう😊

物見台からの帰りは山城の南側を歩いてみましょう😊
なかなかハードな山道です😌

眼下に川が見えました😊
大樽川です😊
この南側の大樽川と北側の小樽川の2つの河川を堀とした天然の要害だったそうです😌

南側を歩いて戻っていると曲輪Ⅱ西側土塁の上に登れました😊

南側を歩いて戻っていると曲輪Ⅱ西側土塁の上に登れました😊
そこには、曲輪Ⅱ西側土塁の前にあった看板に「土塁南側の天端には文政2年(1819年)8月の銘が刻まれた弁財天の石碑が建っています」とあった石碑がありました😊

せっかくですから土塁の上を端まで歩いて行ってみます😊

高さ約5mはやっぱり高いですねぇ😅

せっかくですから土塁の上を端まで歩いて行ってみます😊

高さ約5mはやっぱり高いですねぇ😅
結局他の場所からは下りれず南側の登ってこれた場所から下りました😌

東館まで戻ってきました😊

東館まで戻ってきました😊
この舘山城跡の幟かっこいいですねぇ😌
三日月なのはやはり伊達政宗公を意識してのことでしょうか😌

最後に北館へ行きました😊

最後に北館へ行きました😊
山麓部の北側に位置し、発掘調査では多数の掘立柱建物跡や建物に伴う井戸跡など850基の遺構が見つかっているそうです😌

以上で舘山城跡のお城めぐりはおしまいです😊

以上で舘山城跡のお城めぐりはおしまいです😊
山城部分の遺構の残り方はなかなかのもので、きちんと整備され見学しやすかったです😌
なんとゆっても高さ約5mの土塁が素晴らしかったです😊
なんとゆっても高さ約5mの土塁が素晴らしかったです😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😌
こんちゃんでした😊