おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

舘山城跡・2(2022年9月)

2022年11月04日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんがお送りします😌
曲輪Ⅱにきました😊
中央の曲輪で平場の規模は東西約60m、南北約70mあるそうです😌
戦国期には主郭(本丸)であった可能性があるそうです😊
時代によって主郭の位置が変わるのですか?😲
知りませんでした😊
勉強になります😌

奥へ進むと曲輪Ⅱ西側土塁が見えてきました😊
大きいですねぇ😊
長さ約70m、高さ約5mの巨大な土塁で、鉄砲に対する防御性を高めた戦国期後半以降の特徴がみられるそうです😌

曲輪Ⅱ北西虎口から帯曲輪へ出て西へ進みます😊

曲輪Ⅱ・Ⅲ間堀切です😌
現在は発電所施設になっています😊

ここで行き止まりかと思いましたが渡れる場所がありました😊

発電所施設を渡って先へゆくと、土橋がありました😊

土橋から曲輪Ⅲに入りました😊
平場の規模は東西約17m、南北約56mと他の曲輪より小さくなっているそうです😌
西側に土塁と巨大な堀切があり、この堀切までが山城の範囲と考えられるそうです😌

曲輪Ⅲ南側にある塚です😊
どういったものなのでしょうか😌

この先に物見台があるそうなので行ってみます😊

物見台にきました😊
城の南西に位置し、山城内で最も標高の高い場所なんだそうです😌
頂上は平らで、平場の周囲が整形されており、物見台が置かれていた可能性があるそうです😊
今は江戸時代の祠(山の神)がありました😌

物見台からの帰りは山城の南側を歩いてみましょう😊
なかなかハードな山道です😌

眼下に川が見えました😊
大樽川です😊
この南側の大樽川と北側の小樽川の2つの河川を堀とした天然の要害だったそうです😌

南側を歩いて戻っていると曲輪Ⅱ西側土塁の上に登れました😊
そこには、曲輪Ⅱ西側土塁の前にあった看板に「土塁南側の天端には文政2年(1819年)8月の銘が刻まれた弁財天の石碑が建っています」とあった石碑がありました😊

せっかくですから土塁の上を端まで歩いて行ってみます😊

高さ約5mはやっぱり高いですねぇ😅
結局他の場所からは下りれず南側の登ってこれた場所から下りました😌

東館まで戻ってきました😊
この舘山城跡の幟かっこいいですねぇ😌
三日月なのはやはり伊達政宗公を意識してのことでしょうか😌

最後に北館へ行きました😊
山麓部の北側に位置し、発掘調査では多数の掘立柱建物跡や建物に伴う井戸跡など850基の遺構が見つかっているそうです😌

以上で舘山城跡のお城めぐりはおしまいです😊
山城部分の遺構の残り方はなかなかのもので、きちんと整備され見学しやすかったです😌
なんとゆっても高さ約5mの土塁が素晴らしかったです😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😌
こんちゃんでした😊

舘山城跡・1(2022年9月)

2022年11月04日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
上杉家廟所の後、国指定史跡舘山城跡へやってきました😊
大樽川と小樽川に挟まれた丘陵上に築城された山城と山麓部の館跡を併せた城館なんだそうです😌
ここは舘山東館とゆう場所のようです😌
それではここから始めましょう😊
第113回こんちゃんのお城めぐり「舘山城跡」です😊

伊達政宗公生誕の地の木碑が立っていました😊

舘山東館は山麓部の東側に位置し、発掘調査により掘立柱建物跡やそれらの一部とみられる柱穴群、庭園跡の可能性がある池状遺構、井戸跡、石敷遺構、鉄製の短刀が埋納された土壙などが見つかっているそうです😌
それにしても広いですねぇ😊
どこに向かえばよいのか迷いましたが、看板と左奥に見える幟で本丸(本曲輪)へゆく道がわかりました😌

舘山城保存会の方々が看板を立てて下さっています😌
ここに大型の井戸があったそうです😊

ここから山城部分へ入ってゆくようです😌
舘山城保存会が縄張り図を用意して置いておいてくれました😊
ありがたいですね😌
さらに大手口の看板も立ってました😊

こちらの道が登城路のようです😊

東館と山城を結ぶつづら折れの通路なんだそうです😌
下から3つ目のコーナーより上は約2.5mの道幅があり、この道幅が当時のものと推定されているそうです😊

曲輪Ⅰ手前まで登ってきました😊
看板のあるところが、曲輪Ⅰ南側虎口になります😌

曲輪Ⅰです😊

腰曲輪です😊
なんとこの先は発電所施設になっているんですね😌

曲輪Ⅰのここが山城の主郭(本丸)なんだそうです😊

曲輪Ⅰ西側桝形虎口です😊
自然とこうなったのではなく、破城により石垣を壊した痕跡と考えられているそうです😞

石垣が壊されて栗石が見えています😞
全国的な石垣普請技術との比較から、慶長年間(1596~1615年)後半から元和年間(1615~1624年)の上杉時代に普請された石垣と考えられるそうです😊

この桝形虎口が現存していたらどんなに素晴らしい石垣だったことでしょう😌

石垣は、普請の記録がない上杉氏の関与を示す大きな発見だったそうです😊
石垣の下には、伊達時代に機能した幅約13m、深さ3.5m以上の堀切が眠っているそうです😌
それも見てみたかったですねぇ😊

桝形虎口を過ぎると帯曲輪に出ました😊
あの看板の先の斜面は竪堀になっているそうです😌

振り返ると曲輪Ⅰ・Ⅱ間堀切があります😊
帯曲輪で竪堀と堀切が接続していたそうです😌

お城めぐりはこれからです😊
次回へ続きます😌