こんちゃんです😊
天童市にある舞鶴山に来ています😌
第115回こんちゃんのお城めぐりは「天童古城」です😊
天童古城は全山が中世山城で県内随一の規模をほこるそうです😌
斯波兼頼の孫である天童氏初代の頼直は成生の里見氏に養子に入ったとされ、天授元年・永和元年(1375年)に成生から天童に本拠を移して天童氏を名乗ったことが始まりとされているそうです😌
南北朝以来天童頼久までの10代にわたり天童の地を治めていたそうですが、天正12年(1584年)10月に最上義光に攻められ落城し、その後廃城となったそうです😌
そうですか、だから中世山城の遺構がそのまま残っているのですね😊
それではお城めぐりを始めましょう😊
建勲神社を出たところからですね😌
舞鶴山は天童公園として整備されています😊
園路を歩いていると、確信は持てませんが、曲輪群のように見えるところがあったりしました😌
園路を登ってゆくと展望台がありました😌
櫓みたいです😊
展望台から月山が見えました😊
展望台から月山が見えました😊
お天気がよい時に見たかったですね😌
遊具がある場所ももしかして曲輪では…などと思ってしまいます😌
遊具がある場所ももしかして曲輪では…などと思ってしまいます😌
山頂駐車場近くに、天童古城(舞鶴山)の説明板がありました😊
切岸によって囲まれた曲輪がいたるところに残っているそうですよ😊
しかし、この地図によると、中央郭と主郭へは散策路があり行けそうですが、北郭、西郭、南郭、東郭、大手口などの遺構には行くことが出来ないようですね😞
残念です😞
見てみたかったですねぇ😌
山上にとても広い空間が広がっていました😊
山上にとても広い空間が広がっていました😊
元々このように広かったのでしょうか?😌
それともいくつかの曲輪を1つの広場に作り変えたのでしょうか?😌
広場から1段上がったところに「天童古城記念碑」がありました😊
広場から1段上がったところに「天童古城記念碑」がありました😊
天童氏は落城とともに仙台の伊達家家臣国分氏を頼り多賀城の地に移り住み、現在も天童氏は続いているそうです😌
天童古城の説明板の地図に中央郭と書かれていた所に来ました😊
天童古城の説明板の地図に中央郭と書かれていた所に来ました😊
展望台があります😊
舞鶴山の北側、天童温泉の街並みが見えました😊
舞鶴山の北側、天童温泉の街並みが見えました😊
先程の櫓風展望台は違う方向がよく見えましたねぇ😌
どの方角も遠くまで見渡せて、ここをお城にする必然性を感じることが出来ました😊
目の前に大ケヤキがありました😊
目の前に大ケヤキがありました😊
樹齢はどのくらいでしょう?😌
在りし日のお城の姿を知っているのかもしれませんね😊
展望台の下は帯曲輪のようになってました😌
展望台の下は帯曲輪のようになってました😌
切岸でしょうか😊
南側に戻ってきて、今度は主郭とされる舞鶴山の1番高い場所に行ってみましょう😊
バーベキュー広場を抜けると急に公園から山の中へ😌
さらに山道っぽくなってきました😌
南側に戻ってきて、今度は主郭とされる舞鶴山の1番高い場所に行ってみましょう😊
バーベキュー広場を抜けると急に公園から山の中へ😌
さらに山道っぽくなってきました😌
やっと山城のお城めぐりらしくなってきましたね😊
10分ほどで着きました😊
10分ほどで着きました😊
主郭は、1番高所であるこの場所とされているそうです😌
奥に見えるのが愛宕神社です😊
天童古城主郭跡の説明板が設置されていました😌
それによると、愛宕神社北西にある高さ5mほどの丘陵削り残しの小高台が櫓台跡と思われるそうです😌
それによると、愛宕神社北西にある高さ5mほどの丘陵削り残しの小高台が櫓台跡と思われるそうです😌
祠のあるこちらのことのようですね😊
主郭の南北には切岸がめぐり、東西下には曲輪群がとり巻きさらに段状にいくえにも連なっているそうです😌
主郭の南北には切岸がめぐり、東西下には曲輪群がとり巻きさらに段状にいくえにも連なっているそうです😌
愛宕神社の参道の石段は南側にありましたので切岸に作った石段なんですね😊
ここを下りてお城めぐりを終わりたいと思います😌
今回のお城めぐりでは、遺構をたくさん見ることは出来ませんでした😌
今回のお城めぐりでは、遺構をたくさん見ることは出来ませんでした😌
しかし、この山の中に今もひっそりと中世の山城の姿が残っていると思うとうれしいですね😊
ワタシはその姿を想像するだけで満足です😌
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌