小学校低学年の頃のことです。
殆ど記憶が薄れていて、勝手に補完している部分があるかもしれません。
ご理解の程、願います。
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私の家は広島県三原市のほぼ中央部にありました。
平地を歩いていると、急に坂道が現れます。
私が初めて「おめでとう」を言われた「U産婦人科」が右側、
いつも忙しそうな業務用の氷屋さんを左側に見ながら
急勾配の坂道を上っていくと私の家に辿りつきます。
所用5分ですし、車も通れる道だったので だいそれた坂ではありませんでした。
今日の話は、その坂道の入り口にあった業務用の氷屋さんが舞台です。
夏場、
めちゃくちゃ暑いときに氷屋さんの近くを用もなくふらつくのが大好きでした。
当然 当時 家にはエアコンなどありませんから、
氷屋さん独特の冷たい空気感が、子供心にはたまらなかったのです。
ある日、氷屋さんの中に見慣れない顔があることに気がついた私は、
興味深そうに立ち止まり じっと眺めていました。
休憩時間になったのか 煙草を吸いにぞろぞろと大人たちが出て来ます。
勝手に私がお邪魔をしていただけで、私を知ってる人がいるわけではないのです。
新顔のその人は20歳代で、日本人ではありませんでした。
吸ってる煙草は初めて目にするものだったし。 ひとりで寂しそうにしていたし。
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違う日、
再び 氷屋さんの休憩時間と、 私の冷却時間帯が重なりました。
何となく新顔の近くに寄って行った私を、その人は歓迎してくれてるみたいでした。
彼の名前は、 韓さん。
カタコトの日本語でそう教えてくれました。
韓国の「韓」。 だけど 中国人。
そして、 ハン と発音するのだ、 と。
「ニホン ノ コト ヨク ワカラナイヨ」
その話し方と 癖のある体臭が いつまでも私の耳鼻から離れなかったのです。
韓さん。
中国人なのに、韓さん。。
なぜ 彼が三原市の氷屋さんで働いていたのかはわかりません。
結局、 ふたりで話したのは わずか3分程度だったから‥。
ただ、韓さんが急に姿を消したこと。
そして あの子(ちっぷ)に渡しといて‥とメモを残してくれておいたこと。
氷屋さんの日本人たちも意味がわからなかったそのメモは
私が小学校に持って行き、中国語(カタコト)のわかるM先生に訳してもらいました。
『我想回家』
(家に帰りたい)
現代のように「単純労働は外国人に」という風潮はなかったはずです。
すぐに彼のことなど忘れてしまうような私に、何ができたというのでしょう。
韓さん いま あなたは どこで なにを しているの ?
小学校低学年のときの 「小さな想い出」 です。
心にいつまでも留まっている 「小さな出来事」 です。