この映画を語る前にまず監督であるロマン・ポランスキーの生い立ちに触れないわけにはまいりません。
ポランスキーは1933年8月8日、パリ生まれのユダヤ系ポーランド人。
三歳の時、ポーランドに戻ったが七歳の時にナチスによって一家は収容所に送られる。
自身は出所したものの母親は収容所で死亡、何とか生き残った父とは大戦後に再会できた。
ワルシャワ蜂起などを体験し、戦乱時を転々として苦しかった少年期を過ごした。
しかし、ナチスのあとは社会主義国家ポーランドという自由を制限された息苦しい生活を余儀なくされる。
やがて映画の世界に入り、アンジェイ・ムンクやアンジェイ・ワイダに仕えて演出を学んだ。
1955年から数本の短編を手掛けるが、このうちの一本が『タンスと二人の男』である。
そして1962年、初めての長編映画『水の中のナイフ』を監督、ベネチア映画祭で一躍脚光を浴びる。
(ただ、ポーランド国内ではイデオロギーがないと厳しく批判されている。)
それを機にヨーロッパから声がかかり、ようやく社会主義国家のポーランドから脱出、真の自由を手にすることができた。
以後、『世界詐欺師物語・オランダ編』『反撥』『袋小路』『吸血鬼』『ローズマリーの赤ちゃん』などを監督。
つねに弱者の立場から人物を描く作家として活躍を続けた。
そして彼は二度と祖国の土を踏むことはなかった。
そんな作家の人生経験を理解したうえで、『タンスと二人の男』に戻ります。
映画は突然海の中からタンス(もって生まれた人生の重荷)を担いだ二人の男が現れる。
タンスにある中央の大きな鏡は自分たちのプライドのように輝いている。
二人の男は希望を抱いて祖国の土を踏む。
(二人の男はポランスキー自身と彼の父親であろう。父親役のボーダーのシャツは収容所の縦縞を連想させる)
一人の女性にかすかな希望の光を見出したものの、彼等の受け入れを冷たく拒絶する市民 たち。
あふれる暴力や犯罪そして殺人。さらには厳しい警備員(官憲)。
暴力に屈した二人のプライドは鏡とともに砕け散ってしまう。
二人は荒廃してしまった祖国に絶望し、無邪気に砂遊びをする少年のそばを振り向きもせずに通り過ぎてゆく。
(少年の作っている砂山は無数の犠牲者の墓石を連想させます)
そして二人はタンスを担いだまま海の中に消えていく。
失望と共に再び祖国を脱出したいという作者の希望的結末なのでしょうか。
ポランスキーの荒廃した祖国ポーランドから脱出したいという思いを重ねながら、ナチや社会主義国家への痛烈な皮肉を込めて静かに語った映画だと思われます。
1920年代後半における前衛映画の再来、それも抽象主義手法を彷彿とさせる一篇でした。
この映画についての私の解釈は以上なのですが、観る人によっては全く違うかもしれませんね。