港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

絵画教室の作品展にて (その2)

2013-03-18 06:41:06 | 絵画・イラスト

もう一作品紹介しましょう。
A・Sさんの水彩画です。



一見、雨の街角でショーウインドーを覘いている老人のスケッチ画のように見受けられます。
しかし、佇む老人の背中に哀愁が漂っているように感じ取れます。
そこで、角度を変えてじっくりと鑑賞してみることにしました。

どうしてこんな雨の中で立ち止まっているのだろう?
この老人の身の上に何があったのだろうか?
そんなことを考えると、老人の人生をいろいろと想像させられてしまいます。
勝手な物語を想像するにつれて、この絵画が時空を意識しているのが読み取れます。
また、想像すれはするほど老人の背中から悲哀が浮かんできます。
作者の真意はわかりませんが、もの深い情感を感じさせられます。
レトロな色彩がさらなる哀愁を醸し出しています。
雨を意識した流れるような筆さばきも見事です。
この作品も、時空を意識した立派な絵画芸術といえましょう。

やはり、心に訴える絵画は素晴らしい。



絵画教室の作品展にて

2013-03-17 02:45:12 | 絵画・イラスト

芸術の話はさておいて
話を先日訪れた某絵画教室の展示会に戻します。
本来、教室に通う生徒さんたちの主たる目的は自己の描画技術の向上にあると思います。
展示会は年に一度、その技術の成果を競うイベントなのかもしれません。
写真のように精巧な絵や美的にも優れた風景画などが数多く展示されておりました。
しかしながら、心を動かされて、足を止めてじっくりと眺めたくなる情感の滲み出るような作品は意外と少ないものです。
技術の向上が目的の展示会ですから望むほうが無理なのかもしれません。
そんな中でも、思わず見つめてしまう作品があるものです。
下の絵は C.I さんの絵画です。


大胆な構図は安定感があって、さらに色合いもとても素敵です。
(実物は根元がもう少しこげ茶で暗い)
根元の暗さと頂きの明るさ。
暗い過去から明るい未来へという暗示なのでしょうか。
何物にも負けないとばかりに、大地からしっかりとそそり立つさまは、
天(明日)に向かって強く生きるんだ! という活力をひしひしと感じ取れます。
強い情感で訴えかける絵はどんなに優れた技術の絵よりも素晴らしいものです。
絵画の中に思想を織り込んだ見事な作品に出会えました。

絵画における四次元的表現

2013-03-14 03:10:27 | 絵画・イラスト


前に芸術の要素は『技術・思想・創造力』が必要と記述しました。
この点から、絵画ほど思想の表現に制約のある芸術はないでしょう。
他の芸術においては三次元や四次元(時空)の世界の中で、自由かつ複雑に表現されています。
(四次元が時空であるかどうかの論議はありますが、時空をあえて四次元とします)
文学、音楽、建築・彫刻、演劇、舞踊、映画などには立体や時空が表現の要素になっています。
しかしながら、平面上に描く絵画は、立体や時の経過という要素がない単純な二次元の世界です。
二次元という限られた世界の中でも芸術たらしめるには、芸術の要素としての『技術・思想・創造力』が織り込まれていなければなりません。
しかし、作者が他の芸術ジャンルのように自分の思想を、自由かつ複雑に表現しようとする場合においては、どうしても時空が必要となってきます。
残念ながら静止画である絵画に時の経過は織り込むことはできません。
なぜならば絵画は二次元だからです。
でも、平面上の絵画において三次元は不可能ですが、作者の技術力(遠近法や陰影)で立体感を表現することは十分に可能です。
それでは、二次元の絵画に時空を織り込むのは本当に不可能なことなのでしょうか。

以前に、ある展覧会の会場でふと目を引く作品を目にしました。
小さな子供が釣り上げた魚を自慢げに母親に見せている様子が夕焼けのシルエットとに映えていました。
 その絵の中から親子のいろんな会話が聞こえてきます。
 静止画でありながらそこに小さな物語が存在します。
物語を想像するということは、絵画の中で時が動いているのです。
そこに時空があります。
そしてその時空の中で作者の暖かい思想(情感)を感じ取ることができたのでした。

静止画であっても、鑑賞者に時空を感じてもらえれば、そこに思想を織り込むことは可能です。
絵画は二次元ですが、三次元にも四次元にも表現する可能性を持ち合わせています。
時空を感じさせることができる作品は素晴らしい芸術絵画といえるでしょう。


芸術作品という評価

2013-03-13 03:59:51 | 絵画・イラスト

前日からの続きです…

ただ、不特定多数の鑑賞者が、ひとつの作品からまったく同じ価値観を持つとは思えませんし、
鑑賞者が技術の評価はできたとしても、的確に作者の思想や制作意思を読み取れるでしょうか。
比喩的表現、間接的表現などが用いられるとさらに難しくなることでしょう。
すべての鑑賞者が的確に作者の思想や制作意思を読み取れるかといえば、それは疑問です。
また、作者が作品に織り込んだ思想をこと細かく鑑賞者に説明する機会もほぼ皆無でしょう。
鑑賞者が作者の思想を感じ取れない場合は、作者にとっては芸術のつもりでも、鑑賞者にとっては単なる美術品や創造品でしかないこともあります。
現実問題として、作者の思想が鑑賞者に理解されないことの方が多いでしょうし、誤解されることも否めません。
作者の意図とは乖離して、人それぞれの主義や嗜好で評価されることも覚悟しなければなりません。
実際、評論家や鑑賞者の『ありあわせの乏しい知識』で評価を受けるのが現実です。
作者は芸術だと自負していても、芸術という評価を受けないことは十分考えられます。
作者の立場としては鑑賞者たちの評価などは気にせず、これぞ芸術だと自己満足に浸っているのがよいのかもしれません。
鑑賞者側にとっては、優れた技術と作風で心が揺れ動いた作品こそが芸術作品なのですから。

翌日に続く…

芸術

2013-03-12 07:10:54 | 絵画・イラスト

芸術について語りかけましたので、この際一気に芸術についての話をしようと思います。
前もってお断りしておきますが、以下はあくまでも私個人の芸術に対する概念です。

芸術とは何なんだろう。
で、その定義は?

若かりし時代によく考えたテーマです。
辞書には以下のように記されています。
 作品の創作と鑑賞によって精神の充実体験を追求する文化活動。
 文学、音楽、造形美術、演劇、舞踊、映画などの総称。

しかし、すべての文学、音楽、造形美術(建築・絵画・彫刻など)、演劇、舞踊、映画などが芸術であるわけがありません。
純文学と下世話な三文小説とではどちらが芸術かと尋ねられたら誰しもが純文学と答えるでしょうし、
交響曲と流行歌なら誰もが同じ判断をするでしょう。
映画でも、娯楽を目的としてつくられた作品とアバンギャルド(前衛映画)とは違うはずです。
絵画にしても、精密な写実画なら写真でもそれを代理することができるはずですし、制作意思が希薄な単純な風景や人物の写生は芸術には該当しないと思われます。
装飾を目的として創作された絵画は芸術とは呼びがたいでしょう。
そこには芸術とそうでないものの概念があるはずです。
一般論として、芸術作品と呼ばれるためには『技術・思想・創造力』が絶対要素であるといわれています。
優れた技術で美しく仕上げた絵画でも、思想(意思・信念・情感など)がなければそれは美術であり、
もしも技術が伴っていなければ美術でもありません。
勿論、創造物であるからにはオリジナルな個性ある表現が必須でしょう。
それら三つの要素で仕上げられた作品が媒体となって鑑賞者の心を揺り動かすことができればそれは立派な芸術であるといえるでしょう。

翌日に続く