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太陽の誘惑 (1960) イタリア映画

2013-10-31 00:04:28 | シネマ


映画音楽が先行し、主演がクラウディア・カルディナーレということで話題となったイタリア映画です。
監督はフランチェスコ・マゼリですが日本ではほとんど無名で、日本公開作品はこの他に『豊かなる成熟(1961)』の挿話だけなので無理もありません。
マッゼリは1953年、生え抜きのイタリアン・レアリスタであるチェーザレ・ザヴァティーニ総監督のオムニバス『巷の愛』の一編を監督、
またミケランジェロ・アントニオーニらの助監督をつとめています。
その後短編ドキュメンタリーなどを手掛けていたようですがわが国では公開されておりません。
1955年に『Gli Sbandati (逃亡者)』というレジスタンス映画で長編デビューし、『太陽の誘惑』は二作目になります。
映画のタイトルは『 I DELFINI 』で、直訳すれはイルカですが、上流階級の御曹司を意味するものです。



物語を簡単に紹介すると
イタリア貴族や資本家の二代目たちが高級車を乗り回し酒と好色におぼれていた。
ある夜にその中の一人が発作で倒れ、医師とその恋人が駆けつける。
医師の恋人であるフェドラ(カルディナーレ)は上流階級に興味を持っていた。
やがて主人公の二人もその世界に入り込んだものの、荒んだ世界に嫌気をさして去っていく。
といった内容。

自分は何の力もないのに親の地位と金にモノを云わせて思うがままに酒と女に遊び呆ける御曹司たち。
世の中の不条理と無気力な姿を冷静かつ細微に写実して進行します。
荒廃した上流社会の描写は、カメラを絞ってできる限り暗く撮影していて、未来もなく価値もない人間の暗部を連想させます。
逆にそんな世界から主人公の二人が夜明けに抜け出すラストシーンは明るい将来を予測させ、その対比が鮮やかです。
モノクロ作品ならではの強い陰影のタッチが社会の矛盾に対する憤りを反映するかのような力作でした。

ロベルト・ロセリーニ、ヴットリオ・デ・シーカで始まったイタリアンリアリズムは1953年ころから現実直視という初期の意気込みが軟化しましたが、その精神は新たな旗手のフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニに受け継がれて開花していきました。
また、イタリアン・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったピエトロ・ジェルミの登場で、イタリアの新たな時代が始まります。
この流れに追随した新進のマウロ・ボロニーニやヴァレリオ・ズルリーニもしっかりとイタリアン・リアリズムの精神を継承しています。
フランチェスコ・マゼリもイタリアン・リアリズムの継承者と思えるような才能を持ち合わせていたはずですが、その後作品に恵まれていないため、その実力は図り知ることはできません。

振り返って1960年前後の公開作品を並べてみると、その数年がイタリア映画の過渡期であったことを物語っています。
1957年 『道』『カビリアの夜』(以上フェリーニ)、『屋根』(デ・シーカ)
1958年 『崖』(フェリーニ)、『白夜』(ルキノ・ヴィスコンティ)、『鉄道員』(ジェルミ)
1959年 『さすらい』(アントニオーニ)、『青春群像』(フェリーニ)、『わらの男』(ジェルミ)
1960年 『甘い生活』(フェリーニ)、『ロベレ将軍』(ロセリーニ)、『若者のすべて』(ヴィスコンティ)、『刑事』(ジェルミ)、『激しい季節』(ヴァレリオ・ズルリーニ)
1961年 『ふたりの女』(デ・シーカ)、『ローマで夜だった』(ロセリーニ)、『鞄を持った女』(ズルリーニ)、『太陽の誘惑』(マゼリ)
1962年 『情事』『太陽はひとりぼっち』『夜』(以上アントニオーニ)、『ウンベルトD』(デ・シーカ)、『2ペンスの希望』(レナート・カステラーニ)
1963年 『イタリア式離婚狂想曲』(ジェルミ)、『祖国は誰のものぞ』(ナンニ・ロイ)、『ビアンカ』(マウロ・ボロニーニ)、『シシリーの黒い霧』(F・ロージ)
1964年 『家族日誌』(ズルリーニ)、『山猫』(ヴィスコンティ)、『ブーベの恋人』.(ルイジ・コメンチーニ)、『堕落』(ボロニーニ)
いずれも名作揃いです。

『太陽の誘惑』はそんな新旧作家の織り交ざった時期の貴重な一編でした。


ポップス・ベストテン 1961年10月 その4

2013-10-26 17:38:21 | ポップス

『今週のベストテン』1961年10月28日
①コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
②悲しき街角 デル・シャノン
③峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
④月光のノクターン ディック・ジェイコブス楽団と合唱団
⑤悲しき足音 スティーブ・ローレンス
⑥ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
⑦トラベリン・マン リッキー・ネルソン
⑧九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑨太陽の誘惑 ファウスト・パペッティ楽団
⑩小さな悪魔 ニール・セダカ

『今週のヒットレコード』1961年10月29日
①悲しき街角 デル・シャノン
②トラベリン・マン リッキー・ネルソン
③九月になれば ボビー・ダーリン楽団
④ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
⑤涙のムーディ・リバー パット・ブーン
⑥峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
⑦あなたと二人で コニー・フランシス
⑧コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
⑨荒野の七人 アル・カイオラ楽団
⑩ダムダム ブレンダ・リー

『今週のベストテン』にイタリア映画の『太陽の誘惑』の主題歌がようやくトップテン入りしてきました。
『太陽の誘惑』は1961年公開のフランチェスコ・マゼリ 監督、クラウディア・カルディナーレ主演の作品です。
映画も個人的な思い入れのある一編ですので、近々に映画についても語りたいと考えております。
その映画ではニコ・フィデンコの『What a sky』が使われていました。
『今週のベストテン』においては、11~20位を紹介するコーナーでニコ・フィデンコで紹介したもののベストテン入りしなかったため、
繰返すようにファウスト・パペッティ楽団で紹介してやっとベストテン入りしたように記憶しています。
『今週のベストテン』としては珍しいイチ押しの楽曲でありました。

↓はファウスト・パペッティ楽団の『太陽の誘惑』 YOUTUBEより



また、『今週のヒットレコード』では、ブレンダ・リーの『ダムダム』がランクインしました。
ブレンダ・リーは1957年にダイナマイト娘として鮮烈なデビューをしましたが日本ではそれほど人気がありませんでした。
当時のポピュラーレコードはビクターとコロムビアが主力で、ブレンダのレーベルDECCAの発売元であるテイチクレコードがポピュラーにそれほど力を入れていなかったことがその理由ではないかと感じています。
翌62年には名曲『淋しくて( All Alone Am I )』が発売されましたがこれも大ヒットにはなりませんでした。
ブレンダは63年の『愛の讃歌』『サンフランシスコの思い出』『世界の果てに』の三部作で日本で大きく開花します。
註・『サンフランシスコの想い出』は『思い出のサンフランシスコ』として、『世界の果てに』は『この世は果てても』というタイトルの方が馴染まれていますね

↓はブレンダ・リーの『ダムダム』 YOUTUBEより



ポップス・ベストテン 1961年10月 その3

2013-10-20 00:31:12 | ポップス

『今週のベストテン』1961年10月21日
①コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
②悲しき街角 デル・シャノン
③峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
④ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
⑤月光のノクターン ディック・ジェイコブス楽団と合唱団
⑥悲しき足音 スティーブ・ローレンス
⑦黒い傷あとのブルース アンリ・ド・パリ楽団
⑧小さな悪魔 ニール・セダカ
⑨九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑩トラベリン・マン リッキー・ネルソン

『今週のヒットレコード』1961年10月22日
①悲しき街角 デル・シャノン
②ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
③トラベリン・マン リッキー・ネルソン
④九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑤峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
⑥涙のムーディ・リバー パット・ブーン
⑦コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
⑧荒野の七人 アル・カイオラ楽団
⑨あなたと二人で コニー・フランシス
⑩今夜二人で ポール・アンカ

『今週のヒットレコード』に コニー・フランシスの『あなたと二人で』が初登場しました。
ポップスファンには原題のTogetherの方で知られています。
『今週のヒットレコード』では幾週間トップテン入りしてはしていますが、実質マイナーヒットに終わりました。
『今週のヒットレコード』らしいランキングです。

『今週のベストテン』で6月初めからベストテン入りしていた『黒い傷あとのブルース 』 が今週限りとなります。
演奏していたアンリ・ド・パリ楽団はフランスの楽団かと思っていましたが、
もっぱらメイド・イン・ジャパンではないかと言われていますが真相はわかりません。
『太陽はひとりぼっち』のコレット・テンピア楽団、『禁じられた恋の島』のエリオ・ブルーノ楽団、『暗い港のブルース』のモダン・プレイボーイズなど逆輸入型のポップスのハシリではないでしょうか。
アンリ・ド・パリ楽団については、この後『かわいた唇』がリリースされましたが全くヒットしませんでした。

↓は アンリ・ド・パリ楽団の『黒い傷あとのブルース 』 YOUTUBEより

ファウスト・パペッティ楽団やシル・オースチンのテナーサックスのレコードも名盤でしたね。


前回に『青い灯影のブルース』を取り上げましたので、物はついで といいますので
カラーブルース三部作のもう一曲、ビリー・ヴォーン楽団の『白い夜霧のブルース』も並べておきます。

↓は ビリー・ヴォーン楽団の『白い夜霧のブルース』 YOUTUBEより



ポップス・ベストテン 1961年10月 その2

2013-10-12 22:34:35 | ポップス

『今週のベストテン』1961年10月14日
①コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
②悲しき街角 デル・シャノン
③峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
④ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
⑤小さな悪魔 ニール・セダカ
⑥黒い傷あとのブルース アンリ・ド・パリ楽団
⑦月光のノクターン ディック・ジェイコブス楽団と合唱団
⑧トラベリン・マン リッキー・ネルソン
⑨九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑩悲しき足音 スティーブ・ローレンス

『今週のヒットレコード』1961年10月15日
①悲しき街角 デル・シャノン
②トラベリン・マン リッキー・ネルソン
③ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
④峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
⑤九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑥涙のムーディ・リバー パット・ブーン
⑦コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
⑧荒野の七人 アル・カイオラ楽団
⑨今夜二人で ポール・アンカ
⑩栄光への脱出 パット・ブーン

『今週のヒットレコード』でデル・シャノンの『悲しき街角』がついにベストワンに登り詰め、独走態勢に入ります。
ながらくベストテン入りをしていたパット・ブーンの『栄光への脱出』が『今週のベストテン』から消え、
『今週のヒットレコード』もこの週までとなりました。

また、『今週のベストテン』にスティーブ・ローレンスの『悲しき足音』がランクインしてきました。
スティーブ・ローレンスといえば今年亡くなった歌手のイーディー・ゴーメとのおしどり夫婦として有名でしたね。
ただ、彼の曲はこの『悲しき足音』の他はあまり聞き覚えがありません。
『恋のブルーアイズ』と夫婦で唄った『グリーンアイズ』くらいしか思い出せないのですが…

↓は スティーブ・ローレンスの『悲しき足音』 YOUTUBEより



ポップス・ベストテン 1961年10月 その1

2013-10-05 11:19:28 | ポップス

『今週のベストテン』1961年10月7日
①コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
②峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
③悲しき街角 デル・シャノン
④ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
⑤小さな悪魔 ニール・セダカ
⑥黒い傷あとのブルース アンリ・ド・パリ楽団
⑦月光のノクターン ディック・ジェイコブス楽団と合唱団
⑧栄光への脱出 パット・ブーン
⑨トラベリン・マン リッキー・ネルソン
⑩九月になれば ボビー・ダーリン楽団

『今週のヒットレコード』1961年10月8日
①ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン
②悲しき街角 デル・シャノン
③峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団
④トラベリン・マン リッキー・ネルソン
⑤コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団
⑥九月になれば ボビー・ダーリン楽団
⑦荒野の七人 アル・カイオラ楽団
⑧今夜二人で ポール・アンカ
⑨涙のムーディ・リバー パット・ブーン
⑩栄光への脱出 パット・ブーン

この週は順位に多少の変動があったものの、これといった新曲の登場はありませんでした。

これらベストテン番組ではないのですが…
この当時の『S盤アワー』で登場した『青い灯影のブルース』(ディック・チャールスワース楽団)がありました。
少し遅れてビリー・ヴォーン楽団の『白い夜霧のブルース』も発売され、『黒い傷あとのブルース』と併せて
カラー・ブルースの三部作となりました。
同番組の月末における【今月のベストセブン】では上位にランクインしていましたが
残念ながら『今週のベストテン』や『今週のヒットレコード』でランクインすることはありませんでした。
個人的にはとても好きな一曲です。

↓はディック・チャールスワース楽団の『青い灯影のブルース』 YOUTUBEより