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港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『ベネズエラの夜』 ウーゴ・ブランコと彼のアルパヴィアヘラ

2016-12-13 18:34:22 | 名曲セレクション

”Madrigal” Hugo Blanco



『コーヒー・ルンバ』で一躍脚光を浴びたウーゴ・ブランコの名演です。
発表の年月は定かではありませんが、ジェット・ストリームの【私のレコードアルバム】のコーナーで『悲しきルンバ』
などと同時に流れていましたので1964~5年頃ではないかと思われます。
【私のレコードアルバム】はよくエア・チェックしていましたが、最後の5曲目の途中に曲目の案内が入るのが難点でした。
この『ベネズエラの夜』も5曲目で、城達也の声が入ったカセット・テープが手元に眠っています。

↓はウーゴ・ブランコと彼のアルパヴィアヘラの『ベネズエラの夜』 YOUTUBEより


『アリヴェデルチ・ローマ』 クラウディオ・ヴィルラ

2016-12-12 16:50:37 | 名曲セレクション

”Arrivederci, Roma” Claudio Villa



この曲は1954年にピエトロ・ガリネイとサンドロ・ジョヴァニーニが作詞、レナート・ラシェルが作曲したカンツォーネで、
英国の少女がローマの名所旧跡の数々を訪ねてやがて別れを告げるという内容です。
また、1958年には米・伊合作の日本未公開映画『ローマの七つの丘(Seven Hills of Rome )』において、劇中でテノール
歌手のマリオ・ランツァが唄っています。
レコードとしてはクラウディオ・ヴィルラの他にもマリオ・ランツァ、エミリオ・ペリコリ、インストゥルメンタルとしては
ファウスト・パペッテイ、マントヴァーニー、101ストリングスなどがあり、英詩がつけられてナット・キング・コール、
ディーン・マーチン、コニー・フランシスなどがリリースされています。

T'invidio turista che arrivi,
t'imbevi de fori e de scavi,
poi tutto d'un colpo te trovi
fontana de Trevi ch'e tutta pe' te!

↓はクラウディオ・ヴィルラの『アリヴェデルチ・ローマ』 YOUTUBEより





『風に吹かれて』 ピーター、ポール&マリー

2016-12-10 06:57:18 | 名曲セレクション

”blowing in the wind” Peter、Paul & Mary



この曲は1962年にボブ・ディランが作詞・作曲し彼のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』で発表された楽曲です。
ディランは、奴隷解放時代に唄われていた”No More Auction Block”(競売台はもういらない)の歌詞やメロディーに
誘発されてこの曲を作ったといわれています。
「人はどれ位の道を歩めば人として認められるのか (人種差別問題)」に始まり、社会悪に対するいくつもの疑問を
抽象的な言葉で問いかけ、その答えは風に吹かれているとして結論付けずに人々にその答えを委ねています。
これを1963年にピーター、ポール&マリーがカヴァー、全米2位の大ヒットになりました。
日本でも1963年末あたりからヒットの兆しはありましたが、【今週のベストテン】で聞くことはありませんでした。
『風に吹かれて』はボブ・デュランが日の目を見た初めての作品ですが、当時の日本のポップスファンには彼の
存在すら認知されていないのが現実でした。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man ?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand ?
How many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

↓はピーター、ポール&マリーの『風に吹かれて』 YOUTUBEより





この曲はボブ・ディランやP.P.M.の他にも多数のカヴァーが出ているようですが、中でもマリー・ラフォレがお奨めです。

”blowing in the wind” Marie Laforêt



↓はマリー・ラフォレの『風に吹かれて』 YOUTUBEより





また、この曲を作詞したボブ・ディランが今年のノーベル文学賞に選ばれたことで賛否が極端に分かれているようです。
世界各国の文壇では、文学をそして作家をも愚弄する暴挙だとする意見が大勢のようです。
さらに、プロテスト・ソングを作詞したディランが、「死の商人」として武器商売で巨万の蓄財をなしたノーベル(財団)
からの授与を光栄だとして受賞すれば、彼にとって生涯の汚名となるのではないかとも囁かれているようです。

How many times must the cannon balls fly  
Before they're forever banned ?  どれ位の砲弾が飛び交えば永久に禁止されるのか
How many deaths will it take till he knows  
That too many people have died?  どれ位の人が死んだらあまりにも多くの人が亡くなったと気づくのか
 と歌詞で唄われた問の答えが
The answer is ⇒ 「死の商人」ノーベルからのノーベル賞を受賞して光栄
 となればこの歌詞は一体何だったのでしょうか。

私たちは小さい頃から『ノーベル賞』とは、偉人・ノーベルが私財を提供し、各分野において人類のために最大たる
貢献をした人物にに与えられる世界で最高の権威のある賞だと教えられ、擦り込まれてきました。
このことは一般常識として殆どの人々がそのように認識されており異論を唱える人はいないでしょう。
しかしながら、その設立に関する裏側の暗い影の部分は殆ど教えられていません。
 ノーベル賞を支えている莫大な資金はどのようにして形成されたのか。
 ノーベルがノーベル賞を設立しようとした動機とは。
これらを思うと改めてノーベル及び『ノーベル賞』の価値観を見直す良い機会になったと思っています。



『ヴィオレッタに捧げし歌』 アルフレッド・ハウゼ楽団

2016-12-08 15:55:25 | 名曲セレクション

”Violetta” Alfred Hause



原曲は1853年にイタリアのジュゼッペ・ヴェルディが作った歌劇『椿姫』(La Traviata 道を踏み外した女)の第二幕で
唄われるアリアです。元になった『椿姫』はデュマ・フィスの小説で主人公の椿姫はマルグリートなのですが、歌劇『椿姫』の
主人公はヴィオレッタ(すみれ)となっており、このアリアも『ヴィオレッタに捧げし歌』とされています。
曲調は道を踏み外した高級娼婦のヴィオレッタの悲劇的な運命を暗示するような哀愁をおびた美しい旋律となっており
1950年代にオーストリアのオトマール・クローゼとディ・ルケッシュの手によってコンチネンタル・タンゴにアレンジされて
コンチネンタル・タンゴを代表する一曲となりました。
邦題としては『ヴィオレッタに捧げし歌』というのが一般的ですが、私の手元にあったポリドールのレコード・ジャケット
では『ヴィオレッタ』でした。

↓はアルフレッド・ハウゼ楽団の『ヴィオレッタに捧げし歌』 YOUTUBEより


『リラの花咲く頃』 ジャン・ソルビエ

2016-12-06 14:04:52 | 名曲セレクション

”Les Lilas” Jean Sorbier



原曲は1928年にベルリンで上演されたレビュー『なんと驚いた1000人の女』の劇中歌としてフリッツ・リッターの作詞、
フランツ・デーレの作曲による「再び白いライラックが咲いたら」”Wenn der weiße Flieder wieder blüht”です。
1930年にレオ・ルリエーヴルが仏詩をつけシャンソンとなり大ヒットしましたが、中でもジャン・ソルビエ盤が
受け入れられていたようです。
日本では巴里でヒットしていたこの曲を知った宝塚歌劇の白井鐵造が日本語詞をつけ1930年上演の『パリ・ゼット』の
主題歌『すみれの花咲く頃』として使ったのをきっかけにこの曲が宝塚を象徴する歌として定着しました。

↓はジャン・ソルビエの『リラの花咲く頃』 YOUTUBEより


フランスでは『白いリラが咲くとき』”Quand refleuriront les lilas blanc”とも題されていたようです。