絵本から学ぶ(1)の最後には次のように書きました。
思いやり~「相手の思いに沿って、その思いに共感し、その思いを共有し、その思いをともに生きようとする」ためには、まず相手に対して感謝や恩返しの気持ちを持つことが大切なのです。
今回は、思いやりの行動が「祈り」から生まれていることを『きずついたつばさをなおすには』(ボブ・グラハム作 まつかわまゆみ訳 評論社)に沿って考えてみます。
とかいのたかいところで、まどガラスにトンとつばさがぶつかった。
*都会に限らず、誰も自分のことだけで精いっぱいでお互いに無関心。だから目の届か
ないビルの高い窓、そこにぶつかる翼、それも小さくトンと。小さくたって、小さな音だっ
て傷ついているのです。幼稚園の滑り台の下、中学校の桜の樹の陰にもそんな子がい
ます。
だれもきいていない。
*聴こえるものが違うのでしょう。うわさでありゴシップであり金儲けの話であり。
子どもだって友 人の表情を見ていないことがある。
人は聞こうとしなければ聞こえない、見ようとしなければ見えない。
いちわの鳥がおちてきた。
だれもみていない。
だれもきづかない。
*いや、嘘です。見ないふり、気づかないふりをしているのです。面倒なことには関わらな
い、近づかない。無関心・無理解・無感動・・。そして、みんなが言う。
忙しい、忙しい・・
大震災、大災害、コロナ禍、虐待、犯罪被害、性被害、家族の死、人間関係の軋
轢、挫折体験、日々のニュースの中でも傷つく子どもたちがいるのです。
ウィルだけが・・・
*大人ではなく子どものウィルだけが気づく。大人は、我執・偏見・羨望・欲望などで目が
曇っているから気付かない。ウィルでありたい私たち。
つばさをいためた鳥に気がついた。
*ウィルも翼を痛めたことがあるのでしょうか。そして、誰かに助けられたことがあるので
しょうか。いい思い出を、あたたかな思い出を、優しく包まれた記憶を子どもにはいっぱ
い残したい。あたたかくされた人があたたかくできるのだから。
ウィルは鳥をつれてかえった。
とれたはねはもどらないけど・・・
*とれた羽ってなんでしょう。私たちには治せるものとそうでないものがあ る。強引に介
入することによってより一層傷つけてしまうこともある。そっとしておくだけでもない、
治そうとして自分の力を誇示しないのです。相手の幸せを優先するのです。何でもでき
るという傲慢さはダメ。ウィルが両親の力を借りたように、専門家の力も必要なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/4b/3c97664c6eb6a8d148b02e59b82bd9e8.jpg)
きずついたつばさはなおるかも。
ゆっくりやすんで・・・
ときがたって・・・・
ほら、きぼうが・・・・
*強引に介入してはいけません。時間を限ってなにもしないことも大切。ここは、分析する
のではなく総合的に見る、そう「物語性」の大切さです。長い時間かかって傷ついた心
の修復には、その何倍も何十倍もの時間が必要なのです。その間は、ずっと回復を祈り
ながら寄り添うのです。希望は傷ついた本人の瞳に宿るのです。
ウィルも聴いてあげたのです、鳥の痛みを。だから、鳥も「話してよかった」「今
まで言えなくて辛かった」「私が悪いのではないことがわかって安心した」と回
復していったのでしょう。泣くことによるカタルシスもあったかもしれない。
鳥はとべるかもしれない。
*飛べるかもしれない。飛んでほしい。傷をなおして羽ばたいてほしい、この鳥のために
ある空に。この強い願いが「祈り」なのだと思います。
鳥のために祈るのです。あの日、ドミンゴが日本のために「故郷」を歌ってくれたよう
に、上皇様がお言葉を述べたように・・・。被災した少女が海に向かって鎮魂のトランペ
ットを吹いたように・・・。自分のためでなく、誰かのために祈る祈りは通じるのです。
ウィルがりょうてをひろげたら・・・・。
鳥はちからづよくはばたいて、
そらたかくとびさった。
*子どもの傷に沿って、包むようなあたたかさで、そう「育む」という言葉の語源が「羽根
で包む」「はくくむ」であるように、優しく子どもの「生」をいとおしみ成長させたいもの
です。ウィルのしたように。