大晦日の夜、今は亡き友と神社から神社へと「はしご」して回りました。高校1,2年生の頃だったでしょうか。街灯は整備されてなく、舗装もされていませんでした。何を話しながら歩いたのか覚えていません。ただ、耳にはそのとき履いていた二人の下駄の音だけが残っています。ゲームセンターもなくインターネットもなく、アナログな生活を送っていた私にとって、大晦日の夜をただ下駄の音を聞きながら友と歩き年を越すという行為は、とてもすてきなものでした。
もう少し年齢が低かった頃、なんと言ってもテレビが普及し始めた頃のプロレス中継は大きなイベントでした。近くの病院の居間での観戦、お茶を扱いながら電器商を営んでいた店での観戦、歩いて20分ほどのところにあった同級生の家での観戦・・・。放映の途中でアナウンサーが叫んだものでした。「今入ったニュースによりますと、○○町の○○さん宅の二階が、人の重さで崩れました!」狭い部屋にたくさんの人がひしめき合ってのテレビ・プロレス観戦でした。
家の中で見られないときには、街頭テレビがありました。私が記憶しているのはお寺の広場のテレビ。5メートルくらいの高さに普段は扉を閉めたテレビが置かれていました。プロレス中継の時は、たくさんの人が集まり立ち見です。力道山がシャープ兄弟に空手チョップを見舞う、歓声が起こり、人が一斉に揺れ倒れそうでした。下駄を履き、大人の間に挟まれろくにテレビが見えない状態でした。
いつの間にか、片方の下駄が脱げました。その後はプロレスどころではありません。でも、雑踏の中で下駄が見つかるはずはありませんでした。プロレス中継が終わり、みんな興奮しながら帰った後、広場は暗く下駄は見つかりません。片方の下駄を提げ裸足で帰宅し、叱られました。次の日の早朝、広場の隅に転がっていた下駄を見つけました。
「靴箱」にある下駄を履く機会はもうなさそうです。