ある研究団体の会長事務局長会で「課題と方策」について講話をするように依頼されました。研究内容はともかくまずは研究に臨む姿勢こそが大切、誰かの論のコピーを研究団体の方針にすることなく、従来の方法論などにとらわれぬ独自な研究に果敢に挑む姿勢ことが大切であるとお話ししました。
その際に山口誓子の掲句を引用し、以下のように話しました。
さて、寒さ厳しいこの季節になりますと必ず思い出す俳句があります。山口誓子という人の句です。
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
炭をつぐ~手元に火鉢に炭を足しているという姿でしょう。この句に魅かれる理由は「学問のさびしさにたえ」の「さびしさ」にあります。普通「学問・研究」と言えば「厳しさ」ととらえるのが通常です。「学問の厳しさに耐え炭をつぐ」と。しかしそうではない「さびしさ」とは何でしょう。たった一人の孤独感に耐えての学問とは何を指すのでしょう。わたしはそれを「誰もがしているような研究ではなく、その人にしかできない独創的な研究をする人、している人の孤独感」だと考えています。身を切るような身をさいなまれるような寂しさ、孤独感の中にあってこそ、従来の理論にとらわれず、従来の考えを越えた理論が生まれるのだと思います。
私たちももっと「さびしさに耐えて」研究したらどうなのでしょう。これは、これからお話しすることの結論でもあります。
これを導入として、私の考えている「課題とその解決のための方策」を話させていただき、最後を以下のようにまとめました。
私たちはわかったつもりになってしまう傾向にあるのです。それをしっかり認識し、自分の眼で見、自分の心で感じ、自分の言葉で表現しなければならないと肝に銘じています。
最初の俳句に戻れば 学問のさびしさに耐え炭をつぐ ということになるのです。しっかりとそれぞれの視点を持ち、「誰もがしているような研究ではなく、その人にしか、その団体にしかできない独創的な研究をする人、している人の団体の孤独感」に耐えましょう、ということになります。今こそ孤独感に耐えて私たち独自の研究を継続しましょう。
そのことが「炭をつぐ」~私たちの考えを後輩たちに「継ぐ」つなぐ・継続する、という私たち先輩としての役目なのではないでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます