季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

もっと語りかけを

2020-05-18 19:36:36 | 日記
  5月の愛鳥週間は、アメリカのバードデーにならったもので昭和22年に発足しました。外出自粛が解けたなら、目に染みる新緑の中で、小鳥の声に耳を傾けるのもいいですね。

 ところで、鳥たちははじめから上手に鳴けるのでしょうか。そうではありません。親鳥の鳴き声を聞いて覚えるのです。親鳥は,子鳥がまだ目も見えないうちから、鳴き声のシャワーを浴びせるのです。そのシャワーを十分に経験した子鳥だけが、生活のためのテリトリーソングと、子どもを残すためのラブソングが歌えるようになるのだそうです。
 人間もそうなのでしょう。幼い時の絶え間ない親の語りかけが、いわゆる母語として残り、やがて自分の言葉で話せるようになるのです。幼い時期に、言葉のシャワーを降り注ぐことが大切なのです。
家庭では、たくさん言葉を、子どもに降り注いでいるのでしょうか。テレビに任せていないのでしょうか。子どもの目を見て、ゆっくりと、ていねいに語りかけて欲しいものです。そして、その言葉は優しく温かいものであってほしい。「あれをしてはいけない」「こうしなさい」などの禁止や指示の言葉だけで子どもは成長するわけではありません。子どもの思いを受け止め、子どもの成長を願う、羽毛のようなあたたかい言葉に包まれて、子どもたちは望ましい成長をするのです。

 子どもの成長に伴って、子どもとの会話は少なくなっていきます。私たちがそうであったように、子どもには、おとなとの会話など、けむたくてしょうがない時期があるのです。たとえその時期になっても、私たちは大人としての夢を、生き方を、シャワーのようにとはいかなくても、せめて雨だれのように語りかけ続けたいものです。
まだまだ、ラブソングもテリトリーソングも覚えなければならない時期の、子どもたちなのですから。

  囀りの中に三女の産まれけり 宙
                 


鯉のぼり太刀も兜も闘はず

2020-05-04 09:33:38 | 俳句
 長男が生まれて40年近く、こどもの日が近くなると「兜」を飾ってきました。久能山東照宮にある徳川家康の具足を模したものです。前立てに羊歯の葉を配した頭巾型。羊歯には長寿・子孫繁栄の意味があるそうです。
 今年はその兜がありません。3.11の年を除き毎年飾ってきましたが、もうお役御免かと考えました。年に一度出すだけなので傷みはありません。捨てるに忍びず、図書館にもらってもらえないかと訊くことにしました。毎年3月にはロビーに雛人形が飾られますが、5月のロビーの淋しさが気になってもいました。市の図書館運営委員会に長くかかわってきたこともあり、館長さんに意向を聞くと快く引き取ってくれると返事をいただきました。早速、兜本体や弓、太刀、篝や屏風などを届けました。
 後日、「ロビーに飾ったので見に来てください」と連絡がありました。途端に、新型コロナウィルスの影響で閉館。子どもたちに見てほしかった兜、まもなく5月5日です。今年は誰の目にもふれることなく、ロビーにひっそりと飾られたままになりそうです。
 家康の兜が一日も早く「邪気」を払ってくれますように。
 

新型コロナウィルスに思う~「待つ」ということ

2020-05-01 17:43:46 | 日記
「緊急事態宣言」が延長されそうです。
外出を自粛し人とのふれあいを7、8割減らす生活は容易ではありません。皆さんはどのようになさっているのでしょうか。宣言発出時以降も、一部の人達が外出自粛を行わない、感染を意に介さないという行動をとりました。家族連れのスーパーでの買い物や行楽地での車の渋滞など、事情がある人は別にして「じっとして待つことができない」人々の多さに驚きました。

現代は待たなくて良い社会、待つことができない社会になった。私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくし始めた。          鷲田清一『待つ』
 
日々生きるためには「意のままにならない」事態に対する忍耐が必要です。それが無くなってしまったというのです。確かに世の中は便利になりました。夜アイスクリームが食べたくなれば、近くのコンビニに走ればいいし(コンビニエンスは便利!)、恋人に会いたくなればスマホ画像で顔を見ながら話もできます。私たちは望んで、我慢して待たなくてもよい社会を創りあげてきたのです。その結果「意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた」というわけです。
古来日本人は、何でも思いのままになると考える不遜さは持ち合わせていなかったのではないでしょうか。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。(中略)偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ」(『平家物語』)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)

すべてははかなく移りゆくのですよ。じたばたせずに謙虚に前向きに生きましょうと教えてくれているのです。

緊急時には「盛時」には見えないその人の本性が否応なく現れます。さまざまな人のさまざまな言動に心が映し出されます。こんな「衰時」だからこそ私たちの生き方が問われていると言えるのです。