ネットの上では、左右両翼の言論合戦が繰り広げているが、いったん政権を握ってしまえばそんなことは意味をなさない。
左右両翼の方々は、言っちゃ悪いが、カンパをくれる組織票要員である。
さらに、志操堅固であるが故に、ふらふらしないので、これ以上確かな票田はない。
さて、政権の座に就いた暁に必要なことはなにか?
それは結局、統治者として有能か無能か。
ただそれだけにつきるのである。
統治者として有能かどうかのメルクマールは、内憂に対しては、パンとサーカスを維持して不満分子を黙らせ、外患に対しては、質のいい同盟国と同盟を結び、他国の侵略企図を挫けばいいのである。
口で言うのは簡単だが、これはなかなか難しい。
戦後だって、官僚派閥の雄である吉田茂と、党人派閥の雄である鳩山一郎がそれぞれドクトリンを出して、国論が二分した。
ただ、当時の日本上級国民と占領軍の利害関係が一致したからこそ、鳩山一郎氏が謎の脳血管障害で政界を引退し、政界に残った吉田茂氏が勝ったわけである。
その辺は釈然としないが、あいにく時間の歯車は、元に戻すことはできない。
さて、国体を維持して国家の独立を守り、さらに民衆に対してパンとサーカスを供給し続ける。
それがなかなかうまくいかないからこそローマ帝国の興亡があり、中国王朝の興亡があるわけだから、気の遠くなるような長い時間、一つの王朝を保ってきた皇室は素晴らしいし、それを輔翼してきた日本官僚機構も素晴らしい。
それを誇りに思わなかったИкэмотоは、どこかおかしかったのであろう。
そんなことを思った、夕飯前のИкэмотоであった。