私の人間不信がすさまじかったときは、ノンヒューマン転移をしていた。
人格には愛憎があり、好き嫌いがある。
憎まれるのがいやで、嫌われるのがいやなら、普通一般の人間関係のルールを守ればいいのだが、それに反しても、まだ一緒にいてもらえることが愛好の証だと思い込んでいたのだろう。
今考えれば、愚かなことである。
その頃は人々をあだ名で呼び、それもリアルのつきあいではなく、子供の落書き帳にイラストを描いて、その人たちと広場でフリスビーをしたり相撲を取ったりして遊んでいる落書きを書いて、人間関係もどきを結んだつもりになって喜んでいたのである。
こともあろうに、人恋しくなってネットに出るのだが、画面の向こうの相手が、生身の人間という認識がなかったのだ。
これは致命的なことである。
リアルの人間を切り取って、子供の落書き帳の上で、お人形さんごっこをする。
まあ、リアルや画面越しにそんなことをしなかったことは、これは神様仏様のご加護であろう。
そうとしか思えない。
これは余談であるが、リアルの方で、人間関係の改善に努めたのがよかったか、なんかいつも感じる不快な波動が消えて、心身が安定するようになった。
それ以来人間不信や退行が溶けて、人間嫌いが治り、人生が楽しめるようになったのも不思議である。
何やら朝っぱらから意味のよくわからない記事ではあるが、そんなわけである。
なんか読者さんは友達。
そんなのりで記事を書いても読者さんには迷惑であろうが、許されよ。