人は適応するためにTPOに応じて仮面をかぶる。
例えば、
家庭でかぶる仮面、
学校でかぶる仮面、
職場でかぶる仮面、
エトセトラ。
TPOに応じて仮面をかぶれる人で適応に失敗した人は見たことがない。
TPOに応じて仮面をかぶれる人で適応に失敗する人は、よっぽどその環境と相性が悪いのだから、そんな環境から早々に退散した方がよいと思う。
仮面の数があんまりありすぎると、人は自分の素顔を忘れてしまう。
それが自己疎外である。
一つの仮面をすべての環境で通用させようとして、適応に失敗したのが、ある心の病である。
その人は、その仮面が必要とされる環境で、仮面が受け入れられなかったのであろう。
「私の適応能力ではその仮面を作り出すことで精一杯なんだ! 文句あるか! その仮面を認めろ!」と、内心絶叫しているのだが、残念ながらその声は、本人に周りにも聞こえていない。
その悲劇こそが、ある心の病の人たちの心の奥底に流れる深層海流なのである。
仮面。
元々仮面とは、聖なる儀式の時に、神霊を憑依させるために用いた聖なる道具である。
はっきり言って、人間集団というのは、儀式魔術の場なのである。
その儀式魔術において、ペルソナという名の仮面をかぶって個々の成員が役を演じる。
その中である人はカリスマトレーガー(カリスマの担い手)として、またある人はピエロとして、儀式魔術の中で役を演じる。
それがいやだったら、素顔の自分を思い出すべきだ。
その素顔とは仏教で言えば、万物は無記性。
決して固有の性質などないのだ。
ただ、縁に従ってある性質を帯びる。
その縁が、あなたの意に沿わない役割を演じさせるのだ。
そんなときは、そんな場所から離れて、少し休もう。
そうするとありのままのあなたの心の叫びが聞こえてくる。
その心の叫びを無視してはならない。
以上である。