身の回りの人間関係が自分にプラスにならないと思ったら、そんな人間関係からは離れることだ。
だいたい、アル中やボダそしてナルからは人は離れていく。
だったら相手が正気の人間でも、自分のプラスにならないと思ったら、離れてもいいのだ。
正気の定義だが、あなたは医者の診断上は、病だと診断されているかもしれない。
だが、もし、医者の言うとおり、周りの正気の人間から正気を学んで病を治すというのが本義ならば、あなたはとっくの昔に病が治っているはずだし、病にすらならないはずだ。
論より証拠、今のあなたの周りの人間関係は、すさまじいほどにあなたにとって有害だからこそ、あなたは心を病んでしまったし、未だに回復しないのだ。
あなたは小さい頃から、あなたの心にとって有害な人物に囲まれてきた。
今現在もそうであるから、あなたは病んだままだ。
さびしくてもいいから、そんな連中から離れようではないか!
居場所がなくなる。
確かにそうかもしれない。
でも、生まれてこの方、あなたに心の居場所があったか?
人は物理的な居場所のほかに、心の居場所も必要だ。
思い返してみよう!
あなたは幼い頃から、あなたの心を決めつけられ、ノーサンキューなことばかりされては来なかったか?
今の今まで!
そんなていたらくで、どこにあなたに心の居場所があったのであろう?
ないはずだ。
薬で頭はぼけさせられていても、物理的な居場所はあっても心理的な居場所がないさみしさに苦しめられ、外なる有害な連中に囲まれ、苦しめられているのが実相だ!
そんな環境から離れるために、食う寝るところ、すむところが欲しかったら、役所に掛け合ってみよ!
彼らは憲法上、あなたに健康で文化的な最低限の生活を提供する義務がある!
その健康の中に「心理生活上の健康」という概念も含まれているのだ!
ガタガタ言ったら、それをネタに「司法判断を求める。」といってみよ。
どんな回答が出るか楽しみである!
そんなわけである。