感情には光の感情と闇の感情がある。
ある教えでは、この光の感情と闇の感情は、見えない天秤の上で釣り合っている。
光の感情は、よっぽど偏屈な人じゃない限り、みんな喜ぶ。
が、闇の感情は出したら最後、そのコミュニティでひどい目に遭う。
が、天秤は真釣り合わせなくてはならない。
だから例えば悪知恵の働く卑怯な人は、コミュニティの中で哀れな生け贄を見つけ、それを集団フルボッコにすることで、闇の感情をアースさせるのだ。
こんな話は古今東西いっぱいある。
西はイエスの磔刑。東は素戔嗚尊の神話や追儺の鬼。
罪があろうがなかろうが、些細な言いがかりをつけては、哀れな生け贄をフルボッコにし、集団ヒステリーで暴動が起きる前に、闇の感情をアースさせるのだ。
日本では、東海のある地方で、祭りの日に通りかかった旅人をフルボッコにしてみたり、関東のある地方のように乱交の要求を歌垣や盆踊りでアースさせてみたり、反乱への意志を選挙でアースさせたり、まあ、統治者もいろいろ考えるものだ。
ただ、我々は文明人であるから、集団リンチの要求や乱交の要求、反乱への意志をむき出しにするわけにはいかず、昇華させた形でアースさせるわけである。
こんなことは誰でも思いつく話だ。
読者の皆さんも、なんかの行事は、なんかの意志の昇華行為だと思ってみてみると、おもしろい発想を思いつくに違いない。
そんなわけである。
以上、管内中野でいけもと。