2016年5月15日
決定した入賞作品から
「お前は最低の看護師だ!」
これは、2013年の寒い冬の夜、ある患者さんから言われた言葉です。「ある患者さん」というのは、私の父です。
父は肝硬変を患い、私が勤務する病院に入院し、治療を受けました。その闘病生活はとても厳しいものでした。私は介護休暇を申請し、そばに付き添う生活を送りました。看護の仕事に就いて15年。初めての経験でした。
私は、看護師であるプライドと家族からの期待を裏切らないように、毎日自分の力の限り、必死で付き添いました。しかし、父は夜間にせん妄状態になることがあり、そのたびに「なんで私を困らせるの?」とつぶやきながら、布団に潜り込んで号泣しました。
「お前は最低の看護師だ!」という言葉も、せん妄状態の父が発した言葉でした。私は、父から言われたというショックと、看護師としてのプライドが一気に崩され、父の部屋を飛び出し、待合所で号泣しました。そして、いつの間にか寝てしまいました。
その夜に不思議な夢を見ました。幼い私と若い父。私が楽しそうにワープロを教えてもらっている風景。次は、苦手だった数学を教えてもらっている風景。次から次に場面が展開し、まるで物語のような夢を見ました。気付くと窓から日が差していました。その朝は、とても不思議な気持ちになり、逃げ出したはずの父の病室に自然と駆け寄りました。
父の寝顔を見て「もしかして、今度も私に何かを教えたいのかもしれない」という思いが私の心の中に舞い降り、その瞬間に柔らかい涙が頰を流れました。
その日から、夢の続きの「専属ナース物語」が始まりました。
介護休暇が終わり、仕事に復帰した私は、日中は看護業務を、夜間は私服に着替えて父の付き添いをしました。父は、白衣を着た私には厳しく、あいさつや立ち姿、環境整備などを細かく評価し「お前は心遣いが足りないことが多すぎる」「お前の看護はアイデアと発明が足りない」といった感じで、毎日叱ってくれました。でも、白衣を脱いで「娘」に戻ると「お前の仕事は大変だ。体を大切にしろよ」と温かい声を掛けてくれました。
いつの間にか、家族の病気という大きな出来事も、私に与えられた素晴らしい時間なんだと思えるようになりました。
「お前もいい看護師になってきたな」と言ってくれた1カ月後、父は家族に囲まれて旅立ちました。
時が経ち、父の友人から「お父さんは『俺の専属ナースは最高の看護師だ』って、美恵ちゃんのことをいつも自慢していたよ」という話を聞きました。そのとき、涙があふれ、目の前の父の写真がゆがんで見える中、「お前に合格点をやる。専属ナースはたくさんの人を助けなさい」という声が聞こえた気がしました。
私は、今もその場所で働いています。時に叱り、時に褒めてくれた父の言葉を胸に、私のナース物語は、これからも続きます。
野裕子さん 49歳 (滋賀県)
12年前の冬、ある病院で私の夫は最期の時を迎えようとしていました。まだ35歳。闘病の3年間、手術や抗がん剤治療を繰り返しながら、当時はまだ珍しかった病院内での「患者と家族の会」も立ち上げ、精一杯、病気と闘ってきました。そして、よく笑う幼い2人の子どもたちと穏やかで幸せな日々を送っていました。
しかし、病は夫の体の自由を奪い、感覚を奪い、次第に意識をも奪っていきました。痩せた体は驚くほど脚がむくみ、私一人では抱えきれない状態になりました。
そんなある日、私は夫の着替えを手伝ってくれている看護師のUさんのお腹が大きくなっていることに気付きました。もっと早く気付いても良かったはずですが、日ごろからお腹をかばう様子も見せず、いつもキビキビと動き回る姿はとても妊婦さんには思えなかったのです。
遠慮がちにUさんに聞くと、やはり赤ちゃんがいるとのこと。すぐほかの看護師さんに代わってもらうようお願いしました。が、Uさんは聞き入れてくれません。夫の体は相当な重さです。夫の体を抱えたとき、ベッドの縁がUさんのお腹に当たりぐにゅっと食い込むのが見えて、思わず声が震えました。
「お願いだから誰かに代わってもらいましょう。彼はとても子どもを大切にする人です。もし彼が話せたら、きっと『やめて』って言うと思います。だからもうやめて、お願いだから……」
その時、必死で懇願する私にUさんは言いました。
「実は、私はあしたから産休に入ります。きょうが野さんのお世話ができる……たぶん最後の日になると思います」
「最後の日」と言うUさんの顔がゆがみました。全ての意味を含んでいるのが分かりました。「私たちは今まで野さんと奥さんのがんばりをずっと見せてもらっていました。諦めない明るいお二人を見ながら、今のどうしようもない現実がとてもつらいです」。その目は真っ赤で、今にもこぼれそうなほど涙が浮かんでいました。
「野さんの姿を見ながら、この子が生まれる意味を私はとても感じさせてもらっています。だから今日は私にやらせてください。絶対、無理はしませんから……」
その後、Uさんと私は一緒に泣きながら、笑いながら、そして夫とお腹の中の赤ちゃんに話し掛けながら、時間をかけて夫の着替えを終えました。
逝くことと生まれくること……。そして、それらに添って見守ることを私たちはそれぞれの立場で共有していたのでしょう。それは、途方もなく寂しくて、温かく優しい時間でした。
現在、私は「入院患者と家族のためのサポートハウス」を作ろうと奮闘しています。小さくてもいいのです。あのときもらった優しい時間と静かな勇気を同じ立場の誰かに届けたいと思っています。
あのときの赤ちゃんは、きっともう12歳。あの日からずっと会いたいと思っています。忘れたことはありません。Uさん、もし会えたら抱きしめてもいいですか?
「あのときは、協力してくれてありがとうね。あなたと、あなたのお母さんがくれた勇気を、今でもうれしく覚えているのよ」
ちょうど医者の待合室で読んでいたんだけど、危うく涙が出そうになってしまったよ。