ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

ファッション誌『装苑』から

2016-11-03 | アート
文化の日。現憲法が公布された日ということを、案外、知らない人も多いかもしれないですね。とまれ、文化の日はよく晴れるとのこと。我が家の屋上から全方位で見える、文化の日の奈良の山の稜線は、まさに「大和しうるわし」。「文化」がこの風景のように、いつも側にあればいいなと思う、晴れた日。文化勲章の授与も行われましたが、なんといっても、草間弥生、87歳!赤い髪で文化勲章をつけて、前衛芸術家ならではの迫力でしたね。
さて、草間弥生のみならず、創作者として生き続けている、おばあ様たちが大好きです。なんといっても、103歳、美術家の篠田桃紅。この方の本、とても売れているそうですが、その言葉は毅然としてて、究極の「1人」いる姿だな、と感心します。甘えがない。この「私は私」は、現在蔓延している「空気をよむ」の対極にあります。学生のころ、映画監督、篠田正浩さんの従姉ということから知ったのが始まりでした。1人でたつ、大きな芸術の母です。
で、なぜタイトルのファッション誌『装苑』かというと、今年になってからなんとなく、表紙がお洒落で、定期購読を始めたのですが、これがあたりでした。『装苑』は、若者対象のやや尖ったファッション雑誌ですが、誌面のヴィジュアルデザインもさることながら、内容のセレクトの仕方が、アバンギャルドなにおいが、全体にあり、きれいなものと尖ったもののバランス感覚がよくて、思わず、見てしまいます。そうそう、小さいころ、服を作っていた母の近くに、『装苑』がありました。洋服の「型紙」(昔の言い方ですねえ…)があるのも、この雑誌の特徴で、うーん、作ってみたいなあ、そんなパターンが掲載されています。
毎回の連載の一つに、デザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドの活動の紹介があります。彼女はイギリスのデザイナーで75歳のキュートで反骨精神のあるおばあ様。百貨店でそのブランドをよく見かけるので、知っておられる方も多いでしょうね。さすがは大英帝国の迫力とエレガンス、そこに、ロックな反逆の精神も見られる、知的で行動的なデザイナーです。今月号は、『装苑』80周年ということで、このヴィヴィアンの言葉に、デザイナー、ポールスミス(こちろらは70歳)そして、一番「わぁ!」と嬉しかったのは、表紙が、イラストレーターの宇野亜喜良!寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」の舞台美術で私には印象的なイラストレーター。宇野さんは82歳!皆さん、若者ファッション誌『装苑』に、ものすごくぴったりなんです。芸術は世代を超える!
私の短歌の師、歌人、前登志夫は82歳でなくなりましたが、前先生にも、これら芸術家と同じ匂いがします。伝統と前衛と保守と反逆が混沌とある…そこから照らされる世界の豊暁なこと!…前先生の話はまた時間をかけてするとして…。
『装苑』の話を。今月の80周年の企画で、ヴィヴィアン・ウエストウッドはこんなことを書いています。「自分の感覚は自分で磨くことができます。本を読んでアートを学んで、そして興味のあることに取り組んで、自分のあるものを磨いていくことによって、本物の文化を生み出すことができるのですから。(中略)一着の服のデザインも、100を越える決断をしながら形つくられていきます。デザインとは存在するのに正当な理由がなければなりません。それができなければ、世界はその服を必要としないのです。」
そして、もうお一方のポール・スミス。こちらも有名なイギリスのデザイナー。ポール・スミスを着ている人も多いですよね。実は今年、全国でポール・スミス展が。関西では、京都国立近代美術館で6~7月に行われました。私はそれを知らなくて、ある日主人が、京都に行くことがあり「ポール・スミス展は面白かった。」。もう最終にかかっていて、私は行けず…無念でしたが、とにかく若い方が多く、自由に写真を撮ることができるので、大変盛り上がっていたとのこと。
そんな70、80代の芸術家、デザイナーの創作が、美や世界の成り立ちを、教えてくれます。翁、媼のパワーでございます。年月を重ねて、変わらないものと、成熟していくものを大事に持ちながら、年をとることの素敵を見せてくださる皆さんに拍手!と、そんな感性を知らせてくれる『装苑』にも拍手。
最後に、この『装苑80周年記念号』の「ART」に取り上げられていたのが、クリスチャン・ボルタンスキー!彼は、空間そのものを作品にする、それでいて祈るような、懐かしいような、死がそこにあるような、作品なんですが、東京都庭園美術館で開催中の展覧会の紹介がされてました。彼の展覧会を25年前に見てから、その名前だけは頭にあって、時々、その時のインスタレーションの写真を見たりしていましたが…うーん、関西ではしないのかな…。奈良でしてほしい!!懐かしい名前をカムバックしてくれた『装苑』は、時代のラインと物を創ることへの意欲に満ちた雑誌です。皆さん、是非、ご覧ください。

  『装苑12月号』 宇野亜喜良さんの表紙





見ていたい…顔。~奈良市写真美術館「それぞれの時「大阪」展

2016-10-31 | アート
昨日最終日、あわてて写真美術館まで。主人と息子が「入江泰吉の文楽人形の写真が面白い。」とのことで。
この展覧会は、森山大道「大阪」・入江泰吉「文楽」・百々俊二「大阪」とサブタイトルがあるように、三人の写真家ならではの「大阪」が感じられる写真展です。
入江泰吉は奈良の方ならよく知る写真家。森山大道は、関西出身の海外でも評価の高い、ちょっとアングラ?なメジャーな写真家。そして、百々俊二。私はこの方の写真を見たことがなかったのですが、今回、一番、ぐっと来ました。なんでも、昨年、写真美術館の館長になられたとのこと。(百々は「どど」と読みます。まさに、「どどーん」の作品!)
さて、その百々さんの作品、六十年代、七十年代の新世界の写真がありました。街の写真は、七十年代に子どもだった者としては、なんともリアルで、それは懐かしいとか、ノスタルジィとか、少しセンチメンタルな感情を呼ぶ、それとはまた異質のものです。存在がドーンとあり、この風景は今はもうないとしても、写真が生きもののように、そこにあるのです。
新世界界隈の人物をとった写真は、飲み屋で笑うおじさん、夜の商売のお姐さん、日々の労働の後の一杯、それを味わうおっちゃんたち。あのフォークのカリスマ、岡林信康の「山谷ブルース」に「♪今日の仕事はつらかった、後は焼酎をあおるだけ」とありますが、そんなぎりぎりの暮らしの顔なのに、まあなんとも良くて、その顔の写真の前にずーっと立っていました。
演劇をしているから、というわけではないてずが、30代後半くらいから、なんとなくいつも「見ていたい顔」に会いたいな、と思うようになりました。
それは、たまたま、20代の頃に手に入れた「バートン・ホームズ」の展覧会カタログにあった、昔の日本人の顔の写真を見てからでした。バートン・ホームズは、まだ写真がめずらしかった百年以上前、世界各地を回り、各地の名所や人物を撮影、これらの写真を見ながら各地を講演して、好評を博した写真家です。彼の写真の中に、大正時代初期の日本の風景と日本人の写真があり、牛をひいている人、薪を背負って坂を登る女の人、子守をする女の子など、たくさんの日本人の顔があります。これを見ながら、ふと、こういう顔に会いたい、見たい、と思うようになりました。そうしていたら、NHKで番組名は忘れましたが、そのころの日本の映像をカラー化した番組があり、それで車夫(だったと思いますが)仕事を終えて、一杯の蕎麦を食べる映像があり、食べながら見せるその男の人の素朴な「笑み」に、ああ、いいなあ、と。同時に、こんな顔は、今、どこにあるのだろうとも。
平たくいうと、これら昔の日本人の顔は、その人がその時にそのままの顔なわけで、現代の、マニュアル化された接客の顔とは全く違います。また、昔は「見られる」という意識もなかったでしょう。食べるために、黙々と目の前のことをして、糧を得るだけ。では、それで悲惨な顔をしているかというと、そうでない。
百々さんの写真もまさにそうで、新世界近辺の、おっちゃん、おばちゃんの「顔」は、生きているなあと思う顔でした。
哲学者の鷲田清一さんが、百々さんの写真に一文を寄せられたものが紹介されていて、そこには「おっとり」という言葉がありました。さすがは鷲田さんの言葉です。つまり、百々さんの写真の人物たちは、日々の暮らしに余裕がないけれども、確かにその顔は「おっとり」しているのです。
「おっとり」というのは、優雅で余裕がある言葉だなと思います。ぎりぎりに生きている人たちが、そんな味わいを持っている、そういう顔をして生きていたことは、実に素敵じゃないか、と思います。久々に見ていたい顔に会えて嬉しい限りの写真展でした。
あ、入江泰吉の文楽の写真も良かったですよ!良弁僧正の人形の顔のなんとも端正で静かな思索を感じる顔であることか。そして、すごかったのが、亡霊「お岩」の顔。
これは、すさまじい迫力、人形ならではの力ある形相です。
百々さんの写真の顔、文楽の人形の顔、百年前のバートン・ホームズが撮った、日本人の顔…。
私たちは「私」の顔をして、生きているのでしょうか。
 
(バートン・ホームズ コレクション カタログより)


奈良の現代アートから ~はならぁと 高取町展示から

2016-10-19 | アート
9月3日から始まった「東アジア文化都市2106奈良市」は奈良市の八社寺と奈良町エリアで現代アートの展示をしています。奈良町にぎわいの家もその会場として、連日、たくさんのお客様が来館、岡田一郎さん、林和音さんの作品「FLOW」を興味深く見て下さいました。この日曜日、23日まで開催、まだの方は是非ご覧ください。
さて、奈良県では「アートによる地域価値の発掘作業を通して、奈良県の豊かな文化や暮らしを過去から未来に繋ぐ、今ここから発信するアートプロジェクト」(はならぁとHPより)はならぁとを5年前から奈良県の各エリアで、毎年開催、「奈良・町家の芸術祭」とあるように、近年特に問題になっている、住み手のいない空き家や古民家を、アートの力でその魅力を再生、その過程において、地域との共同作業も生まれ…といった、地域の特性と地元との協働、といったことを大事にしたものです。
現在、奈良町にぎわいの家も参画している「ならまちアートプロジェクト」も、「奈良町」という場所や空間を意識して作られているという点では、良く似た文脈もあると思いますが、企画全体のコンセプトはさておき…。
展覧会、という以上、鑑賞される形があり、その形の存在を鑑賞すると思っています。作品が好き、嫌いの問題はさておき、まずは鑑賞する形がなんだか希薄に感じられるのはなぜかなと思いながら見ました。展示方法がなんともハテナ?という印象でした。場の必然性と作品の存在が立たない、という感じでしょうか?
「見てもらって好きに、何でも感じれば良い。何を思ってもらってもいい。」とのことでしたが、確かに、それはそうですが、作る側が初めからそこに甘えてしまっていては、結局、見るべき「形」や「フォルム」は生まれないと思います。
私はアートの人間ではないですが、「ものをつくる」という土俵が同じというところから考えると、何かを生むのは、直感と思考、直感に客観的な力を与えるための思考力、思考力を保つための努力がいると思います。その「持続」の厚みが、見た時の作品の「厚み」に反映されてくるように思います。
今回のはならぁと、高取エリアの作品の希薄さ、これが意図された、仕掛けられた薄さなら、鑑賞もできる。けれど、そうでもなく、ほぼ「ほったらかし」な感じを受けるのはなぜでしょう。丁寧さにかけるのです。ある町家には、扇風機が回っていました。この扇風機の置かれ方がまた適当で、この「適当さ」が、作品全体の必然かというと、そうでなく、ただ、置いてある。
扇風機、というと、「ならまちアートプロジェクト」の黒田大祐さんの作品が、扇風機を使っています。この黒田さんの作品の扇風機は、天井から吊ってあります。扇風機の風の吹き方は、まるで音楽、リズムをとっているようで、その扇風機の奥に、不思議なダンスの影の映像が映るんですが、このダンスがかなり適当な振りで、この適当なところが、非常に利いていて、扇風機の風、踊りの映像が、この古い町家、集会所、山陰の海から遠くはなれた、大国主命をユーモアをもって呼び込むような、なんとも面白いアートなんです。(展示会場になっている集会所には大国主を祀った小さな祠があります)この扇風機はなくてはならないでしょう。何を意図しているかは、それぞれの感性に任せるとしても、作品を支える「扇風機」なのです。「扇風機」は存在しているのです。
ところが、本日のはならぁとで展示されている「扇風機」はどうも違う。先の黒田作品の扇風機の存在感が全くないのです。「リアルの無さが作品なんです」と、もしか言われても、人に見せるという前提がある以上、扇風機を置くなら、見られる「存在」として置いてほしい、と思いました。
さて、はならぁとのアートと同時に、高取町では、「かかし巡り」が開催されていました。それぞれのお宅に、等身大のかかしが、飾ってあります。私はかかしは楽しめました。かかしをアートが邪魔をしてない?と思いました。アートが、このかかしと融合する、しないは、大きな問題でなく、かかしの「リアル」な町の人の手作りの存在感に、アートが全く拮抗できる力をもっていない。ここが一番の問題かなと思いました。
「現代アートはわからなくていい」「百人100通りの見方があっていい」というのを、免罪符のような言葉にしてはいけないでしょう。わかる作品を作れ、というのではありません。町家を使うなら、その町の特性をつかんで、ここでなければならない、何物かが見つからなければ、「地域」はどこでも同じ場所になってしまうでしょう。その「地域」ならではの「力」を見つけるのは、本当に難しい。勉強がいります。歴史や風土も供えた視点もいるでしょう。まず、その「場所」でやる前に、いかに意識的に、客観的に、「地域」を見ることができるか、そして、その特性にあった作家を選ぶのか…大変な力量がいる作業です。
「地域おこしのアート」が何でもありになってしまった時、観客のアートへの興味も失せるでしょう。これは私自身、地域発に関わるものとして、いつも頭に置かなければと思いつつ、流れてしまうことも多い…。今後の「はならぁと」ならではの作品に期待を込めて。(写真は、町中のかかし人形、池をみています)

 

とと姉ちゃん&昭和43年発行「暮らしの手帖」第96号

2016-10-03 | アート
朝ドラ上半期「とと姉ちゃん」が終わりました。「暮らしの手帖」社主の大橋鎮子さんをモデルに書かれたドラマ。フィクションとなっていますが、「暮らしの手帖」がモデルになっていることには変わらず。ドラマの印象としては、モデルとなった大橋さんの生き方をなぞったけれども、全体に味が薄い感じは否めません。最終回間際、ドラマの中で編集長の遺言とも言うべき、戦争特集号が発刊されます。その特集号を「好評でよく売れた」という内容のナレーションが流れました。確かに「好評」だから売れるのですが、私はこの言葉使いになんだか違和感を覚えました。「戦争特集号」は「好評」で売れたというよりも、声に出せなかった言葉が、本という形を通してやっと出せた、切羽詰まった声があったからではないでしょうか。戦時を生き抜いた、共感と反省があったからこそ、「売れた」のではないか。ですから、「好評で売れた」という言葉では、あまりに平たく感じてしまうのです。
もちろん、戦争体験のない世代の書く脚本が、リアリティがなく、平たく嘘っぽくなる、というのではありません、。同じ朝ドラの「カーネーション」や「ごちそうさん」は、当時の声につながる感覚が良く書けていたと思います。自分の好きなもの、大事にしたいものを全く無視し傷つける「戦争」の正体を、この二つのドラマはヒロインが暮らしの中から知りました。勉強として学ぶのでなく、衣食住から「平和」を知っていった…。そんな姿を見ながら、テレビの前でドラマだと知りながら、頑張れ!と応援しておりました。
さて、「とと姉ちゃん」のその戦争特集号のモデル?は昭和43年に発行された「暮らしの手帖96特集 戦争中の暮らしの記録」です。ドラマのセリフにもあったように、一冊丸ごと、戦争の記録、しかも読者からの寄稿なのです。
私はこの本のことを知ったのは、4年前、歌人の水野智子さんのご自宅に行った時に、見せていただいたのが始まりでした。小町座で、親子を対象に「奈良に疎開に来て」という一人芝居をするにあたり、水野さんに親子の前で、ご自身の疎開体験を語ってもらう、という企画準備のため、お宅に伺ったのです。水野さんはとても大切な本だ、と言われました。まさにそうで、ここには教科書では記されない、生の歴史の声がありました。なんとしてもほしいと探して手に入れた本…。そこには、読者の綴った体験もさることながら、感動を覚えた一文がありました。それは、編集長、花森安治が書いたと思われる一文です。声に出して読みたい。以下、まま、うつします。
「暮らしの手帖96特集 戦争中の暮らしの記録」53頁

●この後に生まれてくる人に

君は四十才をすぎ、五十をすぎ、あるいは六十も、それ以上もすぎた人が、生まれてはじめて、ペンをとった文章というものを、これまでに、読んだことがあるだろうか。 
いま、君が手にしている、この一冊は、おそらく、その大部分が、そういう人たちの文章で、うずまっているのである。
これは、戦争中の暮らしの記録である。
その戦争は、一九四一年(昭和十六年)十二月八日にはじまり、一九四五年(昭和二十年)八月十五日に終わった。
それは言語に絶する暮らしであった。その言語に絶する明け暮れのなかに、人たちは、体力と精神力のぎりぎりまでもちこたえて、やっと生きてきた。親を失い、兄弟を失い、夫を失い、子を失い、そして、青春をうしない、それでも生きてきた。家を焼かれ、財産を焼かれ、夜も、朝も、日なかも、飢えながら、生きてきた。
しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも戦争の記録というものは、そうなのだ。
戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。しかし、その戦争のあいだ、ただ、黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、どんなふうに死んでいったか、どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、どの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているか、それはわからない。君が、この一冊を、どんな気持ちで読むだろうか、それもわからない。
しかし、君が何とおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。
これが、この戦争を生きてきた者としての一人としての、切なる願いである。 編集者







にぎわい・アーティストトーク開催!

2016-09-10 | アート
本日、夕方から、東アジア文化都市2016奈良、ならまちアートプロジェクト、奈良町にぎわいの家「FLOW」展示作家の岡田一郎さん、林和音さん、そしてお二人をにぎわいの家につないで下さった、Gallery OUT of PLACE代表の野村ヨシノリさんのトークライブを開催しました。今回の東アジア文化都市…は、「古都祝奈良」(ことほぐなら)がサブタイトルです。ところが、この言葉、何のことだかわからないという声も。それで、少しはそのイメージがつかめないかな、と「言祝ぐ奈良」として、私が書いた詞章を、トークの始めに読みました。岡田さん、林さんの作品「FLOW」(流れる)にかけて、日本語の「ふろう」が出てくる歌のような詩のようなものを作ったのですが、読む稽古をしていると、私が「ふろう、ふろう」と言ってるので、岡田さんは、「小野さん、まさか不老長寿の不老?!」というので、「不老不死です。」と答えるという、なんだかギャグのような前振りもありました。流れ、ふろう、不老、浮浪、振ろう、など、英語のFLOWが、魂をふろう、まで行き着きました。それはあくまで、前座として…。
本番のトークは、中々、充実の内容でした。岡田さん、林さんの作品に対する解説から始まり、作っている風景なども紹介。岡田さんはにぎわいの家の井戸の作品がありますが、事前の調査に深さを測り、撮影のためのカメラをセットする台を沈め…。私たち、施設の者より、余程、当館の井戸のことを知り尽くして下さっています。会場から笑いが出たエピソードとしては、井戸に設置したカメラ撮影は、人が覗き込んだらダメなので、休館日の水曜日に設置して撮影したのですが、このところの不安定な気候で、雨が降らない日にあたるかあたらないかが、作品を作る上での至上命題?!で、よし、今日は天気だから大丈夫だと設置して帰ったところ、うちのスタッフが、井戸の蓋が空いているのを危険と思って、気を使い蓋をしてしまい、映像がとれてなかった…など、苦労話も披露して下さいました。また、林さんは、大きな「編む」作品ですが、一人で編むのは中々しんどい作業だが、それを現場で構成していくのはとても楽しい、と。まるで空間と共に作品が今、呼吸をし始め、大きくなっていくような…そんな感触を受けました。後、林さんのファンというご婦人の方が最後にお話して下さったのですが、林さんの作品を知ったのは、以前開催された「木津川アート」で、それから注目して、見にいくようになった。自分は芸術の専門家でも何でもないけれど、身近にアートを見るのは楽しいから、こういう場が沢山あったらいいなと思う、と感想を述べられました。
また、野村ヨシノリさんは、アートディレクターとして、奈良の現代美術の牽引者として、ラジカルな視点からのお話を。今回のアート展示も、あまりに知られていない、もっと交流し、広めるための努力が必要と。そして、野村さんの発言で印象に残ったのは、「必然」という言葉。沢山の地域発のアートイベントがあり、レベルも様々ですが、野村さんの言われるように、「必然」性があるものが残っていく気がします。となると、今回の「東アジア文化」という括りの「必然」は?という大きなハテナが残ります。国家事業であるのですが、本来は、文化から平和につながっていこうという気持ちがあってのものでしょう。ならば、やはり国を超えた交流の場であることが「必然」といえます。今回、ここが弱いということを、野村さんは指摘くださったと思います。また、当館事務局長の藤野さんも、にぎわいの家でなぜアートか、というあたりの経緯も説明下さり、ようやくこの展示の全体像も、皆さんにお伝えする場になったかなと思います。今日はトークのおかげで、夜の展示風景も味わえました。来月23日まで続きます。他の奈良町会場のアートも中々楽しいです。また、その感想は後日に。本日のトークの皆様、お客様、ありがとうございました。