ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

劇団FUKKEN(フッケン)「クマウチ」公演

2019-06-08 | 演劇
二十代のころ、一緒に芝居をした、劇団FUKKEN(フッケン)の女優、にしかわもとこさんと、昨年、再会。なんと、演劇を再び始めたとの話で公演の案内ももらってましたが、中々、伺えず、このたびようやくの鑑賞となりました。ちなみに、劇団FUKKEN(フッケン)という名前は、主宰で作、演出、俳優でもある、腹筋善之介さんからきています。あの佐々木蔵之介が所属した劇団、「惑星ピスタチオ」を創立した方。テレビや映画、ナレーションなどで活躍していますので、お顔を見たら、「あ、見たことある!」となるかも。会場は、大阪日本橋の「independent theatre 1st」。大阪の小劇場演劇が、こちらの劇場を中心に繰り広げられていることは、知っていましたが、今回、新装オープン、その柿落としが、今回の公演ということで、会場も初めてで、え?駅から降りてちゃんと行ける?!と思いながら歩き…つきました!うーん、今回、キャパは80席くらいでしょうか、いいなあ、これくらいの規模の劇場、奈良にほしい!「人」をしっかり感じられる距離。特に今回の芝居はなおさら!
「クマウチ」というタイトルからわかるように、これは「マタギ」のお話です。「マタギ」!をテーマに書くなんて、すごいというか変わっているというか…。それは、宮澤賢治の「なめとこ山の熊」であり、前登志夫の山の歌の空気も孕み、私が育った海の「漁」につながる、なんというか、自然と人間の関わりを考えざるを得ないものです。

2月に放送された、NHKのETV特集「熊を崇(あが)め 熊を撃つ」という、秋田県のマタギのドキュメンタリーの話になりますが、これは現代のマタギがどのように山と関わっているのか、そのリアルな姿がよくわかりました。独自の山の神を祀り、今も山に入りますが、それが生業として成り立つわけでもありません。現代の暮らしから見れば、熊を撃たなくても…という声もあるでしょう。しかし、熊と向きあい結果、「熊をいただく」ということは、なんと自然なことか、と思いながら見ていました。そしてその「自然」と向き合うということは、自分が「自然」の一部にならなければ、到底、無理なのだということを、改めて感じる番組でした。猟師も漁師も樵も、獸を魚を木をいただいて生きてきた…。だからこそ感謝し「いただく」のです。
話がそれました。個人的に、自然と対峙し、なりわいとする農林漁業の衰退はこの半世紀、あまりにひどく、前登志夫先生から聞いた、山の筏師の話なども古い昔の話となり、自然と「個人」が向き合う仕事が消えてゆく実感がひしひしとあるので、どうしても、そちらの方に気持ちがいき…それがこのたびの芝居「クマウチ」と重ったのでしょう。

さて、その「クマウチ」。戯曲も役者さんも…素晴らしかった!私の中では、近年のNo.1作品となりました。まず、戯曲。いやあ、構成がうまい!
マタギの古老が取材を受けながら、過去を語るという、現代の時間が構成軸となっているのでわかりやすく、過去を振り返りながら、かつてのマタギ集落の面々の当時のリアルな日常が再現されながら、話は進みます。上手いなと思ったのは、各マタギたちのエピソードが、夫婦の物語になっているということ。4組夫婦はそれぞれ、絵描きであったり、アイヌの人であったり、家族のドラマがあります。そのキャラクターの描き方も夫婦ごとに実にうまい!
胸が熱くなり、じーんとするシーンが何度もありました。熊に向き合うことは、我が命に向き合うこと、毎回、夫を送り出す妻としては、それが日常とはいえ、毎回が一期一会です。だからこその絆もあるでしょう。妻たちの明るさ、健気さは、現代の女たちが失ってしまった、大らかさがよく描かれていました。夫、男たちもまた同じです。なんというか、本当に「昔」の懐かしい人たちに、会っているように、目の前の舞台を見ていました。海で山で働いていた私たちの昔の姿…。人間ドラマがしっかりと描かれ、そこに今の人間が自然を支配することの異議も持ち込み、それが単に社会批判でなく、しっかりと人間の姿から、ドラマから創り上げられた演劇…。骨太の構成と脚本、若い方、是非、参考にしてほしい。まどろっこっしい、「何か言っているようで何も言ってない」演劇とは対極にあります。本当によく書かれた本でした!

次は演出。前回の公演を見にいった小町座のメンバーから、「舞台には美術も何もなく身体だけで全て表現」と聞いていましたが、まさにその通り。特に今回、皆さんマタギなので、ずっと走っていました。何もない舞台を肉体だけで、山を崖を池を想像させる演出、腹筋さんならではの舞台作り。
また音楽も動きにあわせた緩急ある構成、効果音もよく聞こえ、そこに動きが重なると、大変オーソドックスなんだけれど、ああ、お芝居見てるなあ、という実感が。衣装も作り込み過ぎず、ほどよい空気感。あくまで主役が「役者」の舞台、何もないところでこれだけ見せられる。腹筋さんの力をつくづく感じました。

そして、その舞台の主役、役者さんたち。若い人だけでなく、多分、四十代、五十代の出演者もいます。その方たちがとにかく、2時間15分、疾走しているのです。雪をかき分け、山に入り、崖を登っていくのです。この生身の肉体こそが、主役でした。セリフも含めて。全員の芝居のトーンというか、バランスも良く、全員でマタギの世界を創り出していました。若い役者さんが必死に走っていました。マタギだから走るのだけれど、これほど、日々の暮らしの中で現実に走るということがあるでしょうか。若い人たちは走りたい、本当は世の中に向かってもっと走りたいのだ…とまあ、同世代の息子を持つ母親としては、舞台で疾走する若い役者さんの輝きに、胸が熱くなりました。人が自分の肉体全身で、「世界」に立ち向かう姿は、美しく、力をもらいます。本当に、今の若者は走れないポジションにいる、けれど、演劇は、走る場所なんだよ!自分で立って走ることのできる場所なんだよ!という、大きなエールを、舞台からもらいました。2時間以上の芝居が、あっという間、こんな経験はしたことがありません。それくらい、良かったです。最後、語り部の古老の元にかつての仲間たちが現れて、全力で全員が走ります。私も年をとり、日頃から涙腺がゆるいんですが、まあ、それに拍車がかかってしまいました。何度も思い出したい芝居が、一つ増えました。

あ!にしかわもとこさんの芝居は!30年前の危うい硬質感がそのままに、地に足をついたリアルさが増して…うまかった!何というか、これは彼女が元々持っているものなんでしょうが、空間をきゅっと閉じたり開いたりするんですよね。それは動きのレベルだけでなく、視線や体へのセリフの乗せ方というか…雰囲気があるのです。こうした、具体的なリアルな表現と共に、おそらくは、混沌とした、何かしら説明のつかないものへの表現者として、魅力ある人と思います。そういえば、昔、彼女に書いたセリフは、「役にたたない君、死になさい。」でした。(現代の子どもが、言い放つセリフでした…。私の作・演は未熟で、思い出すのも恥ずかしいですが、もとこさんのこのセリフは今も強く印象に残っています。)
にしかわさん、良い芝居を案内くださり、ありがとうございました。