ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

2024年上半期のベストプレイ(舞台)~奈良町にぎわいの家の全館移動劇が!

2024-10-09 | 演劇
報告が遅れましたが、総合演劇雑誌「テアトロ」八月号の特集「2024年上半期ベストプレイ」に、神澤和明氏(演劇評論家・演出家)が、2024年2月に奈良町にぎわいの家で上演した、「花しまい」(作・小野小町 演出・外輪能隆)を、選び、評を記してくださいました。
他の取り上げられた作品は、断然、東京が多く、紀伊国屋ホールの「ケエツブロウよ」(青年座 作…マキノノゾミ)や劇団民藝の「オットーと呼ばれる日本人」(作・木下順二)などなど、錚々たる作家と劇団です。
そんな中で、奈良で上演された私の作品を選んでくださったことは光栄ですし、それは神澤氏が長年、関西を中心に演劇活動をしながら、丁寧に小さな作品まで鑑賞されているということかと思います。大ホール、メジャーな劇団での公演だけでなく、私たちのように地域で、しかし何とかオリジナル作品の上演を続けているものにとっては、大変な励みになります。
また、今回は、奈良町にぎわいの家という、登録有形文化財を全館舞台として移動しながら芝居をしたのですが、この家の空間の力の凄さに、この10年、何度も感動した私に、家が戯曲を書かせてくれたと思っています。
そして何より、演出家の外輪能隆氏のアイデアと力量による結果と思います。
以下、全文を掲載しましたが、神澤氏がとりあげたもう一つの「広島第二県女二年西組」の評も続いています。その中の文「(前略)文字で綴られた記録は生きていないことだ。言葉は口から発せられ耳に届けられたとき、生きることができる。」前後の下りは、まるで詩のような内容で、内容も文体も非常に優れていると感じました。演劇の現場を知っておられる神澤氏ならではの生きた言葉に胸をうたれました。
小さな演劇を見ていてくださる、演劇人に敬意と感謝を表します。ありがとうございました。

「特集2024年上半期ベストプレイ」
神澤和明(演出・評論)

小さな公演だが印象に残った舞台を記したい。「奈良町にぎわいの家」が上演した『花しまい』と、平和朗読劇「広島第二県女二年西組~原爆で死んだ級友たち〜」の二つだ。

奈良公園の隣、帝に捨てられた采女が身を投げたという猿沢池の傍を過ぎ、元興寺の旧境内辺りへ来ると奈良町だ。観光客は多いが、鹿は歩いていない。古い町並の風情のなかに「奈良町にぎわいの家」と名づけられた町家がある。かつて美術商の住居だった、大正生まれのこの登録有形文化財を使って、演劇公演が行われた。主屋、土間、通り庭、蔵等を観客が移動して、そこで展開される姉妹のやりとりに「同席」する。演技者は待ち受けていたり、追いかけてきたり。これまでに見た町家を使った芝居や、区画を歩いて回る街頭劇は、芝居を場所にはめ込んでいた。これは場所がまずあって、そこから場面が立ち上がったもの。演劇の大事な条件、芝居と劇場と観客が、幸せに適合する。一回の観客は10名で一時間という長さもふさわしい。

背景となる時代は大正。花の名を持つ三人姉妹(梅、あやめ、桜)と、不思議な少女、そして観客を誘導し、時に芝居に入ってくる案内人三人が登場人物。長女は好きな男と駆け落ちしたが、破綻して出戻ってきた。その引け目からか、二人の妹の暮らしぶり、しつけにうるさい。モガで自由恋愛に憧れる次女は、女学校の同窓生に恋しているが、跡取り娘として親が選んだ相手との結婚が迫っている。自由闊達な性格の三女は姉妹を明るくする存在。そして、白のドレスを来た幻のような少女。これは、東京に出かけて関東大震災に遭い亡くなった母親のおなかにいた、生まれなかった四女だろうか。

長女も次女も、当時の世間の見方や家族制度に反発したが、結局、「女だから」という旧来の考え方に自分の人生を収めた。何も考えていないような三女が、かえって自由に、今に繋がる人生を送ったようだ。社会規範を変えたいと活動する女性たちがいて、しかしなかなか(同性にも)変化の動きは広がらず、普遍たる根っこが動きだしてやっと、変化がもたらされるのが現実だろう。

場の雰囲気を吸い取った、穏やかでノスタルジック、明るく切ない上演だ。歌人でもある作者が書く台詞は、詩のリズムと気分をもつ。何気ない日常風景に「時を超えるイフ」をかぶせ、大正が現在に生きてくる軽快な演出も優れている。

[作]小野小町
[演出]外輪能隆(2月24日)


昭和二〇年八月六日、建物疎開地の後片付け作業中の女学生3人が被爆した。当日、体調不良で欠席して助かり生き残った作者は、級友たち一人一人の命を記録しようと、被爆後30年たって聞き書きをして回った。そして『広島第二県女二年西組~原爆で死んだ級友たち~』を出版し、演劇用脚本も執筆した。その脚本は朗読劇として関西の劇団で繰り返し上演された。今回の一日きりの公演は、亡き作者への追悼にもなろう

被爆者の悲しみ苦しみをテーマにした舞台は再々見ている。それでわたしの感覚は「すれて」しまっているが、この舞台を素直に受け止めた。節度ある落ち着いた演出は流れ良く、なにより「こんな風に見せてやろう」という邪さがない。上からの「同情」でなく、当事者の目線での認識と感覚に触れる感じがした。これまで、戦争を知らない世代が戦争劇を演じ、被爆の悲惨さを語ることに、どれだけの真実みがあるのか、わたしは気にしていた。だが、あらためて気付いたのは、文字で綴られた記録は生きていないことだ。言葉は口から発せられ耳に届けられたとき、生きることができる。言葉は文字よりも先に存在する。語られないままの言葉は記号にとどまる。生きた実感できるものにするには、誰かが語らなければならない。その誰かは、書いた人間でなくても良い。語る人間の声を借りて、その言葉を書いた人間の体験と心が生き返ってくる。その言葉は、代わって語っている人のものにもなろう。大阪芸大の授業で阪神淡路大震災に関わる詩を学生に与えたら、当時はまだ生まれていなかった彼女が、読みながら泣き出した。だから、こうした体験を語りつなぎ、演じ続ける意味はある。

誤解されるかもしれないが、一言。こうした劇作品がしばしば、「被害者」の悲しみを描くのに留まってしまうのは、もどかしい。戦争の進行に反対できなかった立場からの視点も大切だろう。「戦争の悲劇を繰り返さない」という文言の、主語は誰なのか。世界の権力者たちは原爆の惨禍を口にはしても、いまだに原爆投下を正当化したり、使用するぞと脅したりしている。その考えそのものを告発する力を、演劇が持ちたい。

[作]関千枝子[演出]熊本一(4月6日)



「花しまい」