『ハート・ブルー(Point Break)』がスポーツを非常に魅力的に表現し、ストーリーもよくできた映画でお気に入りだったので、キャスリーン・ビグローには期待していたのだが、『ハート・ロッカー』は何とも色々な意味で中途半端な映画だった。で、3部作構成?の町山氏評論(反論)はどんなものかと思って長い時間かけてポッドキャストを聴いたら、またこれが突っ込みどころ満載のいいかげんな内容だった。
1.町山氏「宇多丸氏はイデオロギー面での批評をしているところがあるがそれはだめ」
町山氏は明らかにちゃんと聞いてない。宇多丸氏は「これを観た人がどう受けとると考えられるか」という観点で、それもかなり慎重に言葉を選んで見解を述べている。
2.町山氏「宇多丸氏は主人公が思考停止することによって生きのびようとしていると言っているがそれは間違い」
いや、ちゃんと聞いていればそんなことは言っていないことがわかる。主人公は戦争に“最終的に負けてしまう”のであって、それ以上でも以下でもない。
3.町山氏「バリケードを突破する民間人?を兵士達が(パニックを起こして)撃たず、主人公が冷静に追い返すことで主人公の豪胆さを表している」
この映画でそんな状況つくったら(全くありえないとは言い切れないが)、主人公の豪胆さ云々の前にリアリティが落ちて映画に感情移入できなくなってしまうだろう。
4.町山氏「主人公は最初、イラク人を野蛮な人たちだと思っていたが、インテリジェントな人もいると気づく」
違う。(あくまで)イラク人とは限られた状況でしか接触してこなかった主人公は、生身で夜イラク人の家庭に乗り込んだり(そしておばはんに追い出される)、通りを抜ける過程で、彼らも自分達と同じ、生活を営む人間だと遅まきながら実感させられるのだ。だから、相手を“表層的に(決まった形式で)解釈すること”の危うさを意識せざるをえなくなってしまい、自信を失い、結果混乱するのだ。
5.町山氏「宇多丸氏は主人公のやっていることと、米国がやっていることを分けて考えていない」
米国という一つのシステムのエージェント、それも軍人として実質的な戦争行為に参加しているのだから、根本的には同じだよ。(爆弾処理班である主人公がそうは考えていなかったというのは確かにそうかも知れないし、それは宇多丸氏も否定していない。)また、町山氏は企業の対外問題担当者を引き合いに出すが、これも同じである。担当者本人がどのような“バッファ”を設けて辛いながらも職務をこなしているかどうかは、残念ながら“問題外”なのだ。なぜなら、どのような事情があるにせよ、この“ゲーム”に“敵方/加害者側/侵略者”として参加しているのは同じことだからであるし、それは多くの場合彼が優秀であればあるほど相手にとって“有害”なことなのだ。
6.町山氏「オレはこれをするために生まれてきた、と主人公は悟り、そして戦場に戻る。」
製作側がそういう意図を込めているとしたら(大変残念なことにその可能性は確かに高いのだが)、恐ろしいことである。繰り返すが、何の部署であろうと、主人公のしていることはかなりいい加減な理屈で始められた戦争行為の一部(あくまでイラクを安定して米国の支配下に置くという目的で行われているプロジェクトを推進するための仕事)であり、彼が良い仕事をこなすことがこのエリアの問題を解決することに貢献するとは限らないのだ。傍から見ればある意味えらい迷惑な話である。町山氏はそれを賞賛するが、これは主人公並の“思考停止”である。この部分に関する町山氏の賞賛が何度も行われるが、この後延々と続く彼の論述は煎じ詰めると「とにかくオレ、アメリカの味方だからよ、ヨロシク!」である。
多分宇多丸氏も後になって聞き直すと町山氏の話の問題点にすぐ気づいたのだろうが、会話中では町山氏の迫力に巻き込まれてしまっている。
7.町山氏「ミニストリーの曲が使われているのは(ベイビー・)ブッシュに対する怒り」
この“プロジェクト”自体が茶番であることを皆知った上でやめられなくなっていることを自虐的に皮肉っているというほうが正解だと思う。だから何度もこの曲が流れるのだ。ある程度脳みそがあるクリエイターによって、ブッシュに対する怒りなどというレベルでの表現が使われたのは、もう何年も前の話であることを、町山氏は忘れたのだろうか。町山氏はこれをネタバレと“自画自賛”するが、逆に完全な誤読である。
8.町山氏「自衛隊の爆発物処理班も現地で野次をとばされたりしている」
自衛隊が彼らの立場で行っていることと、この映画の主人公の立場を似たようなものとして考えている。もうお話にならない。さらにガンダムも引き合いに出すが、ガンダムは「“所詮子供を主対象にしたロボットアニメ”であり、そういう暗黙の合意の下に少年の成長物語を楽しむもの」というコンセプトの作品だ。
9.町山氏「主人公の仕事は(米国がコントロールしようとしているエリアに仕掛けられた)爆弾を無力化することである。だからこの戦争における英雄なのだ」
「6.」で書いたので繰り返さない。致命的なまでに思考停止した視点である。念のために付け加えるが、僕は『イラク側』の肩を持っているわけではない。正規の軍人以外の様々な“プロ”やその他ステーク・ホルダーの存在は、今の時代意識しないでいるほうが難しいくらいだ。今回の“プロジェクト”の“理想的な終わらせ方”?そんなこと簡単に言える状況かよ!
ポッドキャストの第3部に入ると、「レベルの低い誤読をするのは、そう受け取る者の中につまらんバイアスがかかっているからだ」と言わんばかりの発言まで飛び出し、聴いている者としては「そりゃ、あんたのことだよ」とうんざりしながら突っ込むことになる。
まあ、最後は「そういうことが今は言いたかったのね」という、恐らく今のアメリカ映画のトレンドに合った結論に落とし込んでゆくわけだが、町山氏の評論も徹頭徹尾『芸』なのねと再認識させる話でした。
1.町山氏「宇多丸氏はイデオロギー面での批評をしているところがあるがそれはだめ」
町山氏は明らかにちゃんと聞いてない。宇多丸氏は「これを観た人がどう受けとると考えられるか」という観点で、それもかなり慎重に言葉を選んで見解を述べている。
2.町山氏「宇多丸氏は主人公が思考停止することによって生きのびようとしていると言っているがそれは間違い」
いや、ちゃんと聞いていればそんなことは言っていないことがわかる。主人公は戦争に“最終的に負けてしまう”のであって、それ以上でも以下でもない。
3.町山氏「バリケードを突破する民間人?を兵士達が(パニックを起こして)撃たず、主人公が冷静に追い返すことで主人公の豪胆さを表している」
この映画でそんな状況つくったら(全くありえないとは言い切れないが)、主人公の豪胆さ云々の前にリアリティが落ちて映画に感情移入できなくなってしまうだろう。
4.町山氏「主人公は最初、イラク人を野蛮な人たちだと思っていたが、インテリジェントな人もいると気づく」
違う。(あくまで)イラク人とは限られた状況でしか接触してこなかった主人公は、生身で夜イラク人の家庭に乗り込んだり(そしておばはんに追い出される)、通りを抜ける過程で、彼らも自分達と同じ、生活を営む人間だと遅まきながら実感させられるのだ。だから、相手を“表層的に(決まった形式で)解釈すること”の危うさを意識せざるをえなくなってしまい、自信を失い、結果混乱するのだ。
5.町山氏「宇多丸氏は主人公のやっていることと、米国がやっていることを分けて考えていない」
米国という一つのシステムのエージェント、それも軍人として実質的な戦争行為に参加しているのだから、根本的には同じだよ。(爆弾処理班である主人公がそうは考えていなかったというのは確かにそうかも知れないし、それは宇多丸氏も否定していない。)また、町山氏は企業の対外問題担当者を引き合いに出すが、これも同じである。担当者本人がどのような“バッファ”を設けて辛いながらも職務をこなしているかどうかは、残念ながら“問題外”なのだ。なぜなら、どのような事情があるにせよ、この“ゲーム”に“敵方/加害者側/侵略者”として参加しているのは同じことだからであるし、それは多くの場合彼が優秀であればあるほど相手にとって“有害”なことなのだ。
6.町山氏「オレはこれをするために生まれてきた、と主人公は悟り、そして戦場に戻る。」
製作側がそういう意図を込めているとしたら(大変残念なことにその可能性は確かに高いのだが)、恐ろしいことである。繰り返すが、何の部署であろうと、主人公のしていることはかなりいい加減な理屈で始められた戦争行為の一部(あくまでイラクを安定して米国の支配下に置くという目的で行われているプロジェクトを推進するための仕事)であり、彼が良い仕事をこなすことがこのエリアの問題を解決することに貢献するとは限らないのだ。傍から見ればある意味えらい迷惑な話である。町山氏はそれを賞賛するが、これは主人公並の“思考停止”である。この部分に関する町山氏の賞賛が何度も行われるが、この後延々と続く彼の論述は煎じ詰めると「とにかくオレ、アメリカの味方だからよ、ヨロシク!」である。
多分宇多丸氏も後になって聞き直すと町山氏の話の問題点にすぐ気づいたのだろうが、会話中では町山氏の迫力に巻き込まれてしまっている。
7.町山氏「ミニストリーの曲が使われているのは(ベイビー・)ブッシュに対する怒り」
この“プロジェクト”自体が茶番であることを皆知った上でやめられなくなっていることを自虐的に皮肉っているというほうが正解だと思う。だから何度もこの曲が流れるのだ。ある程度脳みそがあるクリエイターによって、ブッシュに対する怒りなどというレベルでの表現が使われたのは、もう何年も前の話であることを、町山氏は忘れたのだろうか。町山氏はこれをネタバレと“自画自賛”するが、逆に完全な誤読である。
8.町山氏「自衛隊の爆発物処理班も現地で野次をとばされたりしている」
自衛隊が彼らの立場で行っていることと、この映画の主人公の立場を似たようなものとして考えている。もうお話にならない。さらにガンダムも引き合いに出すが、ガンダムは「“所詮子供を主対象にしたロボットアニメ”であり、そういう暗黙の合意の下に少年の成長物語を楽しむもの」というコンセプトの作品だ。
9.町山氏「主人公の仕事は(米国がコントロールしようとしているエリアに仕掛けられた)爆弾を無力化することである。だからこの戦争における英雄なのだ」
「6.」で書いたので繰り返さない。致命的なまでに思考停止した視点である。念のために付け加えるが、僕は『イラク側』の肩を持っているわけではない。正規の軍人以外の様々な“プロ”やその他ステーク・ホルダーの存在は、今の時代意識しないでいるほうが難しいくらいだ。今回の“プロジェクト”の“理想的な終わらせ方”?そんなこと簡単に言える状況かよ!
ポッドキャストの第3部に入ると、「レベルの低い誤読をするのは、そう受け取る者の中につまらんバイアスがかかっているからだ」と言わんばかりの発言まで飛び出し、聴いている者としては「そりゃ、あんたのことだよ」とうんざりしながら突っ込むことになる。
まあ、最後は「そういうことが今は言いたかったのね」という、恐らく今のアメリカ映画のトレンドに合った結論に落とし込んでゆくわけだが、町山氏の評論も徹頭徹尾『芸』なのねと再認識させる話でした。
町山氏が別の所で語っていたところでは、ハリウッドには脚本の文法、お作法というのがあり、表層的な、一次元的ストーリーにおいてはルールに従って書かれる。だから、きちんと要所を拾えばその表層レベルでは解釈は一応一つに収れんする。
しかし、それを観客の個々人の視点を含意して別の意味が出たりする。それは解釈ではなく感想で観客の数だけある。で、いわゆる「表層批評」ってのはそれですね。ストーリーだけであえてほかの目線を入れずにメタ構造を明らかにする。
まあ町山氏によれば批評とはそんなメタなことではなく、作り手レベルの一次元的理解を解き明かすことだという。
なぜこんなことを長々書いたというと、
>>製作側がそういう意図を込めているとしたら(大変残念なことにその可能性は確かに高いのだが)、恐ろしいことである。
と6.でおっしゃてるからなんです。
町山氏によれば、「制作側がどういう意図を込めたか」こそを批評家がまず明らかにしないといけないことで、それにどう思うかは観客個人の感想にすぎない。まずなによりも、批評家は解釈レベル=製作者側が提示した表層的なストーリーをリスナーに提示しないといけない。
そういう批判なんだと思うんですよ。だから、6でおっしゃっていたのは、まさに町山氏の意図するところで、「制作側が意図したストーリーをまず正確に伝えて、それから感想を言うべき、そうでないと批評でなく感想発表会になってしまう」なんだという所なんだと思うんです。
長々と駄文を失礼しました。
結論を言うと残念ながらこの手の論争は、リアルタイムで見ていないと「本当のところ」はわからないんですよ。少し具体的に言うと、時代背景以外に、当時町山氏個人がどんな状況、心理状態でいたかがまあわかりやすかった一連の行動のなかのひとつなんですね。で、その後「町山氏が落ち着いてから以降」僕が見かけた、彼が書いたり喋ったりしている内容には特に採り上げるものもないのですが、Unknown (MJ) さまのご意見は「現在までの」町山氏の発言等と組み合わせて、大変失礼ながら善意に解釈してあげたものになっているようです。実際この論争については、これ以降当事者同士は白黒つけるでもなく「お互いいろいろ辛いことあるけど狭い業界仲良くやっていこうね」という感じで「仲直り」で終わらせた様子です。
(僕自身の記事について言うなら、そういう「業界のコンテクスト」が正直嫌いだし映画業界とも関係ないので、決してどちら側につく気もなく、町山氏の「フェアでない」部分の指摘と作品の評価を書いてあります。)
Unknown (MJ) さまが挙げておられる町山氏の「批評家らしい仕事のし方」も、映画以外の批評や、「映画評論家/批評家」以外の人によるすぐれた映画批評含め昔からやってきた人はたくさんいるので、それ自体特に画期的なことでも何でもなく、当時出版不況でライター業界がきつい状態に急速になっていった中で改めて出てきた「生存戦略」という部分が少なくないです。
まあだから、「こんなこともあったらしい」ぐらいの話でいいんじゃないでしょうか。ネタとなった作品については、担当監督のその後の作品等も確認されて、どう評価されるかはそれぞれで。