「国家予算の仕訳」について、テレビでニュースを観た時はひどいものだと思ったが、実際に行って見てみるとそうでもなかった、というコメントをネットで目にする。
もちろん、劇場型政治用の戦術でもあるのだろうが、それを逆手に取ったつもりのマスメディアの動き(ネガティブキャンペーン)は、作業が一般公開され、さらにネットでより早く/速く、詳細に情報が流れることもあり、空振りに終わりそうな気配だ。このイベントにより「公開仕訳」されているのは、国家予算だけでなく、マスメディア、つまり「従来の日本」を操縦していた官と世論誘導機関なのである。
ちょっと前のエントリで、与党の揚げ足取りに熱中している連中を批判したが、そもそも今「一般市民」は“民主党の中身”など見ていないのである。いままで抱えてきた社会システムのゆがみの部分が、いよいよ手に負えないものになってきて、いったんチャラにしなければならないのだが、その仕事のツールとして民主党は使えるかどうかだけを問題にしているのだ。
海外からも注目されているようだが、もちろん今回の「仕訳」がどんな結果をもたらすのかまだわからない。というか、これは個々の立場からの見方はもとより、“歴史的な観点でも”短期・中期・長期で評価が変わって当然であり、そのなかのどれが重視されるべきというものでもない。
それより今僕が興味を持っているのは、このイベントが提案され、実施されるまでの詳細なプロセスと今後の動き、そして国会議員以外に関わっている人たちの本当の役割、表には出ないが社会学者の宮台真司氏などもちょっと“怪しい”気がする。
「マクロ経済」については、大方の予想通り?二番底が現実化しそうだが、世界恐慌と同じプロセスをたどるのか(たどるとすれば、よりスピードアップした形だと思うが)?、今後世界的に大幅なインフレがきたとして、それまで他の国に合わせて通貨供給量を増やしておいたほうが結局まだましだったりはしないのか(供給の仕方をよく考えるべきだとは思うが)?といったところだが、グローバル化がどんどん進んでいる状況では、多分個々人が(経済的側面で)世界とどう関わっていくかによって違ってくることがよりはっきりわかってくると思うので、これは“日本のような先進国”ではもはやあまり大きな問題とはいえなくなるのかもしれない。
暇を見つけて宮崎学氏の最新の力作を読んでいるのだが、この“結末”もちょっと楽しみにしている。
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