いつもニコニコしている人や笑顔が似合う人ほど、いざとなると怖い。
90年代のピーター・アーツがその典型で、リングで打ち合っているときの顔は「ザ・殺人者」であった。
ますます好調の(クルム・)伊達公子もそうで、20代の最初の現役の頃は、神経質だった以外にも、コワイ(悪いことをするわけではない)エピソードが残っている。まあ、女子テニスという、ほぼ伝統的にすさんだ文化を持っている(プロの試合では、シングルスでゲームセット時の握手の様子が象徴的)社会の中での話しではあるのだが。
ロジャー・フェデラーも似たところがあるが、彼の場合はナチュラルではなくて、メンタルトレーニングで“昇華”させた結果のようだ。いずれにせよ、エネルギーかどうかわからないが、根本的に“過剰”が大きい人ほど、“過剰”がそれを放出するステージを常に上回っている人ほど、そしてしかも“過剰”を自分でコントロールできる人ほど、ああいう非日常的ステージでは、強いらしい。
90年代のピーター・アーツがその典型で、リングで打ち合っているときの顔は「ザ・殺人者」であった。
ますます好調の(クルム・)伊達公子もそうで、20代の最初の現役の頃は、神経質だった以外にも、コワイ(悪いことをするわけではない)エピソードが残っている。まあ、女子テニスという、ほぼ伝統的にすさんだ文化を持っている(プロの試合では、シングルスでゲームセット時の握手の様子が象徴的)社会の中での話しではあるのだが。
ロジャー・フェデラーも似たところがあるが、彼の場合はナチュラルではなくて、メンタルトレーニングで“昇華”させた結果のようだ。いずれにせよ、エネルギーかどうかわからないが、根本的に“過剰”が大きい人ほど、“過剰”がそれを放出するステージを常に上回っている人ほど、そしてしかも“過剰”を自分でコントロールできる人ほど、ああいう非日常的ステージでは、強いらしい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます