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ハリウッド映画の中の富士屋ホテル☆

2009年02月01日 06時46分51秒 | 神奈川のこと
1955年の映画 トコリの橋 に箱根宮ノ下・富士屋ホテルが登場するので、写真を撮りに行ってきました。この映画はウィリアム・ホールデンとグレイス・ケリーの出演で、朝鮮戦争がテーマになった作品です。

朝鮮戦争で闘うハリー・ブルーベイカー中尉が、休暇を日本で過すというシーンに「フジサン・ホテル」として富士屋ホテルが登場します。主人公の乗った空母が横須賀に寄港するのですが、その歓迎風景がツボです。アメリカ軍の軍楽隊の演奏に合わせて和服の日本女性が踊ります♪ブラスバンドの“あてぶり”というのを始初めて見ました!

           
          ※現在も少しも変わっていないホテルの全景(映画より)
横須賀から箱根に到着したブルーベイカー中尉一家はホテルに入ります。この風景は今とほとんど変わっていません、庭木が少し変わったくらい…感動です~♪
          
         ※正面入り口、ホテルのロゴが消されています(映画より)

          
こちらは現在の正面入り口です、木の回転扉も変わっていません。ロケはこのシーンまでで、後は全てセットになります。日本に撮影のために来たのはウイリアム・ホールデンだけの様で、グレース・ケリーは来日していないのでしょう。

           
              ※中尉一家はロビーへと入ります(映画より)
男性従業員は洋服なのに、女性はみな和服です!!特徴的な龍の彫刻のついた赤い手すりが忠実に再現されています。
           
こちらは映画セットのモデルとなった実際のロビーへの入り口、2匹の龍も健在です。実際はガラス張りのサンパーラーになっています。

           
            ※一家が休暇をすごす本館2階の部屋(映画より)
一家が休暇を過す部屋、位置的に本館2階の北側の部屋なのだと思います。セットではありますが、窓の外にメインダイニング“ザ・フジヤ”の写真が貼られていて、かなりリアルです。
           
実際は、このような部屋です。モデルと思しき部屋は空いていなかったので、反対側に位置する部屋を撮影してきました。

            
          ※中尉一家と日本人家族が日米友好~♪(映画より)

この映画の中で印象的なシーンに登場する、「ドリームプール(夢の湯)」のセットです。最初は他人と一緒にお風呂に入ることを頑なに拒否していた中尉一家も、やがてうちとけて異文化交流~♪日本人のお母さんが流暢な英語&カタコトの日本語で日米交流に活躍します。
           
ホテル内に展示されていた「ドリーム・プール(夢の湯)」の写真です、セットのお風呂にちょっと似ている気もします。奥には「白糸の滝」が造られ、松の木の装飾のある微温泉プールだったそうです。 

    
マッカーサーの息子も遊んだという「ドリーム・プール」も現在は改装されて「フェニックス」という宴会場になっており、天井のフェニックスの装飾だけが当時を偲ばせるように残っていました。

朝鮮戦争時には、実際にたくさんのアメリカ人将校が休暇を富士屋ホテルで過したそうです。ハリウッド映画なのに、かなりリアルにセットが作られているのに感動しました。きっと当時のアメリカ人の間でも良く知られたホテルだったからでしょう。それにもともと富士屋ホテルの造りがハリウッド映画に出てくるニッポン風ですから、現地のスタッフにも分かりやすかったのかも知れません。




創業130年・箱根宮ノ下、富士屋ホテル、その①

2008年11月14日 20時20分40秒 | 神奈川のこと
            
                ※昭和11年(1936年)建・『花御殿』
銀婚式の記念旅行に、宮ノ下『富士屋ホテル』に行きました。学生の頃、授業が休講になるとよく箱根に遊びに行ったのですが、そのときに登山電車の窓から見た富士屋ホテル!…いつか泊まってみたいなぁと思っていました。

「あの時見えたのはこのホテルの屋根だったんだなぁ」と感慨に浸りながら花御殿前の坂道を上がると、フロントに到着します。
           
               ※明治24年(1891年)建・『本館』
フロントのある『本館』です。本館は唐破風といわれる竜宮城の様な屋根が、おとぎ話の様なリゾートの世界へ誘ってくれます。イメージが『千と千尋の神隠し』の湯屋『油屋』のようです。100年以上も前の建物が今も現役で活躍している事に感動しました! 
           
              ※回転扉の上の、“つがい”の孔雀
小さな木の回転ドアに往時を偲びながらロビーから外に出ると広いテラスがあります。ここは花御殿を臨む絶好の撮影スポットで、ホテルを訪れたジョン・レノン一家もこの場所で記念撮影をしました。
          
                  
               ※フロント・ロビーの尾長鳥の彫刻
かつてホテルで飼われていた人気者のペット尾長鳥、ヘレン・ケラー女史も一緒に記念写真を撮ったそうです。今も木彫になってロビーの柱にとまっていました♪

            
㊧メインダイニングの1階にあるバーでは、ホテルを訪れた著名人を冠したカクテルが130年記念として発表されていました。上からジョン・レノン、ラフカディオ・ハーン、チャーリー・チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ビッグフォード
㊨本館の奥には山に沿って温室がグリーンルームがありました。これは温泉の熱を利用した温室で、たくさんの植物が栽培されていました。
            
㊧花御殿にある「史料展示室」の壁のライトです、そして㊨は昭和29年、戦後のアメリカ軍による接収が解除され、ホテルが一般に公開されたときのポスターです。昭和29年は私の生まれた年なのでとても印象に残りました。史料室には興味深い資料がたくさん展示されていました。

           
そしてこれは、現在も使われているタグです。古き佳き時代のほのぼのとした雰囲気が今に伝えられ、クラシックホテルならではの楽しみだと思いました♪



創業130年・箱根宮ノ下、富士屋ホテル、その②

2008年11月14日 15時20分28秒 | 神奈川のこと
      
          
               ※明治37年(1906年)建・『西洋館』 
こちらは今回宿泊した「西洋館」、唐派風の屋根と洋館の組み合わせが魅力の建物です。部屋の中も明るく可愛らしいインテリアで、ドールハウスの中に迷い込んでしまったようでした~♪ 外国人専用ホテルとして建てられたので、天井がとても高くてゆったりとしています。

          
                  ※ヒーターもクラシック~♪
ホテルのショップで販売されている「創業130年記念のテディベア」、部屋にテディベアがよく似合います。 

               
天井の可愛いらしいスズラン形のライトが柔らかな光を放っています。家具も外国人サイズで、とても大きいです♪

        
回廊と廊下も開放的で明るく、紅葉の始まった庭園の木々がよく映えていました。
             
         ※昭和5年(1930年)建・メインダイニング『ザ・フジヤ』
夜来の雨も上がった朝、窓からの景色です。メインダイニングの屋根と二重の塔・昇天閣と、雲のかかった箱根の山々の組み合わせが幻想的でした。


          
            ※明治28年(1895年)建・『菊華荘』(旧御用邸)
こちらは和の『菊華荘』、こちらでも食事や宿泊が楽しめるようになっていました。畳の上にテーブルが設置されているので、明治維新当時の様な雰囲気です。
          
                   ※散策もでる日本庭園
 小田急ロマンスカーのCMにも菊華荘が登場しています。ガラス戸は「ゆらゆらガラス」という昔の製法で造られたガラスなので、、外の景色の見え方も趣があります。 

               
             ※サウナ・ジャグジー付き温泉プール               
プールは利用する人が少ないため、温かいプールで思い切り手足を伸ばすことができます。ジャグジーは少し高い温度のお湯なのでマッサージ効果もあるようで、夏以来ずっと具合の悪かった腰も良くなりました。やはり温泉&運動の相乗効果なのでしょう。時間があったらもっとプールで過せたのに…残念

長い歴史を持つ建物の中で行き届いたサービスのもと、伝統の食事を楽しんだり、温泉プールで泳いだり、史料展示室でホテルの歴史に親しんだり…
雄大な箱根の山々を眺めながら時空を超えた休日を過ごす事ができました。わずか1泊2日でしたが充実した時間を過せ、心身ともにリフレッシュできました。

ホテルの創業者・山口仙之助氏は、横浜の出身で、桜木町の隣町、高島町の人でした。ホテル創業当時、外国人向けの肉などの食材は横浜にしかなく食材は横浜から馬車で小田原まで運ばれたのだそうです。横浜と富士屋ホテルは深い関係がありました!ホテルの歴史

また、松沢神奈川県知事の著書『破天荒力』には山口氏をはじめとして、箱根を開発した人々の活躍が記されており、映画化もされました。

ホテルの建物の殆どが登録有形文化財、近代産業遺産に認定されています。横浜松坂屋解体、東京の歌舞伎座も建て替えで解体、と寂しいニュースが続いているので、富士屋ホテルの存在がなおさら貴重に思えます、また是非訪れてみたいホテルです。建物の詳細は→文化遺産オンライン



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アメリカザリガニ発祥の地☆その③

2008年08月01日 17時04分24秒 | 神奈川のこと
        アメリカザリガニの故郷
               
                 ※ザリガニの調理例

昭和の初期に日本に渡ってきたアメリカザリガニ。その故郷はその名の通りアメリカです、ミシシッピ川流域を中心とした北アメリカ南東部ルイジアナやフロリダの沼地に生息地で、「クロウフィッシュ」crawfish(crayfish) と呼ばれています。

日本ではアメリカザリガニは子供のペット的な存在で、食用というイメージからは程遠いものです。そこでアメリカでのザリガニ事情を知りたくなり、北フロリダ在住の友人み~こさんにアメリカザリガニの現地での様子をお聞きしてみました。

するとアメリカではレストランでもメニューに載っている、との情報をいただき、そしてこのサイトを教えていただきました↓
Louisiana Crawfish Company
日本語で言えばルイジアナ ザリガニ 会社でしょうか~~~

このサイトはとても面白く、フォトギャラリーを見ると、ルイジアナの養殖池の風景は、日本の田んぼの風景に似ています!ルイジアナの沼地によく似た日本の田んぼが、天敵もいないのでアメリカザリガニの天国だったという情況がよく分かります。
ザリガニの天敵アリゲーターを退治するハンターの画像はアメリカっぽくて迫力満点。


み~こさんに教えていただいたアメリカのザリガニ料理

もともとはルイジアマ州ニューオーリンズで人気の食べ物のようで、
『ケイジャン フード』というスタイルのレストランで見かけます。 
塩ゆでにしたものを、皿に盛って出されるので、
各自が殻をむきながら食べます。
溶かしバターに付けながら食べたり、
タバスコ(ホットソース)をかけて食べる人もいるようです。
フロリダでも見かけますよ! 
ロスアンジェルスに住んでいた時に、
ニューオリンズスタイル(ケイジャン スタイル)のレストランで
食べたことがあります。


この会社のサイトには、興味深いザリガニの歴史という項目があります。それによれば…

「1775年頃、カナダの植民地(アカディア)住んでいたフランス人がイギリス人に追われて、どんどん南下し南ルイジアナに住むようになりました。アケイディアンと呼ばれるその人々はザリガニが大好きだったので、ルイジアナに移住する際にも持ち込みました。アケイディ人今現在ケイジャンと呼ばれる人達はこの小さな甲羅に包まれた生き物をクロウフィッシュと呼ぶようになったのです。」

な~るほど…、もしこのサイトの「ザリガニの歴史」が真実とすると、ザリガニの故郷はカナダということになります。
カナダに移民して来たフランス人は、どこからザリガニを持ち込んだのかな?
もしかするとフランス本土から持ってきたのかな?
もともとカナダにいたのかな? 
このサイトはカナダ以前の事には触れていないので、これ以上の事は分かりません。
(もしご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示下さいます様お願い申し上げます。)


アメリカザリガニの発祥地を調べているうちに、その故郷の詳しい様子までも知る事ができました。ザリガニと一緒にカナダまで里帰り旅をした気分です

ザリガニの画像を提供して下さった「土岐川観察館」様、
またアメリカでのザリガニ事情をご解説下さり、興味深いサイトのご紹介・翻訳等にご協力くださった「み~こ」様に、厚く御礼申し上げます。




アメリカザリガニ発祥の地☆その①

2008年07月28日 14時26分41秒 | 神奈川のこと
             夏といえば、アメリカザリガニ
               
私の育った横浜の郊外には、かつてアメリカザリガニが沢山いました。春になると、よく田んぼで「ザリガニ釣り」をして遊びました。私達はこのザリガニをマッカチンと呼んでいました。今では北海道をのぞく日本各地で見られるこの「アメリカザリガニ」の発祥地は、鎌倉市の岩瀬という場所です。私の実家の近くなので、さっそく行ってみました。
           
今は「いわせ下関(しもぜき)青少年広場」という市民公園になっているこの一帯も、昭和の初め頃は一面の田んぼが広がっていました。そこに食用ガエル(=ウシガエル)の養殖池があり、餌としてアメリカザリガニが導入されました。


【カエル&ザリガニ年表】
1918年(大正7)東京帝大の渡瀬庄三郎教授が初めて
         ウシガエルをアメリカ(ルイジアナ州ニューオリンズ)
         から輸入、
         卵からふ化させることにも成功。
1920年(大正9)東京帝国大の助手だった河野卯三郎氏、
         友人(K氏)に土地を提供してもらい、
         兄の芳之助氏とともに「鎌倉食用蛙養殖場」を開設。
1927年(昭和2)河野氏ウシガエルの餌として、アメリカザリガニを
          船便で横浜港を経て
          鎌倉までアメリカザリガニを持ち帰る。          

一時はアメリカに輸出されることもあったそうですが、やがてアメリカからの買取りもなくなり、国内需要もなく、国が今後の食料確保と農家の副業として奨励した事業でしたが、数年後に養殖場は自然閉鎖されたのだそうです。ウシガエルもアメリカザリガニも野生化し、全国に広がって行きました。

養殖場周辺も私の実家の周辺も、今は住宅地となって田んぼはどこにもありません、アメリカザリガニも姿を消してしまいました。ただウシガエルは公園の池などに時々姿を見ることがあります。どちらも外来種で生態系を乱す有害な生き物のためでしょうか、発祥地には何の記念碑的なものもありません。少し前までは立て札もあったそうですが、今はなにも残っていません。

アメリカザリガニの画像をご提供いただいた岐阜県「土岐川観察館」様によれば、   
    多治見市内では、アメリカザリガニは色々な所で確認が出来ます。
    河川や水路、ビオトープ等々。ザリガニ釣り大会も行われています。
    アメリカザリガニは水質の悪い場所でもある程度は生きていけるので、
    見かけることは多いです。
とのことでした。
                
「いわせ下関青少年広場」には、「上総掘り」という方法でよって掘削された自噴井戸があります。この日も、澄んだ冷たい湧き水がこんこんと湧き出ていました。



ウシガエルの姿と泣き声は兵庫県立人と自然の博物館        






『箱根ろくろ細工』 “箱根十二たまご ” その①

2008年07月02日 13時05分42秒 | 神奈川のこと
           「箱根十二たまご」の工房をたずねて
箱根・湯本、入生田駅(箱根登山鉄道)には「箱根ろくろ細工」の田中一幸さんの工房があります。ごく薄く挽いた木製のたまごは、すべて入れ子になっていて、12個のたまごがキッチリと収まるという驚くべき技術です。湯本に江戸時代から伝わる「十二たまご」、この素晴らしい技をこの目で確かめたいと思い、田中さんの工房をお尋ねしました。
           
※田中さんの工房で撮影した「十二たまご」(手前)、後の大きな2つは「三十六たまご」の一部です。 

江戸時代の旅のお土産は、軽くてかさばらない物が好まれたので、このように木を薄く挽いてて加工した入れ子細工が発展したのだそうです。
 
           
7cmほどの一番外側の「親」と呼ばれる無彩色のたまごをあけると、次々に彩色された「たまご」が出て、最後には高さ7mmの可愛い「ひよこ」が出てきます

              
目の前で「豆ゴマ」のナスを作っていただきました。紫の彩色をしているところです。
              
こちらはリンゴ、最後のツヤ出しの工程です。ヒヨコも豆ゴマのナス・リンゴもミリ単位の驚異の世界でした!
                
※完成した「豆ごま」と、更に小さい「花ゴマ」、目の悪い私はメガネなしでは見えません。 

          
              十二たまごの姉妹品?の「ふくろう」です。
          
              丸い目、ちょっと表情の違う「ふくろう」です。

                
こちらは工具置き場、これらの工具もすべてご自身で作られるのだそうです、「鍛冶屋もやるんですよ」と田中さん。やはり繊細な加工に使う道具はご本人でないと作れないのでしょう。江戸時代から続くこの技術ですが後継者が無く、田中さんは「最後の匠」と呼ばれています。
続きは「箱根十二たまご②」


「十二たまご」は、受注生産で製造に約1ヶ月程度かかります。 

 

               田中一幸さんの連絡先
           〒250-0311 神奈川県足柄下郡箱根町湯本7番地 
           ろくろ細工の店・たなか 電話0460-85-5084

           箱根登山鉄道 入生田駅下車 徒歩3分 
            



この記事の関連グッズいろいろ

           

『箱根ろくろ細工』 “箱根十二たまご” その②

2008年07月01日 14時31分27秒 | 神奈川のこと
            「箱根十二たまご」のルーツと発展
「十二たまご」には、更に発展した「三十六たまご」「七福神」「七福だるま」などのバリエーションがあり、箱根湯本の郷土資料館には、ロシアから昭和59年、平成2年に贈られた二体のマトリョーシカと共に展示されています。

           
※箱根登山鉄道・湯本駅の「郷土資料館」宣伝展示されている「無彩色の十二たまご」     

                
            ※ロシアン雑貨「マリンカ」さんのマトリョーシカ
          
                  ※田中一幸さん作の「七福神」

                  
「十二たまご」から「七福神」がうまれ、それが箱根を訪れたロシア人によりロシアに持ち込まれ、「マトリョーシカ人形」が生まれる…なんとも壮大な歴史ロマンです♪
現代ではマトリョーシカはロシアを代表する民芸品、それに比べて「十二たまご」は忘れられつつある民芸品のように思え、神奈川県民としてはちょっと寂しいです。

                
         やはり、ロシアにもあるんですね~「たまごマトリョーシカ」

          
こちらは、横浜・馬車道「県立歴史博物館」に展示されている田中さん作の「三十六たまご」の画像です。博物館2階の郷土資料のコーナーに展示されています。一番大きなたまごは18センチほどあり、ダチョウの卵のようです!!

箱根十二たまご その①は→コチラ




この記事を書くにあたり、田中一幸 様に工房内で写真を撮らせていただき、掲載許可をいただきました。
またロシアン雑貨マリンカ 様より、マトリョーシカの画像をご提供いただきました。
ここに厚く御礼申し上げます。



「箱根十二たまご」のルーツと発展
信州松代出身の渡り木地師であった「亀吉」が湯本に移り住み、天保15年(1844年)に「十二たまご」が生み出されました。寺院で僧侶が使用した「応量器」、東北・信州の「入れ子弁当箱」などの入れ子技術と、箱根にあった、薄く挽く、細かく挽くという挽物技術と、新しい亀吉のアイディアが融合して生み出されたものであろうと言われています。
箱根にはロシア正教会の流れを汲む日本正教会があったこと、交通の便の良い箱根に多くの外国人が病気治療やリゾートで箱根を訪れていた事から、その中のロシア人が本国に持ち帰ったものと推測されています。
記録によれば、ロシアにおけるマトリョーシカ第1号は、1890年(明治23年)・ロシアの画家セルゲイ・マリョーチン(1859~1937)のスケッチを上絵に、ろくろ師スビョーズドチキンによって作られたのだそうです。 

以上の解説は、『箱根細工物語』(かなしんブックス22)岩崎宗純・著 神奈川新聞社
を短くまとめたものです。

湘南江ノ島・プチ紀行♪

2008年04月06日 21時00分24秒 | 神奈川のこと
   仕事の合間をぬって、江ノ島に行きました。
近いので、かえってゆっくり行く事のない江ノ島。でも江ノ島は浮世絵にも見られるように、古くからの有数の観光地、見どころ満載でした。
        
江ノ島展望灯台が新しく建て替えられてから、登るのは今回が初めてです。
近未来的なデザインの灯台は2004年のグッドデザイン賞、受賞設備です。

              
エレベーターで展望台に上がると、はるか東の方向にランドマークタワーが見えて感激しました!更に階段でガラスの覆いのない展望テラスに上がれるのですが、高所恐怖症の私は震え上がりました((((;゜Д゜))) 
夕方に近づいた海は、とてもきれいでした。この日は曇っていたのがちょっと残念です。晴れていたら海や空の色がもっと青くて綺麗だったことでしょう…
         
展望灯台の下は「江の島サムエル・コッキング苑」という植物園になっています。ここは明治時代の横浜外国人居留地在住の貿易商サムエル・コッキングの別荘跡で、レンガ造りの温室の地下部分が残っていました。画像は温室の隣の池の跡です。ボイラー室が完備され池も加温でき熱帯水棲植物も栽培されていたそうです。

         
とびっちょの「しらすパン」真ん丸な揚げパンの中にシラスとチーズが入っていて熱々の揚げたて、美味しいです。  あさひ本店の「たこせん」、小さなタコ3匹に小麦粉をまぶし、プレス過熱して焼いたものです。ちょっとピリっとして、はかないほどにハラハラと薄くて、美味しいです。以前見た時はお土産店の店先に「たこせん焼き機」が1台あるだけでしたが、今は4台フル稼働でした! 

             
そして、これは魚見亭の「生しらす丼」です。シラスは1月1日~3月10日までが禁漁期でその期間は食べられません。解禁になっても漁のある日でないと「生シラス」は食べられないそうです。目の前に広がる海を見ながら食べる「生しらす丼」は格別の味わいがあります。
            
蟹の味噌汁も欠かせません、海のミネラルをたっぷり吸収して身も心も満足~♪ 
                   
お土産は、大好きな「たたみいわし」。江ノ電・江ノ島駅から2~3分歩いた所にある湘南浜野水産は地元に住む友人のイチオシの店です。

               
第10回すばる文学賞受賞作「16歳のマリンブルー」 には、江ノ島の雰囲気が、よく描かれています。 




                  
       横浜桜木町シベリアのコテイベーカリーHP

『 湘南江ノ島   香水壜美術館 』

2008年04月03日 15時57分34秒 | 神奈川のこと
当店の店名の由来になった「COTY香水」、ルネ・ラリックのデザインによる香水壜は世界中の女性に夢を与え続けました。 江ノ島の香水壜美術館 にラリックの香水壜が所蔵されていると知り、さっそく行ってみました。
             
江ノ島大橋の手前洲鼻通りに、この美術館があります。館長さんが20年の歳月をかけて収集した、貴重な香水壜が展示されています。

                    
ラリックの作品「誘惑」は制作された数も少なく、無傷の姿で見られるのはこの美術館だけなのだそうです。その他にも貴重な作品も数多く所蔵され、時のたつのも忘れ、ひとつひとつ見入ってしまいます。19世紀末~20世紀初頭に戻ったような優雅な時が過せる美術館です。
                    
香水壜美術館には、ミュージアムショップが併設されていて、現代の作家の作品やアンティ-ク、アクセサリー、書籍など購入する事ができます。
そこで見つけた小さな香水壜 ラベルには
                  MUSE DE COTY N.Y.
COTYのラベル文字がはっきりと残っています。1946年に発表されたものだそうです。香水も少し残っていますので、香りも確認できました。COTY香水の香りをずっと探していた私にとって、感動的な瞬間でした。
   
                
そして、こちらは遠藤館長の著書です。数ある資料の中でもっともCOTYについて詳しく書かれ、作品の写真が美しいので、何度も図書館で借りていました。店名の由来を調べる時に最もお世話になった書籍、その著者が館長さんだったことに、帰宅してから気付きました…残念!
次回はもっと時間の余裕をもって出かけようと思います。何度も行きたくなる美術館です。HPでは所蔵品の一部を見ることが出来ますし、書籍やアクセサリー等の通販もあり、とても便利です。ぜひご覧になってください。

この記事を書くにあたり「湘南江の島香水瓶美術館」館長・遠藤賢朗様のご好意により、リーフレット写真、HP画像を使用させていただきました。ここに厚く御礼申し上げます。




                  
       横浜桜木町シベリアのコテイベーカリーHP