※アメリカの雑誌に掲載されたCOTYの宣伝イラストです。
『シベリア』についで、お客様からご質問が多いのが、店名の「『コティ』ってどういう意味ですか?」というものです。「英語じゃないですね~」と高校の英語の先生からもご指摘がありました…そうなんです、英語ではありません…
COTYは
フランスの人名香水王、
フランソワ・コティ(Francois Coty 1874年~1934年)から、その名をとりました。コティはガラス工芸家
ルネ・ラリック のデザインによる香水壜を採用することにより、香りを形にすることに成功し、世界中の女性に夢を与えました。
現在は、日本では発売されていない香水・化粧品の「コティ」ですが、かつては人々に親しまれ愛されていました。昭和の頃に開業した店舗にはこの名がつけられている場合が多くみられることでも、それがよく分かります。
美容室などにつけられることが多かったようです。食品関係の職種に香水の名はちょっと不思議ですが、先代は、覚えやすく、親しみやすい点が気に入り、戦後の自由な雰囲気の中で開業した喫茶店に『コティ』と名づけましたました。
戦争直後は小麦が統制されていてパン屋を営むことができず、しばらく喫茶店として営業し、統制解除後再びパン屋に戻りました。戦前の『日本堂』改め
コティベーカリーとなりました。
喫茶店などにも付けられている場合もあることから、本来の香水から離れ名前が1人歩きした結果、さまざまな業種で使われるようになったようです。それだけかつての日本では多くの人にコティの香水が親しまれていたということだと思います。
私自身も、1980年代の新聞広告で「COTY」の香水・化粧品を見た覚えがあり、友人にもこの香水を使っていた人もいます。今では知る人が少なくなってしまった名ですが…
大正生まれのパン職人であった先代は「コティ」とは発音できず「コテー」「コテイ」と発音していましたので、商号登録は「コテイ」になっています。ですので時々「固定」「布袋」と聞き違えられることもあります(´∀`)
※画像のイラストは柏林堂様のサイト
『ヴィンテージ&コレクティブル』 からご提供いただきました。ここに厚く御礼申し上げます。「流転の美女」と題する記事には香水メーカー・コティの変遷が詳しく語られています、ぜひご覧下さい。
作家の佐多稲子(1904~1998)の
『私の東京地図』(昭和24年)にはコティ化粧品が流行していた頃の様子が書かれています。
「コティの化粧品はこの時分から流行しだした。私は大分仕事に慣れて来て、値段調べに三越や白木屋へゆくことがある。三越はもうその頃には下足をつけていなかた。私は上草履にしているフェルトの草履で出かける。仕事の用事で日本橋を歩いてゆく私は、少し気負って早足で歩く。日本橋のあたりは焼けあとにバラック建てで復興してゆくこの頃も、折鞄を下げた男たちの忙しげな足どりや、事務服をつけたままの女事務員の姿など、商用や社用で歩く人が主流を為しているように見える。」
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箱根ラリック美術館