ε(・ノ・)3「象の鼻」整形手術中?!
大桟橋の付け根辺りには、開港当時に造られた防波堤が今でも残っています。その形が象の鼻に似ていることから、地元では昔から「象の鼻」と呼んでいました。
日本大通り突き当たりは、「象の鼻」地区と呼ばれ、現在再整備工事が進んでいます。画像の白い塀の部分です。開港150年記念事業だそうで、塀には完成予想図が描かれていました。今までは倉庫があったため海が見えませんでしたが、これが完成すればもっと開放的な風景になることでしょう。
※こちらは白い塀に描かれた「完成予想図」です。
完成するとこんなに素敵な場所になり、象の鼻も明治20年代後半の姿に復元されるそうです。
安政6年(1859年)には、すでに象の鼻の前身・西波止場(イギリス波止場・異人波止場)が整備されていました。当時は日本人専用の東波止場(日本波止場)と2つの波止場がありましたが、現在残っているのは西波止場「象の鼻」のみです。
ε(・ノ・)3「象の鼻」before:2007年1月
2007年1月に撮影した「象の鼻」です。この頃はまるで歴史の中に忘れられた場所といった印象でした。金網で包囲されていて、老朽化していて危険という事でしょうか、立ち入り禁止となっていました。金網の目にカメラのレンズをはめ込み、できるだけ大きく撮ったのが、この画像です。
象の鼻の先は海鳥の楽園となっていました。残念ながら私のカメラでは、これ以上大きくは撮れなかったのですが…鼻先右の方の黒い鳥は「ウミウ」、左の白いかたまりのように見えるのは「カモメ」です。真冬で寒い日したが、温かい陽だまりで海鳥達はノンビリ日向ぼっこをしていました。
2002年にリニューアルされた大桟橋の蔭に隠れて目立たない場所でしたが、歴史を感じさせる横浜らしいスポットなので、以前「オズ・マガジン」の「レトロでかわいい散策スポット」に「大桟橋&象の鼻」を推薦しました。
ε(・ノ・)3「象の鼻」2008年11月
そしてこれが今現在の様子です。着々と工事が進んで、輪郭もハッキリしてきました。完成したら素敵な鼻になりそうです。
象の鼻地区整備工事のサイトでは、安政6年(1859年)から、昭和40年(1965年)までの変遷が詳しく解説されています。
大桟橋の付け根辺りには、開港当時に造られた防波堤が今でも残っています。その形が象の鼻に似ていることから、地元では昔から「象の鼻」と呼んでいました。
日本大通り突き当たりは、「象の鼻」地区と呼ばれ、現在再整備工事が進んでいます。画像の白い塀の部分です。開港150年記念事業だそうで、塀には完成予想図が描かれていました。今までは倉庫があったため海が見えませんでしたが、これが完成すればもっと開放的な風景になることでしょう。
※こちらは白い塀に描かれた「完成予想図」です。
完成するとこんなに素敵な場所になり、象の鼻も明治20年代後半の姿に復元されるそうです。
安政6年(1859年)には、すでに象の鼻の前身・西波止場(イギリス波止場・異人波止場)が整備されていました。当時は日本人専用の東波止場(日本波止場)と2つの波止場がありましたが、現在残っているのは西波止場「象の鼻」のみです。
ε(・ノ・)3「象の鼻」before:2007年1月
2007年1月に撮影した「象の鼻」です。この頃はまるで歴史の中に忘れられた場所といった印象でした。金網で包囲されていて、老朽化していて危険という事でしょうか、立ち入り禁止となっていました。金網の目にカメラのレンズをはめ込み、できるだけ大きく撮ったのが、この画像です。
象の鼻の先は海鳥の楽園となっていました。残念ながら私のカメラでは、これ以上大きくは撮れなかったのですが…鼻先右の方の黒い鳥は「ウミウ」、左の白いかたまりのように見えるのは「カモメ」です。真冬で寒い日したが、温かい陽だまりで海鳥達はノンビリ日向ぼっこをしていました。
2002年にリニューアルされた大桟橋の蔭に隠れて目立たない場所でしたが、歴史を感じさせる横浜らしいスポットなので、以前「オズ・マガジン」の「レトロでかわいい散策スポット」に「大桟橋&象の鼻」を推薦しました。
ε(・ノ・)3「象の鼻」2008年11月
そしてこれが今現在の様子です。着々と工事が進んで、輪郭もハッキリしてきました。完成したら素敵な鼻になりそうです。
象の鼻地区整備工事のサイトでは、安政6年(1859年)から、昭和40年(1965年)までの変遷が詳しく解説されています。
日本全国にある「銀座通り」程では無いでしょうけど、同じような「通称名」って、各地にあるものですね。
知らなかったので調べてみましたら
たしかに象でした!!!
「鼻」というのがユーモラスで親しみが湧きやすいのかも知れませんね~♪