ただ慌ただしく、振り回されっぱなしの四月。
金も僅かしかなければ、人も僅かしかなく、
アインシュタインがどう言おうが、時間は杓子定規にしか進まない。
売上を恩に着せて人使いの荒いお客さんは、こちらから遠ざかってもまたどこかで会う。
こういう人のお陰もあって仕事が忙しくなってくれば、隙間の数も増える。
そしてやっぱり人を増やしきるところまでは売り上げは伸びない。
それよりも、避けても避けても迫りくる滝壺へ急降下の水音が気になってくる。
五月に入っても心配ばかりなのは変わりないけれど、
今年は五月マタギの連休が前後半に分かれている。
そのお陰で、ひとり静かに見つめ直す時を得た。
のは良いけれど、やれやれ感が強すぎるのか、
思いは感覚や思考に働きかけることなく、妙にただただ静かなだけ。
その上なんだかうれしくもなければ、悲しくもない。
それじゃってんで「よ~し今日は朝から飲んでやるか!」
と始めたものの、なんだか高揚感もないし、
気晴らしに始めたゲームもつまらない。
結局は、連休明けに生じるであろう隙間を埋めに仕事場へやってきた。
厄介な時期を迎えているのはわかっているつもりだけれど、
この時期を上手くハンドリングできないコイツを連れてやっていくより他はない。
「一寸先が真っ暗闇なのは皆同じなんだ。
ため息だけは元気なんだから、そいつを再生可能エネルギーに変えてみろ。
きっとこれからも様々な人達の正義に振り回されるんだ。
そもそも、私にだってご都合主義に染まった正義の御旗があるのだから、お互い様じゃないか。」
と、そこへまた一つ重たいのが加わった。田舎での墓掃除を今になって父が言い出した。
今年も自分自身が行くつもりをしていると言っていたけど、歳も年だけに無理か。
毎年この時期に集落の皆が集まってやるのだが、またいつもの急な無茶ぶりだ。
持っていかなきゃいけないものや集合時間、知っておかねばならないことは
紙に書いておくと言っていたが、当日の朝になって渡されるのだろう。
ひょっとしたら、もうそんなことより大切なことがあって、
あるいは紙に書きだしただけでやったつもりになって、忘れてしまっているかもしれない。
それならまだしも、引継ぎが済んだつもりになっている別な要件を思い出して、更に増えるかもしれないな。
こんな事を振り回される前にと先回りして、ひとつひとつ事前の準備をしてみても
結局は、身内とは言え他人の都合に自ら進んで巻き込まれに行っているのと同じである。
また、ひとつひとつを丁寧に疑ってかかって、転ばぬ先の杖を差し挟み続けるところに
信頼関係は成り立ちやしない。
あの時、別な選択をしていたならという想像。
そうしたら今の煩わしさとは無縁だっただろうにと浅はかな慰めをしてみる。
これからも変わらずしばしばあるのだろう。
「今からでも遅くない。わかっているなら人生逆張りで生きろ!」
と、言いたいぐらいに、小さいものまで拾い上げればキリがない。
でもまぁこんなことが気になる様じゃ、当てが外れたことへの後悔を
選択肢の問題にすり替え責任転嫁していることにも気づいちゃいないんだから
「心配するな!お前の人生はリバーシブルだ!」
と、逆サイドでも間違いなく同じ思いをしているよと教えてやりたい。
やれやれ、凪ぎと感じていたけれど、どうやら淀みだったみたいだ。