な~んにもない

もう、わけわからんわ。

春はきぬ

2021-02-25 13:27:09 | 日記
霧の季節が静かに近づいている。

春なら靄という言葉の方が似つかわしい。

そんな事を呑気に言ってられるのも、
私が田畑とも運送とも直接関わっていないからであろう。




そう考えると、
視界を遮るこの現象に美意識を感じ表現した古の人たちは、
きっと肉体労働とは無縁な方々だったに違いないと思える。

中には、
霧や靄に実害を与えられる人もあれば、利益を得る人もある風景をも
ちゃんとイメージできる人もあっただろう。

教養はそんな治験を踏まえた哲学や儚き美意識に支えられていた時代だったのかもしれない。




春は時代が下るにつれて足早に去って行くようになってきている。

しかし限られた命の息吹と言う点では、
手付かずな自然の一部の姿を、まだ保っている。

今シーズンの春から、私は何か学べるだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矛盾の風でも春一番は待ち遠しい

2021-02-21 10:11:58 | 日記



少し前から日差しに春を感じていたけれど、

今朝の空気は、忘れていた春そのものを思い起こさせてくれた。

今日も働く喜びと、少しの疑問を味わうことになるだろう身にとって、

忘却のひと時は、冬の暖かさに匹敵するごちそうだ。




明治から大正・昭和、さらに平成・令和と時代は下り、

衣食の満ち足りさ加減は目を見張るものがある。

AIで白黒写真を総天然色化(カラー化)できる写真を見て、よくそう感じる。




そして今は昔、かつての未来は

他人をマウントしたり、あら探しをしたり、悪口を言ったりと

うわさ話に精を出している人でいっぱいだ。

こうして心の声を文字に起こしている私ももちろんその一人。




数週間、ずっと考え込む自分と膝を交えて向き合うことなく、

作業系の仕事やゲームとか個食系飲食に睡眠と、矢継ぎ早に隙間を埋めて過ごしてきた。

そうすることで、仕事に追われ他人に勝手な期待をして勝手に裏切られることで

溜まって行くストレスを焼却処理して、家の中では比較的陽気に過ごす術としていた。




こうして改めて春の日差しの中で立ち止まっていると

それぞれに家庭があり、ひとときの憩いを笑顔で感じあっているようにも見える。

それぞれの実質上の主人によるご都合主義が、そこかしこにあることなど微塵も感じない。

ポイ捨てされたマスクのように、非常事態宣言もすっかり霞んでしまっていることにも気づかない。





非常自治宣言といえば、

保健所にゆとりが戻り、年明けまでのようにクラスターの追跡をとことんやる指示が再び出されるまでは、

建前上の感染者数は減っていくだろうって予測なんだそうだ。

きっと保健所が募集しても働く人は集まってくれないんだろうな。




そんな対応の中で、みんなウィルスを怖がるふりをして、お互いを警戒しあっていられるのも、弱毒性ウィルスのおかげだ。

その新型ウィルスは未知だからこそ油断ならず怖くとも、未知の新型ワクチンは恐れるに足らず、らしいよと言われたことがある。

へぇ、と笑う気力がその時はまだ残っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みちくさが好きなんだなぁ

2021-02-12 08:46:21 | 日記
昨日誕生日を迎えた友達がいる。

彼からの返信を見て思っちゃった。

いつ子供を卒業したのかはわからないけれど、上る階段の途中から

誕生日は嬉しくないわけでもないし、嬉しくある訳でもないように、確かになっているなと。




何かに手を染めて、反省し足を洗う。

若くいたいと嘆き、長寿を願う。

私とはそういう矛盾を気にしないタチな生き物と、自覚している。

そんな自分にとっては、ことさら糸口がつかみにくい気がしている。



時間は幼いころから誰にでも平等に流れているように考えているが、

結果や感じ方は人それぞれで、不幸だの幸せだのと言ったことが起きているように見えている。

不平不満や既得権益維持が、世の中をその日その日と動かしているエネルギー源なのかもしれない。

その圧力の繰り返しに埋もれていったんだろうか。



新コロ前までは、年間約120万人の方があの世へ召されていたと聞く。

月に約10万人、日に約3,000人。

昨年はどうだったのか、厚生労働省からはまだ速報値発表はないらしい。

もし、減っていたとしたなら、そこに何を見るのかも人それぞれということか。

あれっ、変なルートへまた迷い込んじゃったぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟が来る

2021-02-07 22:58:47 | 日記

主君殺しのドラマ放送が終わった。

薬物犯罪で出演者が急遽入れ替わり、

新コロ騒ぎで撮影が中断されたりしたドラマが、

年を跨いでまでして、全回の放送を終えた。



平和の象徴だったと感じた。

下剋上は、自分達がどうやって掌握したかは別問題にしたい課題であり、
支配者にとってあってはならないこと。

歴史はいつも都合の良いところを切り抜かれ正当化に利用されてきた。



ドラマ自体は赤穂浪士っぽくも感じた。

それを批判する人もあるだろう。

批判する人も、
所詮批判する事で得られる利の為の行為だと言うことが、
重なって写る仕掛けにも思えた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を見失ったのかを、また忘れてしまった

2021-02-04 07:46:13 | 日記

少しずつ少しずつ季節は進み、夜の明ける時刻も早くなってきている。

忘れ切れずに残った昨日の不愉快を、引きづったまま歩く出勤路。

すでにうっすらと琥珀色に色づいた空が、
全てを置き去りにしたままこちらへ来いよと
語りかけているような錯覚に小さな灯をともす。




約一ヵ月かかって取り戻しつつある機能にまた一つ加わったものがある。

約80%の力を込めてあくびができるようになった。

噛むことができるようになり、飲み込むことができるようになり、あくびできるようになった。

お陰で体重は目に見えて落ちた。





年明けからストレスフルな毎日を送っているのだけれど、そうさせているのは私の心である部分が大きい。

心の在り方を決めている要素の中でも、身を置く環境の影響が大きいと思う。

その環境自体は複数の人間で形成している訳だが、私の場合に限れば、選択しているのは外ならぬ私である。

そしてそこで、どのような刺激を強く意識しがちで、その刺激をどのように捉える癖があるのかも、私の心の問題であろう。





私がつまらない思いをしているとき、周囲にも迷惑をかけている。

それは私以外の人の不機嫌で経験済みなことであるけれど、自分だけはうまく隠せている気でいる節がある。

途方に暮れる暇もないのはありがたい。

今日も心の机からいろんな物がどんどん溢れ崩れ落ちていることすら忘れて良くなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする