霧の季節が静かに近づいている。
春なら靄という言葉の方が似つかわしい。
そんな事を呑気に言ってられるのも、
私が田畑とも運送とも直接関わっていないからであろう。
そう考えると、
視界を遮るこの現象に美意識を感じ表現した古の人たちは、
きっと肉体労働とは無縁な方々だったに違いないと思える。
中には、
霧や靄に実害を与えられる人もあれば、利益を得る人もある風景をも
ちゃんとイメージできる人もあっただろう。
教養はそんな治験を踏まえた哲学や儚き美意識に支えられていた時代だったのかもしれない。
春は時代が下るにつれて足早に去って行くようになってきている。
しかし限られた命の息吹と言う点では、
手付かずな自然の一部の姿を、まだ保っている。
今シーズンの春から、私は何か学べるだろうか。