な~んにもない

もう、わけわからんわ。

鬼も笑う青空へ

2020-08-31 09:59:20 | 日記

盛夏の名残を強く残し、八月は今日で終わる。

今年も気付けば年末という季節もすぐにやって来ることだろう。

そう考えながら眺めると、空の色も少し変化が出ているようにも見える。




コロナに始まった本年、締めくくりへ向けてコロナで終わる一年となるのだろう。

政治家さんには、近頃は形ばかりのアゴシールドを装着する人も増えた。

やります詐欺を繰り返すこととなった安倍首相も辞意を表明。

対策を打つべく今を逃しているのだから、この冬の医療現場は混乱させられることとなるだろう。






アメリカだって世界の警察なんて割に合わない事はやってられないという時代になった。

ネット社会の到来によって、金儲け第一主義でメディアもオピニオンリーダーの地位を捨てている。

増税の足音が忍び寄る中、「カネは取りやすいところから取れ」

というかつての裏社会の常識が表通りを大手を振って歩いている。






勝ち組の要領の良さと結束ぶりを横目に、我が道と定めた方向を見つめ直す。

何が起ころうと、淡々と歩を進めて行く難しさを改めて痛感している。

この生活もいつまでも続くわけではない。どういう形で終えるにせよ。


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2020-08-29 18:51:08 | 日記

冷や汗続きで不良品に泣かされた今週。

なんとか今日で、再び納期までの目途が立った。

従業員のミスで始まって、従業員の頑張りがあってこその道のりでもあった。





今週はいったい何をやっていたんだろう、という思いもわいてくる。

こんな事ではコロナがなくとも安定軌道は描けない、とも思えてくる。

一区切りついて汗も引いてくると、

酔っぱらって汗かいて水風呂に入って昼寝がしたくなってきた。






餃子が食べたくなった食欲を確認し、遅めの昼食を取ろうと外に出た。

夏休みの絵日記を思わせる入道雲が、元気よく空を埋め尽くそうとしている。

道路工事をしているんだろう。アスファルトの敷かれる匂いが、より暑さに濃い彩りを添える。

このまま溶けて無くなってしまえたなら、楽だろうなぁ。

と言える幸せに気付かず大きなため息一つ。





何に疲れたのかははっきりしないけれど、明日はもう、いや今すぐにでも何にもしたくはない。

しかしなんだか、どこにいても拭えそうにはない違和感がじっとこっちを見ているような気もする。

とりあえず、田舎へ行けばよかったのかな。野良仕事でもして健全な汗でこの脳内と身体を整理しに。

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#今朝も空元気発動中

2020-08-27 08:46:47 | 日記


久しぶりに、目覚まし時計に起こされた。

「あ~良く寝た」と久しぶりに感じた。

どこかまだ夢気分なまま、朝のルーティンを始める。




寝汗をかいた身体に頭から低温のシャワーで刺激を与える。

数十秒でシャツに着替えてテーブルに着く。

何の当てもなく、見つからない答えを探す今日の旅をぼんやり考えている。




上がらないモチベーションを抱えたまま朝の空気に触れる。

少しだけ心が軽くなった気分になる。

見上げれば今日も電線に鳩が群れている。




最初から能力なんてないのだから、

意気込みと運動量と精神力で乗り切っていくしかない。

が、これらがそれなりに整えばなんとかなる。はず。



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夕焼け

2020-08-26 08:12:15 | 日記

日中の暑さから最高気温競争の勢いはなくなった。

そして夕暮れ時が美しい季節になり始めた。

西の空をぼんやり眺めていると、極楽浄土の一風景にもこんな景色がきっとあるような気もする。





「さぁ、やるぞ!」と気合を入れ直して立ち向かおうとすると、

また不良の報告があったり、受注予定の仕事が予定より遅れスケジュールが狂ったり、機械の故障が起こったりして

足をすくわれたり、肩透かしを食ったり、足止めを食ったりと向かいたい方向へ向かわせてもらえない事がよくある。




そこへ、あって無いような休日・現金・時間ばかりが気になって、

借り物ばかりの生活にむなしさや、やるせなさや、不安が肩を抱いてくる。

そんな時に出会う夕焼けの美しさに、慰めを通り越した解放感に似た安堵感を感じることがある。




今年に入ってすぐにも、お世話になりっぱなしだった先輩が他界された。

そしてまた、お世話になり、可愛がっていただいたにも関わらず、何一つ応えることのできなかった先輩の訃報に接した。

御二方とも還暦までに数年残したまま旅立たれた。

焦る必要もないし、とても照らし合わせうる方々でもないと頭が言う傍で、感情は黙ってはいない。

もう眺めているのだか、立ち尽くしているのだか、大きく揺れる心に身体がついていけていない。

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地蔵盆に捧ぐ

2020-08-25 08:03:20 | 日記


寝苦しい夜は続いている。

今年は里帰りする人も減ったと聞く。

この熱気は、ご先祖様の方から全国へ子々孫々の寝顔を見に参られているからなのだろうか。





関西ではお馴染みの地蔵盆の季節を迎えている。

こちらも中止、あるいは大人だけの開催になっているケースが多いと聞く。

地蔵盆の願いや祈りの物語を受け継ぐ地域も減ってきている証なのだろう。






命とは生と死の循環であり、限りある時間に繰り返し込められた絆の証のように感じている。

生があっての死であり、死あっての生でしかないんじゃないだろうか。

死など無くなればいいとも思うけれど、それが実現した時には命はどうなっているのだろう。

そして、ひとはどうなっているのだろう。





見せかけのやさしさや正義が、今日も新しいルールを作っていく。

いつの時代も、そうやって生きてきたのかもしれない。

決して完成されることなく、劣性的な条件を抱え不完全なまま全てをかけて我が命に挑む。

熱く激しく生きたい命の本能を開放してあげるには、「まとも」ではいられなくなる気もしてくる。


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