3月最終日、朝から重い雲が垂れ込めていた。
テレビやラジオからは、今日も暗いニュースばかりが聞こえてくる。
それでもあても無いままに、こたえのない問いに向かって
淡々と地道な積み重ねをしていくより他ない。
吹き抜けていく風に向かって、聴力を奪われながらうつむいて歩く。
可哀想と恐怖の空気で充満しているとこへ、
「今、私たちは冷静に正しく怖がっているのかな」と、
問うことの非道徳観と、敢えて問うことの正義感が
左右からせめぎあって来ては、心をかき乱してゆく。
感染死者をこれ以上増やさない。
その為繰り返される自粛対策に、血が通っているようには思えない。
日々何処かで様々な理由で死んでいく人がいる中で、そんなことはできるんだろうか。
「この病気さえがなかったら」という問いは、感情としては理解できるつもりでいる。
「交通事故がなければ、インフルエンザがなければ、原発さえなければ」
との問いとの違いが、私はうまく呑み込めない。同じなら、違った対策が取れないものだろうか。
今日も野花は春を告げる芽吹きを見せてくれているし、猫や犬も愛らしい。
野生の生き物にとって、暖かな太陽が欠かせない様に、
人々の心にとって、喜びへとつながる行動は欠かせない気がしてくる。